第16話 すべてに意味がある
ミキティさんはジュリーさんを介抱しながら食堂を出ていった。
急に静かになった。食堂には、ワタナベさんとセレナが残され、祭りのあとのような興奮冷めやらぬ空気が流れた。
ミキティさんとジュリーさんの足音が妙に響き渡った。
照明が半分消されていて、薄暗くなっているせいか、セレナの心に寂しげな感慨をもたらした。
ワタナベさんが大皿に盛った料理と取り皿ををセレナの座ったテーブルに運んできてくれた。
ワタナベさんは、もう一度戻って、35度の泡盛古酒のボトルと氷の入ったグラスとシークワァーサーをお盆にのせてもってきてくれた。
「一緒に、呑みましょう。他の人たちとは、自己紹介のあと、一緒に呑んだんですよ」
ワタナベさんは、2つのグラスに古酒をそそぎ、その上からシークワァーサーを握り潰して果汁を垂らした。
緑の小さな果実から、ほのかに酸味の効いた香りがした。
「乾杯しましょう。沖縄では『カリー』って言うんですよ。相手を祝福するおめでたい言葉です。この言葉を乾杯のかけ声にしたのは、オリオンビールの社長さんなんですよね。沖縄らしい乾杯の音頭を流行らせようってことで、採用されたんです」
「へぇ。じゃ」
と答えて、セレナはグラスを受け取り、持ち上げて「カリー」と言った。
「もう1つ、沖縄には『ハナハナ』っていう乾杯のかけ声があります。相手に花を持たせるとか、おめでとうとか、そういう意味の言葉です。八重山地方の言葉みたいですけどね」
「私、ハナハナのほうが好きだなぁ」
と言って、セレナはまたグラスを持ち上げて乾杯をした。
「ハナハナ」
と2人で言って薄く笑った。
「ジュリーさん、どうしたんでしょうね?」
と言ったのはセレナだった。氣になってしょうがなかったのだ。悪酔いしてゲーゲー吐いていたことよりも、「ごめんなさい、ごめんなさい」って、何かに謝っていたのが氣になった。
「呑みすぎちゃったみたいですね。お酒が、あまり強くないのに、ついつい、気持ちが紅潮しちゃったみたいですよ」
ワタナベさんが、心配そうな顔つきで言った。
セレナは箸でナーベラ(沖縄のヘチマ)をつまんで口に入れた。あんかけの甘くて辛い味が口のなかに広がった。つるんとした食感が喉を通る。
「ごめんなさいって、謝ってましたけど、何か悪いことでもしたんでしょうか?」
「いえ、この宿でしたんじゃなくて、人生のなかで、何かやらかしたんじゃないでしょうか? それを、いまでも後悔しているんでしょうね。これも一種のトラウマですよね」
「ジュリーさんに、どんなトラウマがあるんだろう?」
「氣になりますか? 喧嘩した相手でも、氣になりますか?」
「それは、もちろん。憎しみから、喧嘩したわけじゃないし」
「そうでしたね。じゃ、明日は、素直に謝れますか?」
「え? 謝るんですか?」
「謝るのが怖いですか? 謝るのって、勇気がいりますよね。謝れない人は勇気のない卑怯な人です」
「でも、負けを認めると、奴隷になってしまうじゃないですか?」
「暴力をふるったのは、あなたですからね。謝らなければ警察に来てもらうことになりますよ。それでもいいんですか?」
「それは、嫌ですけど」
「ま、その話は、そのくらいにして、飲みましょう」
ワタナベさんは、そう言って、空になったセレナのグラスを取って、古酒の水割りを作った。
そのとき、薄暗い食堂のすみを赤い小人が走った。
「あっ」
とセレナは思わず声をあげた。
「どうしました?」
「キジムナーでしたっけ」
「赤い顔をした妖精です」
「いま、そこを通りました」
セレナは食堂のすみのほうを指さした。
「また、何かイタズラを思いついたのでしょう」
「イタズラを止めなきゃダメじゃないですか」
「いいんです。彼のイタズラは、すべて後々でいい結果につながるんです。イタズラもときには、善行になるんですよね」
「そうなんですか? 信じられない」
「そういえば、セレナさんは、見えないものが見える能力をもっていますよね。キジムナー以外は何が見えるんですか?」
ワタナベさんは微笑みながらグビリと古酒で喉を鳴らした。
セレナは
「東京の通勤列車に並ぶ人たちがゾンビに見えます」と言った。
「マブイを落とした人たちですね」
「あと、私の指導霊が見えます。沖縄のオバァです」
「そうですか、やはり、あなたは特別な人だ。神ごとをする人かもしれませんね」
「神ごとって、なんですか?」
「なぜ、ジュリーさんやミキティさんたちと同じ部屋になったのかわかりますか? この世に偶然はありません。すべて必然であり、そこには必ず意味があるんです。ジュリーさんとのことも、謝ることのできなかったあなたへの試練だし、他の人たちは、あなたが使命を自覚するためにあらわれた人たちかもしれません」
「そんなふうに、考えたことなかったなぁ」
そう言って、セレナは古酒をグイッと飲み干した。
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