第10話 マブイ(魂)を落とした人たち

セレナは那覇空港から高速バスに乗った。

40人ほど乗れる大きなバスがほぼ満席だった。


セレナは空席を探して通路を歩いた。

ペットキャリーを大事そうに抱える女性がいまにも泣きそうな顔をして、セレナを見上げた。

小さな箱のなかで、白い猫がグッタリとしていた。


まさか、死んでいるのか、と思ってセレナは思わず顔を背けた。


セレナは、後方の席に座った、その瞬間、息苦しさを感じた。

バスのなかの乗客たちの暗い感情が流れ込んできて、セレナは咳き込んでしまった。セレナはエンパスという、敏感に他人のエネルギーや感情を受け取ってしまう体質だった。


前方に座った家族客の母親が5歳くらいの男の子を叱り飛ばしている声にセレナは胸が苦しくなって顔をしかめた。


魂の抜け殻のように、トロンとした目をしている人が数人、ぼんやりと外を眺めていた。


魂の抜け殻といえば、自分もそうかもしれないとセレナは思った。

ゾンビのような群衆から抜け出して仕事を投げ出したはいいものの、生きる目標も何もないまま、思いつくままに沖縄に来てしまったのだ。

魂の抜け殻といえば、自分のことかもしれないと、セレナはふと顔をあげて空港を歩く人の波を眺めた。


女性が、思い詰めたように両手を組んで額に押し当てていた。

まるで祈りを捧げているような姿だった。


何を祈っているのだろうか? 


20代の肌の白い美しい女性だった。

沖縄に住む恋人に逢いにいくのかもしれないし、その恋人が交通事故にでもあったのだろうか? 


どうか、死なないでと神さまに祈っているのか? 


いずれにしても、楽しい沖縄旅行ではなさそうに見えた。


嬉しそうに笑っている人はいないんだなとセレナは思い、ため息をついた。


祈りを捧げる女性のうしろの席が空いていたので、セレナはそこへ座った。

荷物は足元へ置いた。さほど大きなバッグではなかった。


セレナのさらにうしろの席の女性がケータイで話しはじめた。

大きな声だった。


「だから、もう、あなたとは、終わったのよ。もう、電話なんかしてこないで! どうしようもないクズ男! あなたの声を聞くだけでも腹ワタが煮えくりかえるのよ・・」

さらに、女性は電話相手に罵声を浴びせていた。


運転手の声がスピーカーから聞こえた。

「車内では、ケータイ通話はお控えください」


「まだ、言い足りないけど、これくらいにしたげる。じゃあね。さよなら」

女性は通話を切った。

それでも、腹の虫がおさまらないらしく、フンフンと荒い息をしていた。


バスが動き出した。


他人のエネルギーや感情をシャットアウトするかのように、セレナは目をつむって眠ることにした。

負のエネルギーが強いなと思った。


うしろの席の会話が聞こえてきた。


年配男性の声がやさしそうに言った。


「お嬢さん、ツライ恋愛を経験されたみたいですね。ちょっと私の話を聞いてくださいませんか?


私にも、愛する人がいたんですが、3年前に亡くなりましてね。そして、私は、いまガンになって、余命宣告を受けてしまったんですよ。


でもね、沖縄に癒しの宿があるって聞いたんですよ。


宿泊客たちの感謝の声を読んでいると、難病が治ったって書いてあるんですよ。もしかしたら、私の病気も治るかもしれないって思いましてね。


しかも、キャッチフレーズが『魂友と出逢える宿』なんですよ」


「あら、私も、その宿に行くんですよ」


「ああ、そうだったんですか?」

セレナは、目をつむったままその会話を聞いていた。

自分もそこへ行くんだと思った。


バスは高速道路をおりて一般道を走る。


セレナは目をあけて車窓の風景を見入った。

東シナ海のうえに白い雲が流れていた。


コバルトブルーの海を眺めても子どものように歓声をあげたり、感動的な気持ちになったりはしない。

どこか冷めた暗いどんよりした感情がセレナを占めていた。


いくつかの停留所に停まり、乗客が降りていった。


最後に残ったのはバス内の空気を重苦しくしていた人たちだった。


ペットキャリーを持った泣きそうな女性、両手を組んで祈りを捧げていた女性、ケータイで罵声を浴びせていた女子、ガンの告知を受けた男性、魂の抜け殻のようなトロンとした目の女性が3人、憂鬱な表情の男性が1人、もしかして、この人たち全員『魂友と出逢える宿』に泊まるのかしらとセレナは思い、憂鬱になった。


ふと隣を見ると、沖縄オバァが座っていた。


「どうした? なに、憂鬱な顔しているんだい?」


「だって、みな暗い人たちばっかりなんだもん」


「みんな、お前さんと同じさね」


「何が同じなの?」


「マブイ(魂)を落としてしまった人たちさ」


沖縄オバァはそう言ってニヤリと笑い、スッと消えた。


バスが、山のなかの停留所で止まった。


マブイを落としてしまった人たちがバスを降りた。


バスは私たちを降ろすと、すぐに出発していった。


背伸びをする人、スマホで地図を確認する人、眼下に広がる海の景色を眺める人、そこに、満面の笑みをたたえた初老の男性が嬉しそうにマブイを落とした人たちを眺めていた。


「みなさん、お待ちしていました。『魂友と出逢える宿』にお越しのお客さまですね? ここから徒歩10分ほどですから、ご案内します」







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