010 彼女


その花が咲く。

絵になるたたずまいに見とれて、精緻せいちな横顔に視線が釘付けになる。



彼女がその長い手入れの行き届いた輝く髪をなびかせ歩けば誰もが振り向き、感嘆して溜息ためいきを漏らす。

そう、自分だけの話じゃない。


学業優秀、運動を競えば好タイムを切り、それをひけらかさない。

習字をかけば職員室の前に貼られ、合唱となれば列には並ばずに一人目をつぶるように細い目でピアノを弾く。


誰にでも柔和に笑顔を振りまき、少しひいた距離から周りをはなやかせる。



話に聞くその出自や家柄も相まって、同じ学生であっても気軽に近づくことは出来ない。

そのさまはまるで、高嶺たかねの花のような。



これまでの話は、彼女の姿を傍目に見ていれば誰でも口にできる話で、

そんな誰でも知れることは知っていても、小学中学、そして高校と。産まれてから殆どの時間、同じ空間で長い間その姿を見ていた筈なのに、それ以外に知ることは少ない。


こんなにも近くに居るのに、きっと彼女の人生の中ではクラスメイトの一人以上の存在になることはこんな俺には出来ないだろう。



そう思う度に勿体ないことをしてきたと、少し思って。

目を向ければ、また彼女の姿に見惚れて何も言えなくなる。


そのアンニュイさを浮かべる横顔の裏で、今何を想っているのだろうか。



§


水路に沿うように建ち並ぶ。石のその赤い色がそのまま使われている、日常風景に見ない縦に細長い出窓が何個と貼り付けられた海外様式の家々を、歩きながら水面に映るその姿から見ていたら。

建物の陰の中で目の前に立ち止まる、スカートが揺れる人の影に見上げる。



勇志ゆうしくんもお一人ですか?」


教材を持ち運ぶのに特化しているのだろう小さな鞄を膝の前に両手に持ち、下向いたその視線に入ってくるように身体を傾けてこちらを見る瞳と目が合う。


「他の所寄ってたら、置いていかれちゃって。」

「…一緒に帰りましょう。」


薄く微笑んで隣に並ぶ彼女の言葉に嫌という訳もなくて、歩幅を小さく歩き出す。



深令しんれいさんはもう慣れた?この学校。」

「慣れたって言いたいですけど、たまに迷いそうな時があります。」


はにかみながら、話すその姿に目を取られて。

そこから外すようにウッドデッキに置かれたビニールの傘越しに空を見上げて、口を開く。



「元にあった遊園地を居抜きで使ってるらしいけど、大分増築を重ねてほとんど違うっていうし、創設者そうせつしゃの誰かの趣味なのかな。」


頭に浮かぶ何人かの有名人の顔を脳裏に映しながら誰だろうかと、そう思いながら語れば。

「あの、」とれるように、語りかけられる。


「…勇志くんは好きじゃないですか?こういうの。」


身長の差で上目遣い気味にこちらを見る彼女に、まさかと答えを返す。


「毎日、何か学校に来てるって感じがしなくて。ただこうして歩いているだけで楽しいよ。移動教室の時に少し歩くことになるのはたまきずだけど。」


頭をかいて冗談めかして返すと、どこかほっとしたように笑顔を取り戻す。


「良かった。」



その表情にまた、容易たやすく恋に落ちて。

目を瞑って、まぶたを開くとまた。友達に話すように言葉を飾って声をかける。



「深令さんは、この学校のこと好き?」

「…私も好きです。何でも無い時間に見上げながら歩いている、こんな今も全部。」


足を早めて半歩前に出た、その後ろ姿を見ていたら振り向いた瞳と目が合う。

言葉もなく交わされたその視線に魅入みいられて、立ち止まったまま風に吹かれてただ見ていた。



遠くから聞こえた足音に正気に戻って、視線を外す。


「早くしないと、次の授業始まっちゃうかな。」

「…そうですね。」




少し歩いて角を曲がり、小道を歩けば。

景色は一変して、動かないメリーゴーランドの奥に。赤レンガの倉庫を模した教室の列が見えた。


外廊下の屋根に入って、教室も近づいてか会話もなく先程より距離をとって並んで歩いている中、癖のように他のクラスの教室の中を端から眺めていく。


どこかで見た表札の付いた教室を前に、歩きながらも歩幅を縮めて肩を入れてその中を見ようとすれば、差し出された白い指先に頬を撫でられた。



突然のことに何も言えずに、逆ほほを持たれて僅かに力を込められたその動きに逆らうこともなく首の向きを変えられて。正面に立つ、驚く程近くにあった、隣にいた筈の彼女と向き合う。



泣きぼくろさえもよく見える、その近すぎる距離感に。流石にどぎまぎとしてすぐに首を動かそうとしても、添えられただけのはずの熱くなる指先を振り払えずに透き通る綺麗な瞳を見るしかなかった。


トイレに行くのだろう、隣のクラスの教室から出てきた。ぎょっとするようにこちらを見る男子生徒も無視して、この目を見て微笑む彼女は何も言わずに、じっとただ続けて。


このままでいられない破裂しそうな心臓に、どうにか絞り出す言葉は。こんな時でも格好つけた冷静さを気取ったつまらないものだった。



「…どうかした?」


言葉をいても、動かない彼女に。

続く言葉も思いつかずに表面上ただ困らせた顔をして、頭の後ろで百面相ひゃくめんそう。誰かどうかしてくれないかと祈っていたら。


こちらの言葉に付き合うように、頬から手を払うように一度触れたと思ったら離して、遠ざかっていく。



ほこりが付いていましたよ。」

「……そっか。」


そんな筈のない言葉をにこりと笑ってつくのを、苦い笑顔を浮かべて返した。


立ったままの自分を置いて、鞄を手に持ったままに軽やかに歩いていき。

こちらを一瞥して、教室へと入っていく。


その姿を見送って、ようやく息をついた。




「…何だったんだ。」

「見せつけてくれるな、ゆーしくん。」


肩に寄りかかられた方を見れば、同級生の女の子と話すことを優先して置いていったつらのいい男が教室の方を見て、立っていた。



「まあまあ前から思ってたけど、なんか中学で見てない間にパワーアップしてない?深令さん。」

「こんな事されたのは初めてだけど、小中高同じクラスで見て来たけど普段は変わってないよ別に。…何かしたかな、俺。」


事前動作のない突拍子がない行動に思案していると、肩をがたんと押されてよろける。



「何すんだよ。」

睨みつけた事もどこ吹く風、また肩に手をついては溜息をつくように息を吐く。


「十年間も一緒で、いじらしいというかなんというか。」



小さくぼやくようにぶつぶつと呟くと、

「ん…?」と、肩から手を離して何かに気付いたような素振りを見せながら思考を始めた。




「…十年もずっと同じクラスだったのか?」

「ああ、そうだけど。」


軽く思い返してみれば、確かに記憶に残る全ての学校行事のどれにも・・・・彼女の姿があった。

小学中学と、どこを切り取っても絵になる記憶の中の彼女の姿にまた、ほうける。



「いやだって小学校で六年間毎年クラス替えがあって。しかもお前の中学校って七クラスあったよな。」

「よく覚えてるな、別の学校なのに。」


昔から変わらないその物覚えの良さに感心していると、返答もなくただこちらを見る。


「なんだよ。」




「…まさかな。」

「は?」


へらりと笑って一人で納得したように、こちらを一度見て戻っていく後ろ姿を見て、今度はこちらから肩を押そうと手を伸ばした。

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