第3話 幻獣退治でビルを壊すなんて
慎之介は若干の人嫌いだ。
そうなったのは両親が死んでからだ。初めて見る親戚が次々と現れ、少年だった慎之介に設楽家の跡目を譲るよう迫った。自宅と跡目は守り通したが、気付けば両親の遺産の大半は奪われた。
そんな事があれば多少なりとも人間不信になって当然だろう。
更に人には言えぬ秘密を抱えているので、妹の陽茉莉以外は信じられなくなるのも仕方ない。だが幼馴染みの咲月は、もう一人の妹といった存在だった。
「まあ、咲月なら昔からの付き合いだ」
慎之介は呟き、横で眼を輝かせた陽茉莉に少し下がるように命じた。
「防御は得意なんだ、イヌカミの相手だってしてやる」
やけくそ気味に言って慎之介は特設ステージに飛び乗った。
反応したイヌカミが咆え襲い掛かってくるが、愛刀来金道を抜き放ち、飛び違いながら勢いよく擦れ違う。また向きを変え互いに攻撃を仕掛ける。イヌカミの鋭い爪が放たれるが慎之介は素早く躱し、逆にその足先を来金道で斬り跳ばしてみせた。
侍の力を持つ者にしかできないことだ。
幻獣はその身の周りに不可視の障壁を持つ。おかげで銃弾を含む大半の攻撃は効果が大幅に減退する。しかし障壁を無視して傷を負わせられるのが侍であり、侍の手にする武器だった。
慎之介もまた侍の力を持っている。
ただ、それを公にできず侍になれない事情があるため隠していた。
一撃を受けたイヌカミが苦悶の声をあげる。しかし直ぐに苦痛を怒りに変えた咆吼を轟かせ、力強く飛び掛かってきた。鋭く激しい攻撃だ。避ける事は容易でない勢いだった、普通であればだが。
しかし慎之介はイヌカミの攻撃を僅かな動きで躱してみせる。
同時に振るった刃がイヌカミの胴体を大きく斬り裂いた。巨体が音をたて落下、痙攣の後に動かなくなった。
――ふむ。
慎之介は軽い違和感を覚えていた。なぜなら、もっと強い存在と思っていたイヌカミが、さして苦労もなく倒せたからだ。
慎之介は訝しがりながら、しかし横に手を向けた。
そちらから新たなイヌカミが躍り込み、勢いよく飛び掛かって来ていた。しかし手を向けた途端に、目に見えぬ何かに突き当たったあげく空中に留まっている。イヌカミ自身の動きではないのは、そこで暴れている様子から明らかだった。
もちろん慎之介のやっている事だ。
「試してみるか」
手を払うと同時に、イヌカミが激しい勢いで吹っ飛んでビルの外壁に叩き付けられた。同時に慎之介は刀を鞘に収めており、僅かに身を屈め抜刀の構えをとる。
――確か、こうだったな。
侍の技を教えてくれた師匠の言葉を思い出し実戦していく。
勝負は鞘の内、そこに士魂を集中。通りを挟んだビルの側で起き上がりつつあるイヌカミに向け、鋭く素早く居合い抜刀。鞘の中から光が溢れ、蓄えられていた士魂が刃となって飛翔。
命中と同時に力が解放され爆発した。
「……あれ?」
イヌカミは消し飛び、そしてビルも崩れだす。
それは老朽化に加えイヌカミが内部で走り回った際の損傷による影響も大きいが、今の一撃がとどめとなったのは間違いない。慎之介は予想外の展開に目を瞬かせた。
「お姉、しっかりして」
陽茉莉は苦しそうに呻く咲月の傍らに膝を突いた。
侍の着用する制服はナノファイバーが使用された強靭なものだったが、イヌカミの一撃を防ぎきれておらず、また打撃による衝撃自体はどうにもならない。
「いま助ける!」
陽茉莉が呟き、咲月の傷口に手を当てた。
そこに淡い緑の光が迸ると、咲月の呼吸が楽なものに変わる。目が開かれ浅紫色の瞳が驚いた様子で陽茉莉を見つめた。
「……あれ? どうして? どうして傷が?」
咲月は困惑気味に呟き、まだ痛みの残滓があるらしく顔を顰めながら頭を上げた。少なくとも、それが出来るぐらいにはなっている。
「陽茉莉ちゃん? これはどういうこと? それに……慎之介!?」
直ぐ目の前で慎之介とイヌカミが攻防を繰り広げている。
「えっ……凄い」
「ふっふーん、お兄は侍で士魂があるんだから」
「なんなの、あの強さは」
そして慎之介の目の前でイヌカミが空中に留まったまま動かなくなる。
「念動力まで!? でも、あんなの武将級の強さ。どうして慎之介が?」
投げ飛ばされたイヌカミがビルに激突。あろうことか、上位の侍でも出来る者は数少ない技を使い斬撃を飛ばしているではないか。
それに驚愕する咲月が見つめる前で、激しい爆発が生じた。
「さっすが、お兄。うん、もう大丈夫ね。ねぇ、お姉。痛いとこない?」
「あっ、うん。陽茉莉ちゃんのそれ、回復能力ね」
「そーだよ。凄いでしょ」
両手を腰に当て得意そうな陽茉莉に咲月は困惑している。そのまま服の前を軽くはだけると、傷痕一つない肌を確認しだした。
「凄い回復能力」
「お姉、ちょっと駄目だから」
「陽茉莉ちゃん。これ、どういうこと?」
「そうだけどさぁ、まずは服を戻そうよ。ほら、お兄がいるわけだし」
「あっ……」
咲月が顔をあげると、そこで慎之介がそっぽを向きつつ頭を掻いていた。目のやり場に困るといった顔をしているのは、つまり咲月の状態に気付いている事だ。
「……もうっ!」
咲月は顔を真っ赤にして服を戻した。
中小規模のビルが軒を連ねる大通りには人の姿も、そして幻獣の姿も無く静かなものだ。その中で慎之介は崩れたビルを前に呆然としていた。
そちらを気にしつつ陽茉莉が咲月に笑顔で手を合わせる。
「お兄がイヌカミを倒したの、内緒にしてね」
「どうして内緒なの?」
「侍の力、つまり士魂があるの内緒にしたいから」
「だから内緒って。でもその前に、慎之介は侍だったの?」
「そーだって言ったよ。だから内緒にね」
陽茉莉は咲月の腕を掴み揺さぶる。まるで我が儘を言う子供のようで、相手を説得しようといった考えすらない。
溜め息を吐いた慎之介が振り向いた。
「頼むなら理由を言うべきだぞ、陽茉莉。そういうのは駄目だな」
困った様子の咲月のために、慎之介は陽茉莉の襟首を掴み猫の子でも運ぶように後ろにやった。改めて咲月に向き直る。
「今まで内緒にしていたが、僕らは士魂を持っている。しかも陽茉莉は回復能力持ちだ。それってのは珍しいって話だろ」
侍は身体能力や耐久力の向上、常人を越える反応速度、念動力がある。更に力を刀身に纏わせ鋭さを増し、鞘の中で収束させ居合い斬りと共に斬撃を飛ばす事もできる。極稀にだが他人の傷を癒やす力もあると聞いていた。
「うん、とっても珍しい。これでも殆んどの侍の情報は把握してるよ。尾張藩でも一人居るだけ」
「だろっ。そんな力があるとな。血筋に取り込みたいとかで、望まぬ相手と結婚とかをさせられるだろ。今の時代は昔ほど煩くないにしてもだ」
そうした事情もあり、死んだ両親も娘が名家の思惑に翻弄されぬよう隠していた。慎之介もその通りにしていたが、咲月は見捨てられなかった。そして咲月なら内緒にしてくれるだろうと思って動いたのだ。
「でも、尾張藩は最高の待遇をしてくれるわよ」
「望まぬ交配と引き替えにな」
失礼な物言いをした慎之介は陽茉莉に蹴られた。半分は八つ当たりだろう。
そして咲月は軽く考え込み、困ったように吐息をつく。
「うーん……もうっ、仕方ないんだから。分かりました、内緒にしてあげる」
何だかんだと、昔から慎之介が頼めば最後には肯く咲月だ。今回もそうなった。慎之介が礼を言おうとするが、それより先に陽茉莉が飛びついていた。
「ありがと! 咲月お姉!」
自分が言おうとした言葉を取られ、慎之介は笑顔で頭を振り周囲の警戒に移る。だがそれで半壊したビルに改めて気付き顔を顰めた。
「咲月お姉のこと信じてた! でも、これでお姉も私の力のこと知ったわけだから。怪我とかしたらどんどん言ってね、すぐ治したげる」
「それ怪我する前提ね」
「あっ、そうなっちゃうか。でも、そんなつもりないよ」
二人のやり取りは昔のままだ。
そちらの会話を聞きつつ、慎之介は壊れたビルを見やって黄昏れる。抱きつく陽茉莉を引きずり咲月が来た。それも昔のままの光景だ。
「ねえ慎之介、ビルのことで困ってるよね」
「分かるか」
「あのね、そんなの見てれば分かるよ」
確かにそうだろう。これを見て察せられない人がいたら、かなりの問題だ。そう皮肉げに考えてしまうぐらい、慎之介は落ち込んでいる。
咲月は浅紫色の瞳に笑みを浮かべた。
「当然だけどビルが壊れたなら、壊した人が損害賠償請求されるよね」
「止めてくれ、その言葉は辛い」
咲月の言葉に慎之介は呻いた。考えたくもないが、実際問題としてそうなる。ビル一つ分の損害額は間違いなく高額だろう、それも飛びっ切り。
しかも侍の力を知られるわけにはいかないのだ。
だから逃げるしかないが、それで罪悪感を抱かないほど心は強くない。
「でもここで、何と助かってしまう方法があるんです」
「もしかして、今からでも入れる保険があるとか?」
「何言ってるか分からないよ。うん、とにかく保険とかじゃないよ。つまり侍なら損害賠償請求は免除になるってこと」
「いや無理だろ。僕は侍にはなれない」
慎之介が侍にならなかった理由は幾つかあるが、その一つは身分だ。それが足りないため侍になる事はできない。
「慎之介が困っていて、そして私は侍。はい、身代わりになってあげる」
「おおっ!」
とんでもなく虫の良い提案がされた。
「いいのか? 免除と言っても、いろいろ手続きが面倒だろう」
「だって慎之介が困ってるもん。何とかするしかないよ」
慎之介と陽茉莉は顔を見合わせ、二人揃って手を挙げハイタッチして軽く踊りさえしている。そんな兄妹の姿に咲月は口元に手をやって微笑んでいた。
「その代わり、後で詳しい話を教えてね。あと、お願いも聞いてね。それから、皆が来たから。言葉に注意して」
その言葉で慎之介は通りの向こうに目を向けた。
向こうから刀を手にした者たちが次々とやって来る。侍たちだが、どうやら辺りの幻獣を駆除し終えたらしい。
侍たちは辺りに転がるイヌカミと、半壊したビルに驚愕気味だ。
「咲月様! 御無事ですか? これはいったい!?」
一人が驚きの声をあげると、他の者たちも同じ様子で肯いている。その様子からすると、慎之介がした事は――今は咲月がした事になっているそれは――相当に凄い事のようだった。
「お一人でコタマだけでなくイヌカミも倒されるだなんて」
「でも、あのビルまで壊してしまったから」
「お任せ下さい、侍には免責特権があります! 事務処理の方は戻り次第、直ぐに行います。ご安心を!」
その言葉に咲月が振り向き軽くウインクしてみせた。どうやらビルの件は問題なく適切に処理されるらしい。
「ところで咲月様、そちらの子は?」
陽茉莉は咲月に抱きついたままだ。仲良さげなのは分かるだろうが、何も知らない者からすれば困惑するのは当然だった。
「この子は私の知り合い」
「そうでしたか! 助けられたのですね。良かったですね」
「そうね、本当に」
咲月たちの会話を聞きつつ慎之介は陽茉莉を手招きした。今の咲月は仕事状態で、それを邪魔するのは良くない。同じ社会人として、その辺りの配慮は当然だった。
慎之介は丁寧に頭を下げた。
「とても感謝します。助かりました」
「助けてくれてありがと! うん、本当に助かったんだから! あっ、SNSに投稿してもいいよね!」
「そうだな、ビルも壊したしな。いや凄い、幻獣退治でビルを壊すなんて」
慎之介はだめ押しのつもりで言った。
だが咲月には、ちょっとだけ睨まれてしまう。どうやら余計な台詞だったらしい。
「さて、帰るとしよう」
「そだね。あーもう凄く疲れたよ。じゃあ、またねー」
「お前はもう少し言葉遣いというものをだな」
慎之介は小言を口にして歩き出す。直ぐ追いかけてきた陽茉莉が横に並びつつ、後ろを向いて手を振って忙しい。
「よかったね、お兄」
「本当にそうだな」
「ところで今日のお夕飯は何がいい? お料理当番、あたしだから。腕を振るっちゃうんだから」
あれだけ祭りで食べたにもかかわらず陽茉莉は食欲旺盛だ。食べ過ぎると太るという言葉を呑み込んで、慎之介は悩むフリをして赤らんだ空を見上げる事にした。
祭りはこれで終わりだが、心には不思議と清々しい気持ちが弾んでいた。
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