003 ジョブ

両親もまだ小さな子供だった八十年代、

世界中は一瞬だけ時を止めて、意識が外れたその僅かな合間をうように世界は変質した。


世界の縮尺はずれて、本来存在しない場所に空間をかき分けるように。小さければ一畳程、大きければ県が一つ、海に島が一つ増える程の土地が生まれた。

ただ何もない場所もそれなりにあったが、その多くに共通していたのがこれまで観測されていない植生、そして生物が棲息していることだった。


海中や宇宙はまだしもある程度地上は開拓されつくされて、新たな神秘が尽きかけていた所に現れた超新星の存在に世界は大きく沸き、熱狂の渦の中で現代に至るまで世界は新たな開拓時代を迎えている。


本来であれば一部の物好きだけが狂喜していただけで今頃は歴史の一節に終わっていただろうそのうねりを更に加速させて、未だに続く熱へと変えたのはそれもまた世界の変質の一つ人の変質、ジョブの存在だった。


ジョブ、世界の変質は土地だけでなく人々の存在も塗り替え新たな存在へと進化させたその象徴。


人々は十代の中頃のいつか、決まって眠りから覚めた時に自分が今までの存在ではない何かへと変わったことを知る。


それは、決して望まない変化を生まない。

その人間が生まれてきた環境、性格、目標。人のさがと言われる物に沿って変質は行われ、なってしまえばそれに疑いを覚えることもなくすんなりと受け止められるもの、らしい。


その変質が起きると人々は超能力とも言うべきそれまでの人類には出来なかった超常をなすことが出来るようになり、そしてその力は日々成長をする。


成長の仕方は様々で力によって千差万別だが、同じジョブでも人によって大きく変わることに誰かが気づいた時、皆が疑問に思った。

何が作用しているのか、どうしてそれは起きるのか。

ジョブが生まれて数年、徐々にそれらを繋ぐ共通項を人々は経験則で理解する。


それが起きるのは変質して生まれた世界、公称ダンジョンの物に触れているかどうか。

新しい世界に触れていれば居るほどに力は増し、人よりも増した力は富をもたらす。


ダンジョンに人が群がっていくのは、誰しもが思い至る必然だった。



§


「えー、故に競争が加熱することを恐れ、日本政府はこれらの法を制定し新たな公共事業の一つとして管理することで、雇用を生み出しながら死亡率の低下に成功した訳です。」


棒読みで語られる教科書の見開きの終わりの文章を先生が読み終えると、だいたい同時にチャイムが鳴る。

号令に従い挨拶を終えると、昼休みに突入したということもあってか多くのクラスメイト達はざわざわと楽しそうに声を張り上げながら教室を出ていく。



書き終わっていなかった電子黒板の板書をノートへと写し終えてペンを置くのと同時に、後ろからそっと肩を組まれる。鼻には制汗剤と言うよりは、香水のようなシトラスの匂いが主張しすぎない程度に微かに香った。


「飯食いに行こうぜ。」


高校一年生にして髪型を茶髪のマッシュにして、整髪料まで付けてきっちりと仕上げているのに嫌味にならない、甘い顔をした男に言葉を返す。


「香水つけてるんだな。」

「ん、そうだよ。持ってるけど付けてみるか?」


ブレザーの内ポケットから取り出して、顔に近づけられた強い匂いを発するその小洒落た容器を持った腕ごと遠ざける。


「止めとけよ、お揃いになるぞ。」


そう返すと、「それもそうか。」と離れて真後ろの席に戻る音を耳に、鞄から財布を抜き出して振り向く。


「どこ行く?」

「んー、今日の気分は第三食堂かな。」


一通り周ってみてから一度も変わらない答えを聞くと、席を離れて教室を出る。



「それにしても良かったな。」

「何が?」


教室を出るやいなや、唐突な話に思わず聞き返す。


「何がって、今の授業。社会の選択授業だぜ、体育科の。」

「あぁ。」


今日の朝HRが終わると呼び出され教科書を渡されて、急に受けるように指示された授業だったが、そういえばジョブを得たからこその授業だったか。


「これでやっと、皆揃って一歩目を踏み出したわけだ。」

「…そうだな。」


自分としては特に気にもしていなかったが、意外にも周りの方は気にしていたのか。どこかしみじみと話すその言葉にゆっくりと返す。



「で、戦う系だったんだろ、ジョブ。何になったんだよ。」


歩きながら肩を押されてぐらりと体幹を崩しながらもポケットから学生証を取り出すと、前に出す。

どれどれと言葉に出しながら手元を確認しだすと、徐々についこの前見たような怪訝そうな表情が顔を出す。


「勇者?」

「勇者になったみたいだな。」


どこかふざけたニュアンスも込めながら出した言葉には触れることはなくまじまじと学生証を見ると、「そういうこともあるのか」と独りごちて返してきた。


「勇者ねぇ、魔王でも倒しに行くのか?」

「さぁ?」


特に勇者になりたいと望んでいたつもりでもなかったので聞かれても困ると返すと、ますます何とも言えない顔で首を傾げる。


「まぁ、とりあえず字面的に弱くはないだろうし。今度の実習一緒に組もうぜ。」

「ああ、何も分かんないから頼む。」


任せとけよとそれほど太くはない腕を叩いてアピールする姿を横目に食堂へと入る。



まるでどこかのホテルのレストランかと思うような洒落た場所に内心落ち着かな気なままに、窓際の机を一つ占拠すると向かい合わせに座り込む。

スマートフォンを取り出すと専用のアプリのアイコンに触れて、第三食堂を入力してメニューを開いて。写真が並ぶそれをスクロールしていると思わずといった具合に口にする。


「何度も来てるのに慣れないなぁ、ここ。」

「まあな。」


同じくスマホをいじっている正面から、感情の篭もった肯定が返ってきたので話を広げる。


「本当にここだけじゃなくてさ、全部の施設が凄いっていうか洒落てて、何でもない場所でも写真取りたい気持ちになるんだよなぁ。」

「分かる、…ほら。」


見せてきた四角い画面には学校の風景のサムネイルでアルバムの一面が埋まっていた。


「これで学費も大したこと無いんだもんなぁ、どんなカラクリなんだろう。」

「ま、倍率も凄いのもそりゃそうだろって話だな。」


知らない情報が耳に入ってきて、聞き返す。


「そうなの?」

「そうなのって、それに勝ち抜いたからここにいるんだろお前も。」


こちらを見た苦笑いを浮かべた表情から目を逸らし、窓から見えるテラス越しの風景に目を向けると、ふと思い出す。


「そういえば記念受験で受けたんだよな、ここ。なんで受かったんだろ。」

「…そういえば、勇志ゆうしって頭良かったか。」


同じ小学校へと通っていたが卒業と共に私立中学へと入学していった、見た目と違って頭の出来はいい男のある意味失礼な言葉に憤慨ふんがいする。


「失礼だな、…悪くはないよ。」



何か言いたげな視線を無視して立ち上がると、真後ろに有るウォーターサーバーから水を注いで、机に二つコップを置いて座る。


「特に部活もしてないよな、たしか。」

「中学の時から幽霊部員してたから、ほとんど帰宅部だったしね、今更だし。」


肩をすくめて話すと、何かに引っかかったのか顎に手を当てて考え出す。

無言でうなる姿を傍目に水をあおっていると、思いついた言葉をそのまま話すようにそぞろに口を開く。



「もしかして、学園は勇者になることを分かっていたのか?」

「ないない。」


自分で言っていて確信に変わったかのような表情を浮かべた友人の言葉を即否定する。


「…なんで否定できるんだよ。今の話を聞いてる感じだと、後は裏口入学ぐらいしか選択肢にないんだが。」

「それはそれでねぇよ。」


とんでもないことを言い出した目の前の男に、まくし立てるように返すと。どうだかとでも言わんばかりの視線をこちらに向け続けていたので、少し考えて答える。



「もし分かってたなら普通科の授業を受けさせてた意味がわからないよ。なら最初から体育科の授業を受けさせていればよかったんだから。」


「…まあ、それもそうか。」


納得のいってなさそうな言葉に、更に考えて思いついた理由を重ねる。


「そういえば面接で受けが良かった、気がするし。何か光るものでも見出してくれたんだろうさ、きっと。」

「……。」


絞り出した答えにうんうんと頷いていると、どうやら失礼なことを考えていそうな視線を向けてきたそれを無視して。そろそろ何を頼むか決めようとスマホへと視線を落とすと、甘い声が聞こえた。



「こんにちは、勇志くん、友沢ともさわ君。」


名前を呼ぶ声のする方に視線を向けると、知ったクラスメイトがたおやかに花を咲かせてそこに立っていた。


「ああ、深令しんれいさんも今から昼ごはん?」

「こんにちは、深令さん」


視界の外で挨拶を返した男に会釈をすると、こちらへと向き直って言葉を紡ぐ。


「そのつもりだったんですけど、一緒に来た友達が用で出ていってしまって。宜しかったらご一緒させていただけませんか?」


思いも寄らない幸運に表面上だけ隠しながら喜び勇んで、傍にいる男に問いかける。



「是非。良いよな、かおる?」

「もちろん。」


ありがとうございますと、隣に座る彼女の近さに心臓を跳ねさせながら。何を頼むのかと聞こうかと一巡していると、目の前の優男がそうだ、と口を開く。


「そういえば深令さんの家もここに出資してましたよね確か。」

「そうなの?」


知らなかった情報に薫へと聞き返すと、答えは横から帰ってくる。


「ええ、そうですね。そうだったと思います。」



とんでもないお嬢様であるらしいことは知ってはいたが、初めて聞く実例にほうけていると話を続ける。


「なんか運営側の話とかって聞いてたりしません?例えばこの学園の入学要項みたいなのとか。今話してたんですよ、勇志は勉強も部活も特別な事してた訳でもないのにここに入れたのは何でなんだろうって。」

「そういった話はしたことはありませんが…。」


そこで止めると、ゆっくりと何故か正面ではなくこちらへと斜めに視線を向けると睫毛の長い整った眼を細めて、続きを話し出す。


「…ですけど、勇志くんが入れた理由なら分かりますよ。」

「?」



「何にでも一生懸命で、誰に対しても思いやりに満ちていて。困ってる子が居たら手を差し伸べて、親身になって最後まで助けてしまう。」

「誰にでも。優くて、皆に愛される。芯があって、聞き上手で、心が広くて、悪い、子もすくい上げてしまう。頼りになる、とっても素敵な方。」



「面接官の方にもそう伝わったんですよ、きっと。」


「…あーそうですか。」


思っても見なかった高評価の羅列に照れて、外していた視線を正面の男へと向けると何故か笑顔を固くして、こちらを見ていた。



「なんだよ、言葉通りだろ?」

「いやー…まぁそれで良いんならいいけど。」


濁した言葉に疑問を浮かべていると、

そうだ、と立ち上がるとスマホをポケットに入れて椅子を押す。


「そういえば、昼休みミーティングあったの忘れてたわ。」

「え、飯は?」


「こっちはこっちでどうにかするわ、後でな。」



急すぎる展開に声をかけるのも流されて、どこかへと去っていく後ろ姿を見送る。

二人残されてどうするかと考えていると、隣で椅子を引いて立ち上がる。



「二人でしたら隣では話しづらいですし、前に座りますね。」


隣から離れていく事に若干寂しく思いながらも、正面の彼女に謝罪の言葉をかける。


「すいません、せわしなくて。」

「いえ。」



座るやいなや両肘をついて顔を固定するように顎の下に両手を置いたどこか幼いポーズをとった彼女は、にこりと笑いながらこちらをじっと見つめていて。

そんな視線に少し照れて視線を外した下方、そんな彼女の手首には、太い鎖で繋がれたターコイズのブレスレットが揺れていた。

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