サムライ・サラリーマンは帰りたい ~月曜日が憂鬱なのでオフィスビルをぶった斬った~

一江左かさね

第1話 良い事をした後は気分が良いね

 設楽慎之介は祭りに来ていた。

 大通りを規制し派手に賑やかしく毎年恒例の春祭りだ。子供の頃はよく来て興奮したものだが、二十代半ばを過ぎた今ではそうした感情も殆どなかった。

 辺りは賑やかで色彩に溢れ大音量の音楽が流れ、大勢の人が行き交って笑い声や威勢の良い声があちこちから響いて――何だか疲れてしまう。もちろんそれは精神的な意味でだ。

「面倒くさいな」

 白シャツに黒のジャケットを羽織った無難な服装の慎之介は、通りの端の程良い高さのコンクリート擁壁に腰掛け、コンビニで買い求めた新聞を広げた。

 ざっと目を通す紙面には――東日本幕府と西日本政府による会談、貿易収支の状況、幕府要職の汚職事件、東北で発生した幻獣災情報、芸能人の結婚――さして驚くような内容はない。

 もちろん世を脅かす幻獣災害は常に起きてはいるが、結局は退治されているので概ねは平和というものである。

 そんな事を考えていると――。

「もーっ、こんなとこにいたぁ」

 妹の陽茉莉が駆けて来た。

 セミロングにしたストレートの黒髪。白シャツに重ねたブレザーは肘まで腕まくりして、黒のスカート。アイスを手に祭りを満喫しているのは良いが、高校生としてもう少し落ち着きを持って欲しい。

 慎之介は新聞をたたんだ。

「やっと、来たか。遅かったな」

「遅かったな、じゃないよぉ。お兄ってば位置情報アプリ使わないから、探すの大変なんだよ。もぉ疲れた、たるい。ほんとアプリ入れて」

「昔の人はな、位置情報なんぞなくたって生きていたんだぞ」

「そんなの、信じらんない。もうダメ、スマホ貸して。インストールするから」

 陽茉莉は慎之介に襲い掛かる真似をしてスマホを奪おうとしている。

「やめろって、人のスマホに変なものを入れようとするな」

「スマホは電話じゃ無いの。いろいろ使えるの。新聞だって読めるんだよ。今どき紙で新聞読むとか、お兄ぐらいだから」

「コンビニで売ってんだ、読む人ぐらい居るだろ。それで? そのアイスは食べなくていいのか?」

 慎之介の指摘に陽茉莉は我に返った様子で慌てる。

「うわっと、そうだった。はい、これ。アイスあげる。暑いから食べて」

 顔の前に突き出されたアイスは、空の日射しを浴びて液体に戻ろうとしている。しかし、そんな事はどうだっていい。

 慎之介は妹の贈り物に感謝し、アイスが固体であるうちに齧り付く。

「冷たいものは、ありがたいな」

「でしょっ、優しい妹に感謝して」

「褒めてつかわす」

「また、そういう。いいけど、食べてるとこ撮影していい?」

「いつも言ってるが、駄目だ」

 陽茉莉はインフルエンサーをやって、幾ばくか稼いでそれを家計に入れている。それは嬉しいが、兄を配信ネタにしたがるのは宜しくない。

「えーっ、ちょっとは協力してよ。お兄なら少しは絵になる、かな? 多少、ちょっと? そこそこぐらい」

「その協力への道は、いままさに閉ざされた」

「酷い。あっ、まさかだけどさ。写真を撮られると魂が抜かれるとか思ってない?」

「人を何だと思ってるんだよ」

「スマホも使えない超アナログ人間かな」

 そんな言われように慎之介は息を吐き、立ちあがりながら前に抱えていた刀を腰に帯びた。その柄に軽く手をのせ歩きだす。


 ビルにある電光時計の数字を見やる。

 ――そろそろ帰っても良い時間か。

 人混みの中を歩いて慎之介は平気だが、しかし陽茉莉は疲れの色が見えている。その意味では、そろそろ帰っても良い頃合いだろう。

「大丈夫か? もう帰るか?」

「んーっ、まだ。それより、あっちの屋台のたこ焼き、どう?」

「まだ食べる気か!?」

 慎之介はげんなりして言ったが、辺りを見て眉間に皺を寄せた。

 近くにある二階建てビルに見覚えがあり、そこは仕事で関わりのあるクレーマーの所有するビルだった。しょっちゅう呼びつけられ、明日も呼ばれている。うんざりだ。適当に聞き流し相手をすれば給料が貰えると思って我慢するしかない。

「どうせ頑張った所で、出世できる家柄でもないしな……」

 慎之介はこっそり溜め息をついた。

 辺りを見回していた陽茉莉は、兄の心情とは関係なく祭りを満喫している。幸せなことだろう。感心していると、いきなり前を指差した。

「むむっ? お兄、あれ見て。イベントがあるみたい」

「イベントか」

「うわっ、なんだか面倒そうな声だ」

「当たり前だろ。どうせ、また人を盾にして人混みを進む気なんだろ?」

「はい、そうです。分かってるなら、お願いします」

 陽茉莉は笑いながら、そのまま慎之介の背中をグイグイと押してくる。仕方ない奴だと苦笑いして、慎之介は他の人の迷惑にならないよう注意しながら進んだ。

 ――困った奴だな。

 心の中でぼやきこそするが、慎之介はこの時間が楽しかった。たった一人の家族である妹が喜んでいること、それが何より大事なのである。

「で、なんのイベントなんだ?」

「それそうだ、何だろね?」

「おいおい、何も分からず行くのか」

「えーっとね? ほら、侍のトークイベントってある」

 背中にしがみついたまま顔を出し、陽茉莉は人混みの向こうに見える特設ステージを指差した。ちょうどイベントが始まり、司会の女性が笑顔で手を振っている。

『お待たせしました! 今日は尾張藩が誇る侍たちが来てくれました! 幻獣と戦い皆の平和を守る英雄! そんな侍の皆さんに思いっきり語って貰います!』

 マイクの調整が悪いのか音割れして耳に痛いぐらいだ。しかし集まった観客は気にした様子もなく大歓声をあげている。

 ――侍か。

 慎之介はステージに憧れ交じりの眼差しを向ける。

 侍とは士魂の力を操る対幻獣災害スペシャリスト。司会が紹介したように災害である幻獣と戦うヒーローだ。子供の頃には憧れた。憧れたがしかし、慎之介が絶対になれない職業でもあった。

 お陰で今は、憧れと反発の混じった複雑な感情を抱いている。


 トークショーの前にプロモーション映像が流され、壇上に青味を帯びた半透明の姿をした侍が出現した。

「おおっ、凄いぞ。見ろ、あれは立体映像だぞ」

「お兄……それぐらい知ってるから。常識だから。そんな嬉しそうに言わないで」

 陽茉莉は哀しそうに袖を引っ張ってくる。

 だが慎之介の目は、投影された侍モデルに釘付けだ。超人的な速度で斬り合いの型をみせ、手を触れず物を引き寄せたり鉄の棒を斬ってみせたり見事なものだ。

 思わず感動の声をあげると、陽茉莉が悶えている。

「ちょっと、お兄。それやめよう、恥ずかしいから」

 確かに周りで驚いているのは年寄りばかり。その他の者は映像に手を叩いているが、普通に楽しんでいるだけだ。

「お兄が知らない間に、世の中はどんどん文明開化したの。立体映像で驚くの、お爺ちゃんお婆ちゃん世代だよ」

「ふんっ」

 慎之介が若干ふて腐れていると立体映像が消え、今度は本物の侍が壇上に現れた。特殊部隊の青い制服姿で歓声に応え手を振っている――陽茉莉が袖を引っ張った。

「ねえちょっと、お兄……」

「どうした、トイレなのか? 仕方がない奴だな」

 途端に陽茉莉は頬を膨らませた。

「違うっ、人を幾つだって思ってるの。じゃなくって。見て、ステージの侍。あれって咲月お姉だよ」

「ん?」

 公家の血を引く者は、常人とは瞳と髪の色が異なる。壇上の侍も、紫がかった瞳と白く美しい髪色をしていた。そしてそれは見覚えがある姿でもあった。

「……本当だ、咲月だな」

 二人にとって幼馴染みの五斗蒔ごとまき咲月だった。ちょうど慎之介と陽茉莉の間の年齢で、小さい頃はいつも一緒に遊んでいた。最近は会ってなかったが、侍になっていたとは思いもしなかった。

 その咲月は盛んに歓声を受けている。

 侍はアイドル的な扱いもされる存在だが、咲月は見た目が良いためか、完全にそういった方向の人気になっているようだった。

「そういや、あいつ今年就職だったな……」

「お姉も尾張藩でお仕事なら、お兄と顔を合わせたりしてなかったの?」

 妹の不思議そうな声に慎之介は苦笑した。

「部署が違う、部署が。職場と学校は違うからな。部署が違えば、殆んど顔を合わすこともない。それに向こうは侍で、こっちは内勤だ」

 慎之介も尾張藩に仕えていたが、早くに亡くなった父の跡を継いでのこと。侍のような花形ではなく、むしろ縁の下の力持ちと呼ばれる裏方平藩士でしかない。

「そうなんだ。でも会えたらいいのにね、お姉もきっと喜ぶよ」

 陽茉莉は舞台の写真を撮り、それをSNSに投稿しながら嬉しそうだ。

 侍トークショーを眺めていたが、しばらくすると飽きてきた。咲月が喋るよりも、他の年配侍が語る方が多かったのだ。だから陽茉莉も同じく飽きている。

 そっと人混みを抜けて会場を後にした。


 陽茉莉はブレザーのポケットに手を突っ込み、ぶらぶら隣を歩く。

「はーっ、面白かった。いろいろ見たよ。これでお祭りを一通り見れたかな」

「端から端まで見る必要ないとは思うがな?」

 慎之介は呆れた声で言った。

 本当に端から端まで移動して祭り見学をしたのだ。しかも、あちこち首を突っ込み見に行く陽茉莉の面倒を見ながらだ。お陰でけっこう疲れた。

「そろそろ帰るか?」

「んーっ、そだね。帰ろっか」

 言いながら陽茉莉は視線を傍らに向けていた。

 それを追っていけば、赤い風船を手にした小学生ぐらいの女の子の姿に辿り着く。その子は不安そうな顔で繰り返し左右を見て歩いていた。今にも泣きそうだ。

「あの子、迷子だね」

「そうか? どうだろな」

 慎之介も内心ではそう思ったが躊躇いがあった。下手に声をかければ、不審者や誘拐犯に間違えられてしまう時代だ。トラブルになれば人生に関わってしまう。

 道行く人も同じ考えなのだろう、誰もが見て見ぬ振りだった。

 だが陽茉莉は違う。

「絶対そうだよ。あっ!」

 辺りを見回し歩いていた少女が転んだ。その手から風船が解き放たれ、空へと舞い上がっていく。

「ねえ大丈夫? 痛くない? ほらほら泣かないで」

 陽茉莉は即座に走って少女の側に行き、しゃがみ込み優しく介抱している。

「まったく余計な事を」

「別にいいじゃないの、これぐらい――」

 文句を言って振り向いた陽茉莉だったが、笑いを堪えるような顔をした。

 なぜなら、慎之介は少女が手放した赤い風船を手にしていたのだ。もう手も届かない高さに舞い上がった筈の風船が何故かそこにあった。

 だが陽茉莉はその事を疑問に思わず、くすくす笑っている。

「なんだよ」

「何だかんだ言って助けてる」

「うるさい。偶然だ、偶然風船が手元に飛んで来ただけだ」

「ふっふーん、そういう事にしたげる」

 陽茉莉は嬉しそうに笑い、それから少女と手を繋ぎ迷子センターに向かう。

 だが、その前に辺りをキョロキョロしながら動く父親らしき男を発見、走りだした少女を見送って親子の再会を眺める事になった。

 遠くで手を振る少女に陽茉莉も手を振り返した。

「うん、良い事をした後は気分が良いね。褒めて!」

「よしよし、妹が優しい子に育って嬉しいよ」

 軽い口調で言いながら、しかし慎之介は本当にそう思っていた。他人を思いやれて助けに行ける子に育ってくれて誇らしい。苦労して育てただけに嬉しかった。

「そして褒めた後は、ご褒美!」

「ちゃっかりしてるな。ほら、これでも飲むといい」

 慎之介は傍らのテントで缶ジュースを買い求めた。お祭りという事でワンコイン価格だ。氷水の中に浸けてあったので、程良く冷えていた。

「ほれ、褒美をとらす――」

 その時だった。非常放送用スピーカーから、緊急を告げるサイレンが鳴り響いたのは。同時に人々の持つスマホもけたたましく鳴動していた。

「緊急幻獣速報!?」

 それは幻獣の脅威が間近に迫っている事を知らせるものだった。

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