012 ハリケーン


制服に袖を通して、玄関で外の光を頼りにかかとを潰して靴を履くと、指で戻す。

鞄を肩にかけて、扉を掴んで開いた空は薄暗くも光が漏れ出ていて、雨の勢いは弱くて静かだった。

点けていたテレビで流れ聞いたようにどうやら台風は消えて、週末を前に温帯低気圧に変わったらしい。


空気に漂う水の匂いが鼻について、雨の存在を見た目よりも強く知らせる。

扉に鍵をかけると、傘立てにかけた傘を広げて掲げて、耳にはイヤホンをつけて。雨の下へと出た。





§


しとしとと降りそそぐ雨を見ながら、蒸した身体を冷やすように満腹の腹を抱えてアイスをかじる。


遠くから聞こえてきたざわめきのせいみたいに。高級住宅の自宅のカーポートにでもあるようなプラスチックの小洒落た屋根から垂れた水滴がぽたぽたと落ちて、コンクリートの地面を色を濃く濡らす。



音のする方へ見つめていたら、人混みが担架を中心に動いているのが現れて、立ち上がる。

硬そうなベストを着けた生徒だろう同年代の男がうめきながら、必死に手を握られて声をかけられて。通り過ぎていき、鉄の扉の地下通路へと消えていく。



「ああやって、地下通路の高速装置に乗せられて大学病院に運ばれるんだな。初めてきちんと見た。」


座ったままカップアイスのプラスチックスプーンを口の端に咥えて同じものを見ていた男が、隣で気怠げに深く座って膝に肘をついて、顎をついたままに小さく呟いた。



「…大丈夫かな。」

「死ななきゃ、なるようになるだろ。」


ポーズは変わらず、僅かに濡らした茶色の髪を風に揺らして。鉄の扉を見つめたまま話す言葉は聞きようによっては冷たくて、けれどそれはこの学校に入った時点で皆が抱えている覚悟の現れなのだろう。


自分以外は、きっともう。




「なぁ、次の時間自由鍛錬だろ、まだあれ使うのか。」

「…うーん。」


多分しているのだろう、借りっぱなしになっている組み立て式のパイプ棒を思い出して。手に馴染まない感覚も思い出す。



「夏休み一緒にどっか遠征行くんだろ、そろそろ決めたほうが良いんじゃない。」


いつまでも、あんな棒使うわけにはいかないし。とこちらを見て言うその視線に。眼からアイスに視線を移して、垂れ落ちる溶けたアイスのマーブル模様のしずくを口に入れる。



「なんか、どれもしっくりこないんだよな。」

「…剣士なら剣を握れば軽く振り回すし、いつも見てるみたいに俺なら重い盾を持ってたって走ることだって出来る。勇者にもそういう得意武器みたいなのあるんじゃないの。」



手に持つ白とピンクの甘い棒アイスをまた齧って、考える。


勇者の得意武器、か。

いつかに聞いた冗談を思い出して、聖剣じゃなくても直剣にレイピア、刀に大剣と片っ端から剣を握って振ってはみたが。身体が持っていかれるばかりでいまいち話に聞くような感触はなかった。

勿論ぴかぴか光らせることは出来たとはいえ、ポケットティッシュですら可能なそれに意味は殆どないも同然の話で。




「………。」

「…まぁいいんだけどさ。棒振り回してあんなでかいの倒せるんなら。俺より既にやれるし。」


だいぶ時間が経ってもこれまで一度も聞かなかった話が、見知った相手の口から出たことに驚いて、目を向ける。



「見たのか、あれ。」

「もう結構出回ってる話だぞ。なんせ、チャンネル開設して一回もしてなかったライブ配信のアーカイブにバッチリ写ってるんだからな。あの新世代の歌姫の。」


気怠げな態度を一変させて面白いものでも見つけたように、腰を落としてこちらを見る顔のその口角が上がった事に顔をしかめてみせる。



「まさか、夢じゃなかったとは思わなかったよ。」

「…別に、夢でも良かったんだけどな。」


まだまだ聞きたそうな、言葉を流して、最後の一口を食べる。

ブレザーの脇ポケットに手を突っ込んでいた、もう片方の指に絡まるイヤホンのコードに触れると、心臓が跳ねて目を細める。



不意に立ち上がるとゴミ箱にプラスチックの棒を捨てて、隣を見ると。まだまだ話を続けようとしながらも、すでに空になっていたカップをからからと底を刮いでスプーンを舐めるのを止めて、立ち上がる。





「あ、友沢くーん!」

教室に帰るかどうするかと、考えていると食堂から出てきた女子の二人組の一人が名前を呼ぶと隣の男は楽しげな笑顔を浮かべて、話しかける。


陽菜ひなちゃんもご飯終わり?」

「うん。友沢くん達はアイス食べてたの?」


確か同じクラスだった可愛らしいクラスメイトと話す伊達男は楽しげで、それ以上に女の子の方は甘い視線を向けていた。



「…陽菜、友沢君と一緒に遊びに行ってからメロメロになっちゃって。」

「そうなんだ。」


いつの間にか、隣に来ていたもうひとりのクラスメイトは。気を利かせてくれたのかただ暇だったのかこちらを見て、ぎこちなく笑いかけて控えめに話してくれる。


「いいの?っていうのもおかしいけど、伊藤さんは。」

「私はいいかなぁ、友沢君みたいに遊んでそうなのはあんまりタイプじゃないし。…それより、私の名前覚えてくれてたんだ。」


首を傾げて下から目を見てくる、クラスメイトに見返して答える。


「同じクラスだし覚えてるよ。下は莉子りこさんだっけ。」

「ふーん。」


意味深に見てくる彼女に、言葉を返そうとすると肩を叩かれる。



「教室帰んない?」

「ああ、分かった。」


声をかけるだけかけると、自分はまたクラスメイトの隣について話し始めて、屋根のある道に入って、教室に向けて歩き出すのを後ろから追いかける。



「ちょっと、意外かも。」

「うん?」


歩き出すとまた隣に並んで、薄暗い中こちらを見上げてくる。近くで輪郭を捉えてみれば間違いなく美人だった彼女の顔を見る。


「矢加茂君、友沢君以外とも仲良くしてないし。あんまり他の人に興味ないクールな人なのかなって思ってた。」

「ただ、友達少ないだけなんだけどね。」

「…そうなんだ。」


苦笑いを返すと、一瞬思案するようにしていた表情を変えて、にこりと笑ってまた違う話を振ってくれる。




帰っていく数分の中、雨音を背景に他愛もない会話を繰り返して、

途中で屋根が無くなって、持ってきていた傘を彼女に傾けて二人で入りながら話していたら、赤レンガの教室が遠くの方に見えてきた。



「―――じゃあ、矢加茂君も昔の洋画見るの好きなんだ。」

「サブスク入って名作って言われてるの片っ端から見てるだけだけど…、趣味合うね。」


「…そうだね。」


会話の途中で向かい合っていた視線を外したと思うと、また向き直ってこちらの眼を窺うように見てくる。



「……ねぇ、矢加茂君友達少ないんなら、私と友達にならない?」

「本当、話せる友達少ないから嬉しいよ。」


本心から喜んでそういえば、笑い返してくれて可愛らしいケースに入ったスマホを取り出す。


「じゃあ、ID交換しよ。」


手早く操作して、学園専用の連絡用アプリケーションを起動して見せてくる彼女に頷き、ポケットからスマホを取り出して操作する為に視線を落とす。




「私、友沢君はタイプじゃなかったけど、矢加茂君なら…、あ。」

「あ?」


何か言おうとして、突然言葉を途切れさせた彼女の方を見るために視線を上げれば、急に表情を固めてどこかこわばった顔を浮かべる彼女がいた。


「どうかした?」


先程までの空気感のままに笑いかけて視線を合わせるように少し首を傾けて聞くと、唐突にスマホの画面を消して仕舞ってしまい、こちらを見ることもなく。


「…その、じゃあまたね。矢加茂君。」


作り笑いを浮かべたように一瞬見えた気がするがきちんとは見ることもなく、言い切る前に足を進めて、傘から抜け出して雨の中に一人で早足で教室の方へと去ってしまった。


「あれ?」


理由もない急な展開に戸惑って、その後ろ姿を追っていくと。



水を跳ねて早足ですれ違っていく。動かないメリーゴーランドの横で質が良さそうな品のいい傘をさして、丁度そこに立ってこちらを見ていた深令しんれいさんと目が合った。





「どうしたの、そんなところで。」

「…仲いいんですか、伊藤さんと。」


曇った背景の中でもそこにいるだけでぽつんと花を咲かせる、彼女に話しかけると予想外の答えを返される。



「え、いや。今初めて話したけど。」

「……でも。」


正直にそう言うと、ぽつりと、傘に隠されてしまって表情のわからない彼女は雨に消えてしまいそうな声で話した。



「…私ともID交換してくれませんか。」

「え?」


聞き返した言葉に返すことはなく、スマホを取り出して操作をする彼女を前に取り出したままになっていたスマホの画面を彼女に見せる。



電子音が鳴ったかと思うと、友沢と、男子数名だけが登録されていたリストに彼女の名前が並んだ。


「ありがとう。」

「…いえ。」



なんと返せばいいのか分からなくて、口を出た感謝の言葉に普段よりか細い声で答えが返ってくる。

どうにも、いつもと違って調子の狂わされる会話に続く言葉を考えていると、両手でスマホを握り、話し始める。


「私も、その。」

「えっと。」


体調でも悪いのかと、屈んで目を見ようと傘の下に頭を下げようとするとその前に彼女の傘が動いた。



「…私も映画好きですから。」

「そう、なんだ。」


傘を上げて綺麗な瞳を見せて、視線を交わしながら知らなかった彼女の一面を聞かされると、また傘を下げると背を向けて、そのまま教室へと去っていった。


頭をかくと少し距離を開けて、後を追うように歩き出す。



§



片耳を外した新品のイヤホンから僅かに音が漏れる。

水たまりを避けるように、少しだけ曲にのるように踊るように跳ねて、傘を揺らす。


駅まで最短距離ではない、一本ずれた人の来ない道であることをいいことに人の目を気にせずに、音楽に耳を傾けて。ほとんど雨も止みかけて小雨になっていた石レンガの道を歩いていく。




紅を引いたように真っ赤な傘を手に小さな東屋の下、ひとり座っている後ろ姿が見えた。


イヤホンを外して、跳ねる足並みを止めて。その横を通り過ぎていこうとすると、その赤い傘が上がって、制服を身に纏ったアッシュレッドの髪をした女性のその赤い瞳と目が合う。



「あ、いた。」

「…なんで、ここに。」


驚いて、目を見開いてその姿を見つめる。



「幽霊が居たみたいな反応されるいわれもないでしょ。同じ学園生なんだから。」

「……休学はどうしたんだよ。」


その問いに読んでいた、半分折りたたんだプリントをこちらに向けて見せる。


「復学したの。」


何でも無いかのように語りながら見せたそのプリントには確かに復学の二文字が記されていたが、に落ちない思いを言葉にしながら彼女に迫る。


「いや、なんでこんな時期に。もう一学期も終わるのにこのタイミング復学してどうするんだよ。」

「面白そうだから、じゃいけない?」


悪戯に成功したみたいな、蠱惑的な笑みを浮かべてこちらを見る彼女に、視線をずらす。



「あなたのおかげで一区切り付いたし、そろそろ復学しようとも思ってたから。――思いたったら、すぐに行動したいじゃない。」

「…簡単に言うのな。」


休学とか復学とかそんな単純なものではないと思っていたのだが、気のせいだったのだろうか。

そんな考えを他所に、留まることを知らずに話を続ける。




「そうだ。せっかく会えたんだし、一つお願いしてもいい?」

「お願いしてばっかりだな。」


「役得でしょ。」


そういって笑顔を見せられるとそれだけで許してしまいそうになる、そのずるさに腹立ちつつも、目を見て無言で話を促すと、またにこりと笑う。




「ねぇ、勇者様、勉強教えてくれない?私に。」


初めて合ったときと同じ様に不遜ふそんな態度を隠そうともせずに。その赤い瞳を輝かせて。雨の止んだ光が差す東屋の下で、彼女はそう言った。

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