第4話 本当の自分を生きていない!
朝のラッシュ時の立川駅だった。ホームには通勤客でごった返していた。
通勤客といっても通常の人間の姿ではない。
肌がただれ、眼球をうしなった眼窩に歯の抜けた黒い口をしたゾンビ集団がのろのろと歩いていた。
背を丸めたゾンビがときおりぶつかったり転んだりしていた。
ボロボロのスーツに汚れたネクタイのゾンビが整列して電車を待っていた。
「どうだい? このゾンビの群れに戻った感想は?」
沖縄オババが、ニヤニヤしながら言った。
「ゾッとしますね」
と言ったあと、セレナはすぐに聞き返した。
「私を突き飛ばした男はどこ?」
すると、沖縄オババがアゴで後方にいるゾンビ男を示した。
「あのゾンビを見てごらん、見覚えがあるだろ?」
セレナは覗きこむようにして目をこらした。
ゾンビ姿になっているので、よくわからないが、メガネの縁を触って位置をなおす仕草に面影があった。
数日前に、痴漢をしているところをセレナが現行犯逮捕した男だった。
メガネ男は、女子高生のスカートのなかに手をいれていたのである。
荻窪駅を通過したあたりで見つけて、中野駅に着いたときにセレナが男の手をつかんで、構内警察に突き出したのである。
被害者の女子高生だけでなく周囲にいた女性が証人としてついてきてくれたので、その男は逃げることができず犯行を認め、警察官の前で声も出さずに頭を下げたのである。
この痴漢男が逆怨みしてセレナの背中を押したというのだろうか?
「あの男が犯人ってこと?」
「さあ、どうだかね」
と沖縄オババはもったいぶったように言い、もう1人のゾンビ男をアゴで示した。
「あれ、あそこを見てごらん」
セレナは沖縄オババが示した方を見た。
そこには、立川南口ウィング近くの居酒屋で、女性客をナンパしていた男がキョロキョロと首を回していた。
セレナを探しているのだろうか?
居酒屋で女性客が嫌がっているのに、しつこく言い寄っていたのでセレナが「お兄さん、みっともないからやめな!」と叱ったのである。
あの男が、セレナを睨んでいて黒い眼窩がときおり光っていた。
「あそこにも容疑者がいるよ」
と沖縄オババは、階段近くにいるゾンビ男を示した。
そこにいたのはセレナの元カレだった。
元カレとセレナは価値観が違うことでいつも言い争っていた。
セレナの意見は悪事を見て見ぬふりはできないってことだった。
タバコをポイ捨てする人がいたら、注意しなきゃと思うのだが、なかなかできない自分自身に腹をたてた。
職場では、ズケズケと言うべきことを言っていた。後輩に事務仕事を押しつけて自分は外回りといって遊んでいる人とか、女子社員にセクハラ発言をする上司などを注意していた。
セレナが社内で批判されても自分は間違っていないし、正しいことをしているのだということを彼氏にも理解して欲しかった。
しかし、彼氏が言うのは「そんなの、ほっとけばいいじゃん」だった。
そんな彼氏に、セレナは腹を立てて、そのたびに奥歯を噛みしめて彼を睨んでいた。
1か月前、新宿のバーで、セレナがブチギレしておしぼりを彼氏に投げたのである。
腹がたってしょうがなかった。もう、この男とは会話したくないと思った。
「もう、終わりにしましょ。さようなら」と言ってセレナはバーを出ていった。それっきりだった。
しかし、そんなことで元カレが背中を押すだろうか?
「どうだ? 3人の男をみて、どう思う? お前さんを突き飛ばした容疑者は3人。痴漢男とナンパ男、そして元カレだ。真犯人は誰だと思う? いまは時間を戻しているので、まだ犯行はおかしていないがな。3人とも、お前さんに殺意を持っているぞ」
「でも、元カレが私を恨むのはあり得ないと思いますけど」
「そう思うのかい? でも、人間の心理は、お前さんには、わからんだろ? お前さんは、あの人はこうだ、この人はこうだと、決めつける癖があるみたいだなぁ。それでは、人生を間違えてしまうぞ」
「え? どういうこと?」
「ま、とにかく、3人とも動機は十分にあるってことだ。どうする? 痴漢男とナンパ男に謝って、元カレとはよりを戻すか?」
「なんで、私が謝らなきゃいけないんですか? それに、元カレとは、これ以上付き合いきれません」
「じゃ、どうするんだ? お前さんは、少なくとも3人の男から怨まれているんだぞ。職場にも、お前さんを怨んでいる奴が1ダースくらいいるんじゃないか? 戦国武将の武田信玄がこんな名言を残しているぞ。『情けは味方、アダは敵』ってな。お前さんは正しいことをしているつもりだろうが、怨みをかっているだけさぁ。お前さんが、何かことを起こそうとしたとき、誰もお前さんの味方になってくれないぞ」
「別に、味方なんて、いらないし・・・」
「それは、お前さんが本当の自分を生きていないからさ。お前さんは、いったい、なんのために生まれてきたんだ? お前さんの本当の役割はなんだ? どんな任務を受けてこの星にやってきたんだ? 任務を遂行するには、味方が必要だぞ?」
「そんなこと、急に言われても、わからないわよ」
そのとき、電車がホームに滑り込んできた。
セレナは、ホームのなかほどに移動した。周囲に目を光らせて身構えた。ここで死んでたまるか、と思った。
容疑者の3人は近寄ってきたようだが、順番に次々とセレナが睨みをきかすと3人とも目を伏せた。
電車が停まると3人はそれぞれゾンビの群れの流れに乗ってソロソロと歩いた。そして、電車に乗っていった。満員電車だった。
セレナはその電車には乗らずにホームに残って、走り出した電車を見送った。たすかった、と思った。
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