015 お勉強…?<後>


図書館から日の下に出て数分。最寄りの自販機の傍を見て姿がないのを確認すると、自販機のある辺りばかりをきょろきょろ見回して歩きまわって見つけた彼女は。

サングラスもせずに一人でパラソルのついた白く丸いテーブルに肘をつけて、優雅にプラスチックの椅子に腰掛けて視線の先にある眼下のグラウンドを見ていた。


テーブルの上に購入したお茶を置いて同じくグラウンドの見える横の椅子を引くと、横目にこちらを見てきた彼女の反応を無視して、話しかける。




「いいのか、顔隠さなくて。後ろから指さされてたけど。」

「別に。…減るもんじゃないし。」


「……まあ、復学したのなら時間の問題か。」


水滴が垂れていくボトルのお茶を掴むとキャップを回して、口をつけると喉に冷たい液体が流れていって、頭の血管一本一本に染みていって活性化されていく。

…行き過ぎて痛むこめかみに掌底でえぐっているとこちらをちらりと見て口を開く。



「人の事を言う前に自分の格好気にしたら。」

「…なんでだよ、制服着てるだけだろ。」


しかめる眼のまま自分の身姿みすがたを見て、首を回して横を見ると。肘をついたままアッシュレッドの髪を風に揺らして、日陰の中で半目でめつける様にこちらを見て、空いている片手で、その着ている薄手のパーカーには存在しないえりを持ってぱたぱたとはためかせた。



「…いつまでブレザー着てるわけ、見てるこっちが暑いんですけど。」

「人の勝手だろ。夏服の上に羽織ってるだけだし、…そんなおかしいかな。」


そう言うと、はっきりと「ええ。」と、発音して否定されて睨みつけるとかわされた。



「ネクタイしてないでブレザーだけ着てるの合ってないわよ。」

「……冷房がなぁ、教室はともかく寒いところ多いんだよな。」


一緒になって肘をついてグラウンドを見ると、こちらをじろじろと見られるのを視界の端で感じる。



「黙ってセーターでも着てれば、似合いそうじゃない。」

「それは、…まあ。夏休み次第かな。」


「夏休みでダンジョン潜るつもりだからその収入で買うよ。」

「それぐらい買ってあげましょうか。」


冗談でも言っているのかと見ると、真顔でこちらを見ていて顔をしかめる。



「なんでお…五線譜に、買ってもらなわきゃならないんだよ、最悪小遣いで買うよ。」

「なんでって知恵の実、ただで貰ったし。お代今払ってあげましょうか。」



「…いいよ、今更。」


家でまだ髪にへばりついた青い血を流してバスタオルで頭を拭きながら見たスマホの検索結果に、六桁の数字で売買されているオークションを見つけて惜しんだ記憶が脳裏に蘇りつつも頭を振って向き直る。



「言っただろ、そういうの貰うつもりでこっちは動いて無いんだって。」

「……ふん。」



「――意固地っていうか、変な所で律儀っていうか。」



正面向いて視線を交わしながら言った言葉に鼻を鳴らして眼を離した彼女を見るのをやめて肘をついたままに見える方を向くと、聞かせるつもりがあるのかないのか分からない小さく口ごもった声で何かを呟いた。





グラウンドを必死に走る陸上部の練習風景を二人でほんの少し見ていると、隣で小さく息を吐いた。

隣を見ると流して見るその目とあった。


「…あの娘、どうにかしてくれない。そろそろ戻りたいから。」


気怠げに「暑いし」と付け加えながらこちらを見るその赤い瞳が、流れて目にかかる髪が、傾きながらこちらを見る姿がやけに綺麗に思えて、視線を下に向ける。


「どうにか、か。」


自分でも気の抜けた曖昧な返事だろうと思うそれを返すと、また小さく音を立てて息を吐く。


「言ったでしょ、真面目にやらないと私の夏休みが消えるんだけど。」

「…真面目にやっても無理とかそういうのはないのか。」


苦し紛れに吐いた言葉に、器用に見える方だけ眉をしかめる。


「やってもないのに誰が諦めるのよ。」

「まぁ…、そりゃそうだよな。」



改めて正面をむいた彼女がしっかりとこちらを捉えて話しかけてくる。

それを姿勢を変えずに迎え撃つ。



「ねぇ、それって惚れた弱みってやつ?」

「…そういうのじゃない。」


「じゃあ強請ゆすられてるとか?」

「それこそまさかだろ。」


目も見ずに手元のもう大分温くなり始めているだろうペットボトルを見たまま答える。


「規模もよくわからない、財閥だか、大企業のお嬢様だぞ。物理的な欲しい物なんて指の一振りで思いのままだろうさ。こんな俺に何を強請るんだよ。」




「手に入ってないものもありそうだけど。」





急に黙ったと思ったら図書館でもしてたように指をとんとん机に叩いて、物憂げに考え込みはじめてその姿を見ていれば、視線を上げて口を開く。



「お礼、何にするか決めたわ。」

「…いきなりなんだよ。」


飛んだ話に突っ込むこちらも何のその、どこかたのしげに口角を上げて眼を細めてこちらを見る。




「あなたに私の夏休みを少しあげる。」


それがまるでご褒美になると疑いようもなく自信に満ちた言葉に、その悪戯を思いついたように笑う彼女に問いかける。



「…それは、疲れそうだな。」

「極上の体験が出来るんだから安いものでしょ。」


「極上ね…、何するつもりだよ。」


一見色めくような言葉に心を揺らしながら、表面上は穏やかに問いかけると。


周りの人目も気にせずに前に乗り出してきて、届いていない耳に囁くように口にすそから半分だけ出したその白い手を添える。



「また聞きたいでしょ、私の歌。」

あなたのためだけに歌ってあげる。


その言葉に、脳内からまた麻薬のように溢れ出す全能感が、響き出す歌が声が憎い。

すっかり近くなったその妖しい笑顔に視線を取られる。



「またダンジョンに付き合ってあげるから、私のために、ね。」


しなだれるようにしてるわけでもないのに、こちらを頼るようなその言葉に。机の手のひらに触れるように傍に置かれた指先に、意識の全てが取られて。

そんな彼女のために、それから逃れるために願いを叶えてしまいたいと、そう思ってしまいたくなる。


普段からやっているのだろうか。そんな事は何となく推測できるのに、簡単なもので心は更に跳ねて踊りだすが、

ただそもそもにして答えは変わらない。



「…話聞いてたか、なんだろうがどうだろうが、やるって言った以上手伝うよ。」

「……だから、そのためにあの娘が邪魔なんだけど。」


完全に視線をとられながらも否定の言葉は口を出ず、ただ視線を交わしていれば、

大きく「はぁ」と息を吐いて、遠ざかっていき元の姿勢に戻るとまた素の表情をしてこちらを見た。




「他はいくらでも優しいのに、あの娘の事になると別なんだ。」

「昔からの知り合いを優先するのは普通だろ。」


思うところのありそうな雄弁な視線に、ただ思っていることを話し出す。





「根底として、淋しいんだよきっと。」

「…淋しいねぇ。」


幼い頃の小さな姿を思い出す。

いくらでも思い出されるその姿の背景には、誰も居なかった。



「小学校に入学してからずっと深令さんと同じクラスだったんだけどさ、学校の行事とか授業参観とか。親が関わってくる所で本当の親御さんが来たところ見たこと無いんだよ。」


今でこそ海外にいる自分の親二人も日本に居た頃は、家に居ないことも多かったがそういう行事のときには欠かさず家に帰ってきて参加していた。

けれど、同じ家に住んでいる筈の彼女の父親は少なくとも自分は直接目にしたことは一度もなかった。



「お母様はいらっしゃらないの。」

「小さい頃に亡くなったらしい、ネットのニュースで見た限りはだけど。」

「……。」


無言で促されるままに続ける。



「家のこともあるし、あれだけの美人だろ小さい頃から悪目立ちしてたから。そういう時に一人で居ること多かったんだ。…だから、よく誘ってたんだ。運動会の昼食の時間とか。」


親は人の多いことが好きなタイプだから賑やかしてくれて、つんと澄ましたように、けれどどこか暗い表情にも見えた彼女がそんな中で笑みを零してくれるのがただ嬉しかった。


大きくなるにつれて、周りの同級生たちの彼女を見る目が異質なものを見る目から、どんどんと憧れへと変わっていくにつれてそんな必要も薄れて。そんなこともなくなった今となってはただの想い出の一ページに過ぎない話だが。




「なるほど、それで懐かれたわけ。」

「…ご令嬢を子犬かなんかみたいに言うなよ。」



首元のうなじをかき、こちらを見ていたその赤い瞳を見る。


「とにかくさ。」


「特にまだ一学期で入学したばかりだろ。同じ中学校から来た生徒も他に居なくて、仲の良かった友達とも離れて。今、心細いと思うんだ。

…少しきつい言い方になる時もあるかもしれないけど。だから、さ。許してあげてくれよ、決して悪気はないから。

今からだけで足りないなら、連絡でもしてくれれば、家でもいくらでも俺なら付き合うから、頼むよ。」


頭を下げて、そう言い切ると返事は帰ってこず、おずおずと頭を上げればそのままの表情でぼんやりと自分の爪を見ていた。



「…何とか、言ってはくれないのか。」

「………。」


その一言に大きく遅れてこちらを見る彼女は、じっと赤い瞳をこちらに向けたままにいて、間を開けて口を開く。



「ねぇ。」

「…なんだよ。」


怒っているのかつまらなそうにしているのか、何とも言えない感情の浮かんでいない表情のままに続ける。



「あなた、私のこと可愛いって思う?」

「は?」


突然の意味のわからない言葉に聞き返すも、聞き間違いではなかったようで続きを促される。


「いいから答えて。」



その言葉に彼女の顔を見る。

今までの会話を、行動を思い出す。


透き通った綺麗な赤い瞳も、形の良い眉も、洒落た格好も、透き通る白い肌も、天真爛漫てんしんらんまんなそのさまも、時折見せる蠱惑的な笑みも、逆に子供みたいな笑顔も、自分本位で、自分勝手で、その割に相手の意志を捻じ曲げて力づくでまでは我を通すわけでもない優しさをどうやら持っているところも。


どれもこれも魅力的で、スターでありこれだけ人気がある事が何故なのかをこの数日に嫌と言う程理解させられた。




「可愛いよ、可愛いし魅力的だよ。そこらを歩いてる誰よりも。」

「そう。」


じっとただこちらを見るその瞳に、

「それだからなんだよ」と聞こうとして口を開くと、彼女の凛とした声に遮られる。



「決めた。」

「だから、何を。」


顔を見て問いかけるこちらに、自然な感じでにこりと笑うと立ち上がる。



「いいこと思いついたから、戻りましょ。」

「…まあ、そっちが良いならいいんだけどさ。」


立ち上がるとやけに近くで隣に並ぶ彼女を見れば、こちらを見ることなく前へと歩いていく。



§


「あーん。」



指につままれた果物が描かれた包装に包まれたままの飴が近づく。

飴とその赤い瞳を交互に見ても行動は変わらず、ついには唇に押し付けられた甘く固くて痛い感触に、耐えきれずに口を開き、口に含む。


特にこれと言った特徴もない甘いキャンディの味を確かめていると、逆隣から彼女にしては低い声が聴こえる。


「…何のつもりですか。」


肩に小さく指先を添えて触れながら吐かれた言葉には触れぬままに、眼を至近距離で見たままに笑いかけてくる。



「美味しい?」

「…まあ、そりゃな。」


「そう。」


にこっと、笑みを深めると。

その赤い瞳にまた視線をとられて。

心臓の鼓動を早めていると、肩に触れる面積が反比例するみたいに離れていくのが分かる。



その白い耳に顔を近づけて、小さくささやく。


「おい、いいこと思いついたんじゃなかったのかよ。」

「いいことは思いついたって言ったけど、丸く収めるなんて言ってないけど。」


囁くこちらに対して声を押さえるつもりもなくそのままの声で、こちらを見る窓際に座るその赤い瞳は外から差す光に照らされて輝かせる。



「ほら、時間も押してるんだから。早く、ね。」

「…わかったよ。」


机の上に両手を置いて止まったままの姿を横目に、舌に乗ったままの甘い飴を転がして対策用に刷られたプリントを取り出した。

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