011 嵐の前の静けさ


想像できる弓にはないその近代的でメカニカルなパーツを目に、見様見真似でつるを引く。

照準の先にまとがあるのを確認すると、矢を掴んだ指先に視線を向ける。


接触点の先が身体の一部になったようなイメージの元、その血を巡らせるように込められた光は流し込まれるままに強くまばゆく輝いていく。

光源となり陽の光が遮られた屋根の下で白い光が指先に反射するのを見て、姿勢を保ったままに力を抜くように矢を離す。


想像よりも速い速度でられたその矢は、光を残したまま若干深く的へと刺さって止まる。




「そのまま壁まで貫いていきそうな見た目の割に、結果は案外地味だよな。」


順番待ちをして後ろで見ていた、学校指定のジャージ姿を着崩したその男は前に出たかと思えば、手で傘を作り的を見る。



「相手が生物ならとんでもない事になるんだけどな。」

「…発光してる時は近づかないようにしておくか。」


分かりやすく一歩遠ざかるのを横目で睨みながら。


すぐ近くで弓を構える、髪を後ろに一括で結んで白い首筋を覗かせた、ブレることなく背筋を伸ばして怜悧れいりさを見せたその眼差しを的へと向けて、静かに見据えるその立ち姿に見惚れる。


青い空の下、放たれたその矢は。的の端にお情けで当たっていた自分とは違い、その中心に吸い込まれるように鋭く刺さり込んで、息を吐くように肩を下ろして弓を下ろす。



「…目の保養だ。」

「………。」


半歩前の横にいるその男の何かしら言いたげな視線を感じながらも、ぼんやりと見ていたらこちらを見たその目と合った。

ゆっくりとにこりと微笑んで、また視線を外して集中する。その動作一つ一つにまた目を取られていたら、指導をしていた教師がその時間の終わりを告げる。



§



HRが終わり、帰り支度をしようと鞄を机に引き上げると、教壇から名指しで先生に呼びかけられ、顔を上げる。


「荷物持ってでいいから、後で職員室に来て下さい。」

「?、はい。」



突然の呼び出しに面食らいながらも、準備を早々に済ませて教室を飛び出す。



急に曇り始めた空模様に、嫌な予感がしながらも一歩踏み出したそのローファーにぽつりと水滴が落ちて、表面をたれて落ちていく。

鞄から取り出した折りたたみ傘の骨組みの先からしたたり落ちる、まだ勢いのない雨粒を見ながら小降りの雨の中を歩いて、まっすぐに職員室へと向かう。



屈んで入口の脇に荷物を置いて、立ち上がると扉にノックをして中へ入る。

顔も見たこと無い並んだ机に座る先生の中から、見つけようと背伸びをして見回すと。思ったよりすぐ近くの応接用のソファーに座った先生と目が合い、近づく。



「早かったね、もう少しゆっくりでも良かったのに。」


マイカップを片手にノートパソコンを操作しながら小さく笑う担任の先生に、居住まいを正して少しでも印象が良いようにと下手したてに問いかける。


「その、何かしましたか。」

「うん?あぁ、まあ何かしたかといえば、そうなんだけど。」


歯切れの悪いその言い方に、どうやら自分でも知らない内に何かとんでもない事をしでかしたという訳でもないようで、少しほっとする。



矢加茂やかも君、先週の土曜日に学外のダンジョンに潜ったりした?」

「はい、…申請とか必要でしたっけ。」


「ううん、学園として把握したかったみたいで、上に聞かれてね。なら、蛇も倒したんだ。」

「どこまで知ってるか知らないですけど、別に一人でやった訳じゃないですよ。」


柔らかく答えてくれたと思ったら、急に声を潜めて聞かれた言葉に。青く染まった視界を思い出し、正確な答えを返す。

あそこに居たのは確かに自分一人だったが、傍に飛んでいた桃色のドローンのその先、耳に聞こえていた、あの曲が無ければそのまま倒れて。気絶したままに職員に引き摺り出されていただけだった。


思い出すだけであの曲が、歌声が、言葉が頭の中で響いて。心臓が揺れて、甘い全能感という名の幸福物質が脳ににじみ出ていく姿を幻視する。



「…そっかあ、なるほど。」


そう言うと何やら、指をとんとんと机に叩いて考え込みだしてしまった。

退出するわけにも行かずに黙って見守っていると、手持ち無沙汰にしていたこちらに気がついて、口角を上げて謝罪の言葉を口にした。


「ああごめんね、用はこれだけなの。わざわざ職員室まで呼び出しちゃって悪かったね。」

「…いや、別に。」



席を立って帰路につこうとソファに手をつくと、こちらの前に封筒を差し出される。


「後、ついでにこれ。保護者の方に渡してくれる。」

「はい。中身なんですかこれ。」


そう言うと、腰を浮かせて封筒を手に取り、中を少し出す。


「追加の教材費代。封筒にお金入れて、ここに名前と判子貰ってきてくれる。」

「分かりました。」


また少し考え出した担任に退出の挨拶を言うと、席を立ち雨音が強くなり始めている人工灯が明るくする扉の外へと出ていく。



§



夜、

自宅の玄関から履き慣れた靴を履いて外を確認すると雨脚は更に強まって、横風に吹かれた雨は傘をさしていても顔にかかる。

ポケットにハンドタオルが入っているのを確認すると、鍵を閉めて出かける。


星もない暗がりの中、住宅街の他の家から漏れる光を頼りに水を蹴りながら進み、大きな道が近くに見える定食屋ののきに入ると傘をたたんだ。



「こんばんわ。」

「おう、来たか。」


OPENと書かれたプレートがまだ吊るされた扉をひいて中を見ると珍しくがらがらのようで、客の居ない店内でレジ裏に座って暇そうに新聞紙を広げていた店主はこちらを見た。



「もう閉めちゃったの?」

「…まだ閉店時間には早いんだがなぁ、そうするか。」


立ち上がると、「台風来たせいで商売上がったりだよ本当。」と、

独り言を吐くようにぼやきながら外に半身を出してcloseにすると振り返る。


「おう、座っとけ。」


言葉の割に優しい声色でそう言われて。

カウンターに座ると奥から暖簾のれんを押して少しだけ歳上の看板娘がエプロン姿で出てきて、客商売をしているだけあって慣れているのだろう満面の笑顔でこちらに近づく。


「こんばんわ。勇志くん。」

「お邪魔してます。」


「邪魔なんて無いよ、いつも言ってるけど晩御飯だけじゃなくて朝だって来てくれて良いんだからね。」

「いや、流石にそれは。」


その心配そうに見てくる顔を見ていれば、社交辞令ではないのは分かってはいるが。これ以上迷惑を掛けるのもどうなのだろうと考えれば、答えは変わらない。

そうしていれば、お冷を入れたコップを手にした強面こわもての店主が「そうだぞ、」と続く。


「何食ってんのか知らんが、どうせ適当な物しか食ってないんじゃないか。朝からきちんと食わないと力でないだろ。」

「毎日晩ごはん美味しいもの食べさせてもらってるから、栄養は大丈夫だよ。」


その答えに気に入らなかったのか鼻を鳴らして、頭を手の皮が厚い手で強く撫でつけられる。



「こっちは保護者として預かってるんだから、甘えとけば良いんだよお前は。」


親友の息子でしかない自分に対する強くも優しい愛情表現に、ただ嬉しくなる。



「それで、今日は何食べたい?」

「じゃあ、おすすめで。」

「おう。何か余り物適当に盛ってきてやる。」


答えを聞くとすたすたと目の前から去っていく店主を見送る前に、

先にと、持ってきていた水はけの良い鞄からクリアファイルを取り出す。


「ごめんおじさん。今日貰ったプリントに保護者欄あるから、後でこれ書いてくれる?」

「おお、そこ置いとけ。」


裏の調理場へ暖簾を潜る前にそれだけ伝えると。こちらを見ることもなく、作りに行ってしまった。



「何のプリント?」


代わりにと、カウンター越しに三角巾をとって垂れてきた髪を押さえて、しげしげと覗き込んできた彼女に封筒を開いて見せる。


「教材費だよ。ここにサイン欲しくて。」

「こんな時期になんだ。」


当たり前といえば当たり前のその疑問に、まだ伝えていなかった事に気づいて目の前の優しい目をした垂れ目の歳上の美人に教える。


「実はジョブを得たんだ。それで受ける授業が変更になってさ。」



ポケットから財布を取り出し学生証を引き抜いて前に差し出すが、目の前の彼女はそちらは見ずにそういえばとでも言いたげに手を合わせてこちらを見る。


「聞いたよ、勇志くん無茶したんだって。」

「え?」


どこか叱りつけるような声色を作って、こちらを見る彼女は怒っていますとでもとでも表現したいのだろうけれど、醸し出す柔らかな空気感のせいでまるで怖くない顔をして語りだす。


「まだジョブを授かって少ししか経ってないのに、ダンジョンの奥まで入ったんでしょ。」

「なんで、それを。」



ちょうど今日、同じ質問をされた事を思い出し、何故話が広がっているのかと聞いてみれば。ポケットからスマートフォンを取り出すと、何やら操作をして目の前に優しく置かれた。


画面に映っているのは動画配信サイトのアーカイブのようで、そっと画面に指が置かれると再生される。



「学校でね、友達にこれを見せてもらって。後ろの男の子勇志くんじゃない、って。」



途中まで飛ばされたその動画には、

定点で映されたサイレントモードなのか口パクで歌う。どこかでみたピンク色のパーカーを外し、サングラスも取ってその蠱惑こわく的に光り輝く赤い目を見せた帽子を被った女の、その背景。

大画面のスクリーンには、青い血を撒き散らし全身に淡く赤い光をまとって棒を振り回す紛れもない自分の姿が映り込んでいた。



「…あいつ、配信までしてたのかよ。」


「こんなに大きな蛇相手に、しかも一人でなんて。」


聞かされていなかった事実に呆気にとられている中で、

震える声に、見上げれば。瞳を揺らして、不安そうな表情でこちらを見ていた。



「そんな、言ってくれれば私だって。手伝えたかもしれないのに。」


今も、また心配そうな顔で流れるアーカイブの背景を見る彼女に、その視線を遮るように画面に手を置いて停止させる。

動画が停止してもその表情は晴れることはなく、見るその目の先がこちらに変わっただけだった。



「…一歩間違えたら死んじゃうかもしれないんだよ。」

「その、大丈夫そうだったからやっただけで。無理そうなら戦わずに逃げてたよ?」


問題はなかったのだと、嘘をついて。

無理に明るく説明していても、こちらを見続ける彼女に、続ける言葉を変える。



「心配させて、ごめんね。」

「……約束してくれる。無茶なことはしないって。」



ダンジョンに入る以上、多かれ少なかれ危ないと感じるようなことはこれからいくらでもあるのだろうと思う。

だから、約束なんてしても無駄だ、と。言葉にするのは容易い。


そんな事をここで言うことが正解なわけがない位、自分にでも分かる話だったし。

何より、垂れ目でいつも笑っているその目が、悲しんだ時の揺れた眼差しに弱かった。



「約束するよ、これからは気をつけるね。」

「…約束だよ。」


前のめりになって、念を押すその姿に。暖かな気持ちになって笑うと、「もう」と、うってかわって少し怒りだすように表情を作る。そんな仕草にまた笑うと、すぐにいつもみたいに微笑んでくれた。



「お父さんも言ってたけど、自分でどうにかしようとしないで、勇志くんはもっと人に頼ってほしいな。」

「…そんなつもりは無いんだけどな。」


頑固者かのように言われるが、自分ではそんなつもりは更々無い、つもりなので。

不服だと、示すつもりではないが視線を他所に外すと、小さくカウンターが軋む音がして前を向くと、すぐ近くに手のひらがあった。



「私にも、いつでも甘えてくれて良いんだよ。」


カウンターに座ったその頭に触れるように、伸ばされた柔らかな手で優しく撫でつけられる。


少しのようで、長いような時間そうしていると、不意に見た彼女の瞳と目が合う。

意味もなく視線を交わしていると、火のついたように顔を赤らめていく。



「なん…てね。」


ゆっくりと触れた手のひらが離れていくのを目で追っていくと。

触れた腕をもう片方の手で掴むと頬を赤らめて、目を逸らす。


恥ずかしいならやらなければいいのに、

それでもしてくれた彼女に感謝を告げる。



「ありがとう、亜音あねちゃん。」

「……うん。」



引き戸に吹きすさぶ雨音が強くなっていく中、裏手からまな板に包丁を叩く音が聞こえるのを耳にひどく落ち着くのを感じて。自分が意外と寂しいと思っていた事を知った。

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