第3話② 幻獣退治でビルを壊す

 中小規模のビルが軒を連ねる大通りには人の姿も、そして幻獣の姿も無く静かなものだ。その中で慎之介は崩れたビルを前に呆然としていた。

 そちらを気にしつつ陽茉莉が咲月に笑顔で手を合わせる。

「お兄がイヌカミを倒したの、内緒にしてね」

「どうして内緒なの?」

「侍の力、つまり士魂があるの内緒にしたいから」

「だから内緒って。でもその前に、慎之介は侍だったの?」

「そーだって言ったよ。だから内緒にね」

 陽茉莉は咲月の腕を掴み揺さぶる。まるで我が儘を言う子供のようで、相手を説得しようといった考えすらない。

 溜め息を吐いた慎之介が振り向いた。

「こらっ、陽茉莉。頼むなら理由を言うべきだ。そういうところが駄目だぞ」

 困った様子の咲月のために、慎之介は陽茉莉の襟首を掴み猫の子でも運ぶように後ろにやった。改めて咲月に向き直る。

「今まで内緒にしていたが、僕らは士魂を持っている。しかも陽茉莉は回復能力持ちだ。それってのは珍しいって話だろ」

 侍は身体能力や耐久力の向上、常人を越える反応速度、念動力がある。更に力を刀身に纏わせ鋭さを増し、鞘の中で収束させ居合い斬りと共に斬撃を飛ばす事もできる。極稀にだが他人の傷を癒やす力もあると聞いていた。

「うん、とっても珍しい。これでも殆んどの侍の情報は把握してるよ。尾張藩でも一人居るだけ」

「だろっ。そんな力があるとな。血筋に取り込みたいとかで、望まぬ相手と結婚とかをさせられるだろ。今の時代は昔ほど煩くないにしてもだ」

 そうした事情もあり、死んだ両親も娘が名家の思惑に翻弄されぬよう隠していた。慎之介もその通りにしていたが、咲月は見捨てられなかった。そして咲月なら内緒にしてくれるだろうと思って動いたのだ。

「でも、尾張藩は最高の待遇をしてくれるわよ」

「望まぬ交配と引き替えにな」

 失礼な物言いをした慎之介は陽茉莉に蹴られた。半分は八つ当たりだろう。

 そして咲月は軽く考え込み、困ったように吐息をつく。

「うーん……もうっ、仕方ないんだから。分かりました、内緒にしてあげる」

 何だかんだと、昔から慎之介が頼めば最後には肯く咲月だ。今回もそうなった。慎之介が礼を言おうとするが、それより先に陽茉莉が飛びついていた。


「ありがと! 咲月お姉!」

 自分が言おうとした言葉を取られ、慎之介は笑顔で頭を振り周囲の警戒に移る。だがそれで半壊したビルに改めて気付き顔を顰めた。

「咲月お姉のこと信じてた! でも、これでお姉も私の力のこと知ったわけだから。怪我とかしたらどんどん言ってね、すぐ治したげる」

「それ怪我する前提ね」

「あっ、そうなっちゃうか。でも、そんなつもりないよ」

 二人のやり取りは昔のままだ。

 そちらの会話を聞きつつ、慎之介は壊れたビルを見やって黄昏れる。抱きつく陽茉莉を引きずり咲月が来た。それも昔のままの光景だ。

「ねえ慎之介、ビルのことで困ってるよね」

「分かるか」

「あのね、そんなの見てれば分かるよ」

 確かにそうだろう。これを見て察せられない人がいたら、かなりの問題だ。そう皮肉げに考えてしまうぐらい、慎之介は落ち込んでいる。

 咲月は浅紫色の瞳に笑みを浮かべた。

「当然だけどビルが壊れたなら、壊した人が損害賠償請求されるよね」

「止めてくれ、その言葉は辛い」

 咲月の言葉に慎之介は呻いた。考えたくもないが、実際問題としてそうなる。ビル一つ分の損害額は間違いなく高額だろう、それも飛びっ切り。

 しかも侍の力を知られるわけにはいかないのだ。

 だから逃げるしかないが、それで罪悪感を抱かないほど心は強くない。

「でもここで、何と助かってしまう方法があるのです」

「もしかして、今からでも入れる保険があるとか?」

「何言ってるか分からないよ。うん、とにかく保険とかじゃないよ。つまり侍なら損害賠償請求は免除になるってこと」

「いや無理だろ。僕は侍にはなれない」

 慎之介が侍にならなかった理由は幾つかあるが、その一つは身分だ。それが足りないため侍になる事はできない。

「慎之介が困っていて、そして私は侍。はい、身代わりになってあげる」

「おおっ!」

 とんでもなく虫の良い提案がされた。

「いいのか? 免除と言っても、いろいろ手続きが面倒だろう」

「だって慎之介が困ってるもん。何とかするしかないよ」

 慎之介と陽茉莉は顔を見合わせ、二人揃って手を挙げハイタッチして軽く踊りさえしている。そんな兄妹の姿に咲月は口元に手をやって微笑んでいた。

「その代わり、後で詳しい話を教えてね。あと、お願いも聞いてね。それから、皆が来たから。言葉に注意して」

 その言葉で慎之介は通りの向こうに目を向けた。

 向こうから刀を手にした者たちが次々とやって来る。侍たちだが、どうやら辺りの幻獣を駆除し終えたらしい。


 侍たちは辺りに転がるイヌカミと、半壊したビルに驚愕気味だ。

「咲月様! 御無事ですか? これはいったい!?」

 一人が驚きの声をあげると、他の者たちも同じ様子で肯いている。その様子からすると、慎之介がした事は――今は咲月がした事になっているそれは――相当に凄い事のようだった。

「お一人でコタマだけでなくイヌカミも倒されるだなんて」

「でも、あのビルまで壊してしまったから」

「お任せ下さい、侍には免責特権があります! 事務処理の方は戻り次第、直ぐに行います。ご安心を!」

 その言葉に咲月が振り向き軽くウインクしてみせた。どうやらビルの件は問題なく適切に処理されるらしい。

「ところで咲月様、そちらの子は?」

 陽茉莉は咲月に抱きついたままだ。仲良さげなのは分かるだろうが、何も知らない者からすれば困惑するのは当然だった。

「この子は私の知り合い」

「そうでしたか! 助けられたのですね。良かったですね」

「そうね、本当に」

 咲月たちの会話を聞きつつ慎之介は陽茉莉を手招きした。今の咲月は仕事状態で、それを邪魔するのは良くない。同じ社会人として、その辺りの配慮は当然だった。

 慎之介は丁寧に頭を下げた。

「とても感謝します。助かりました」

「助けてくれてありがと! うん、本当に助かったんだから! あっ、SNSに投稿してもいいよね!」

「そうだな、ビルも壊したしな。いや凄い、幻獣退治でビルを壊すなんて」

 慎之介はだめ押しのつもりで言った。

 だが咲月には、ちょっとだけ睨まれてしまう。どうやら余計な台詞だったらしい。

「さて、帰るとしよう」

「そだね。あーもう凄く疲れたよ。じゃあ、またねー」

「お前はもう少し言葉遣いというものをだな」

 慎之介は小言を口にして歩き出す。直ぐ追いかけてきた陽茉莉が横に並びつつ、後ろを向いて手を振って忙しい。

「よかったね、お兄」

「本当にそうだな」

「ところで今日のお夕飯は何がいい? お料理当番、あたしだから。腕を振るっちゃうんだから」

 あれだけ祭りで食べたにもかかわらず陽茉莉は食欲旺盛だ。食べ過ぎると太るという言葉を呑み込んで、慎之介は悩むフリをして赤らんだ空を見上げる事にした。

 祭りはこれで終わりだが、心には不思議と清々しい気持ちが弾んでいた。

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