008 はじめてのダンジョン③-3


『準備はいい?』


夜空のような深く暗い青色のグラデーションをした蛇がこちらを見ることもなく、部屋の中心で舌をちろちろその場でうねりながら鎮座ちんざしている。

その様子を木々の隙間から伺いながら、ほのかに甘い携帯食を飲み込んで聞こえてきた声に、目の前に浮かんだドローンを見て答えを返す。


「できてるよ、そっちは?」

『歌の方は勿論大丈夫。…ただ、もう少し待ってくれる。機材が準備中だから。』


「そんなに大掛かりなことしようとしてるのか?」

『ええ、せっかくの正念場なんだから、舞台で歌うつもり。』


『人前で歌うのなら、妥協は嫌でしょ?』


そこまで言うと、後ろから聞こえてきた声にマイクから声は遠ざかり、なにやら指示を飛ばしているのが終わるのを待つ。



『とにかく、もうちょっとだけ待ってもらえる、今映像の出力確認中だから。――待つのも出来る大人の甲斐性かいしょうだって言うでしょ。』

「…そういうの、待ってる側が言う言葉だと思うけどな。」


忙しそうにしながらも喜色をはらんだ言葉に、特に急かすこともなく合間をついて言葉を投げる。



「後ろでやってくれてるのは、ここの職員か?」

『ええ、メインステージでやるなら、せめて歌う時に照明つけてほしかったからお願いしてるの。』

「…メインステージ?」


聞こえてきたワードの違和感に、聞き返せばすぐに答えは返ってくる。


『そう、メインステージ。どうせ歌うなら大きな所の方が良いでしょ?』

「そんなものなのか。」


『人前に立ってみればあなたも分かるわよ。』

「…ふーん。」


経験からくるのだろうその言葉に、頷く。

想像もできない世界の話は聞くのは楽しいが、自分に置き換えてみると覚悟もない自分にはそれだけで身震いがする。


「ま、俺には縁遠い話だな、これからもあるとは思えないし。」


華やかさとは程遠い日常を思い出しながら、そこからつながるこれからの未来を想像していた言葉は、意外にも『そう?』と。初めて会ったばかりで名前も知らない彼女に否定された。


『あなたはそのつもりでも。望んでも望まなくても。

その力に魅せられて、勝手に巻き込まれていって。知らずしらずの内に中心に押されていって。いつの間にかあなたは、私も立ったこともない大きなステージの上に躍り出ていそうだと思うけど。』

「…嫌な予想は止めてくれ。」


比喩的ではあるが、どこか具体性も持ったその話に目をらせば、手の中に収まる光り輝く合金の棒が視界に入る。


勇者、その言葉はどこかで聞いたこともない力で。

これほど広大に発達したネットの海で調べても、一つたりとも引っかからなかった。

少なくとも一億数千万の日本人の誰一人もまともに知らないその力がもしかすればここにはあって。


『―――まぁ、一番最初に背中を押してる私が言うことじゃないかもしれないけど。』



「なんか言ったか?」


小さくて聞き取れない言葉に聞き返せば、さらりとかわされて。


何度か、後ろで音楽が鳴ったかと思うとマイクから離れていた、彼女は謝罪の言葉を口にしながら帰ってきた。


『今、こっちも準備が終わったわ。』

「わかった、じゃあ行こうか。」


隙間から見える蛇を一度じっと見つめて、視線を外すと傍を飛んだドローンと共に警備員が並んだ入り口へと歩いていく。



§



オーロラのような透明な色が遷り変わる光の薄いカーテンに触れるように通り過ぎれば、今まで認識すらしていないように一度たりともこちらを見ていなかった蛇が、ぎょろりとその縦に伸びた瞳を動かしてこちらをじっと見る。

その二つに裂けた細い舌ですら、首ぐらい簡単に締めつけてしまえそうな巨大な姿に、変な笑いがこみ上げる。


「…なんでこんな事してるんだろうって気持ちになってきた。」


ヘッドセットのマイクに呟いた言葉に、鼓舞するような強い声で返される。


『格好悪いこと言ってないで、前を向いて。もう映ってるんだから。』


「…なぁ、まさか映像の出力って。」

『来た!』


気になる一言に問い詰めるもなく、蛇はその身をくねらせて動き出す。



ぺたりと枝が何重にも重なってできた、凹凸の激しい床に沿うように力を抜いてそよいでいた三つの尾は同時に跳ねるようにしてこちらへと刺してくる。


「やばすぎるだろ。」


同時に食らうことだけは避けようと、左へと姿勢を低く駆け出す。

向かい来るその太い青い鱗が目立つ尾に、先手必勝とすれ違いざまに地面を踏みしめて、強く握ったその光を強めた棒を横薙ぎに叩きつける。


鱗の表面に触れる直前、霧をき切るように、案の定感触もほとんどなくその寸胴な太い身をえぐって体液を流し、弾ける。


「よし!」


この光が上位存在にも効くことが分かり少し安堵したのもつかの間、


鈍く音を立てて地面を削るように、大きさに対してありえない勢いでこちらへと這ってくる残り二つの尾の尖端が、その身を突き刺そうと迫りくる。

咄嗟に身を守ろうと棒を構えて向ければ、不可思議にも思える先程の結果に恐れをなしたのか当たることを避けて動きを鈍らせたのを見て、急いで視線を外すことはなく後ろへと距離を取る。


膠着こうちゃく状態にも似た、少しの間の中、身体の前に構えたまま耳を澄ませば、ヘッドセットには大きくイントロが流れていた。



「…できれば、そろそろ歌ってほしいんだが。」

『……あとちょっと待って。』


この期に及んで、歌わない彼女に内心の焦りを隠すように小さく呟くように催促する。



「なんでか、聞いてもいいか。」

『――――今前奏中なの。』


「言ってる場合か、よっ!」


舞台のマイクには乗らないようにか小さくぼそりと答えたその言葉に叫びながら、動き出した無傷の一つの尾を叩き落とすと、残り一つの無傷だった尾がうねるように突き刺しに来る。


手に持った棒で触れさえすればどうにかなると、床についた棒を上へと振り上げようとしたその瞬間、足に強い衝撃を受けて空中に投げ出される。


突然のことに呼吸もままならず、どうにか視線だけでもと前を見れば、

直ぐ側にと近づいた尖った鱗のその尖端が目の前にあった。



――ああ、けられないな。



脳裏に浮かべたその言葉を頭の中に響かせて、

走馬灯のように長く感じる多分僅かな時間だろうその中、


耳に聞こえた遠くのざわめきと、歌い始める芯の通った力強いその声が耳へと染み込んでいく。



視界に広がる、モノクロの世界がじわりとにじむように色づいて、触れる空気の感触が、流れる血の音が、苦い汗の味が、木々の澄んだ空気の淡い匂いが、五感が弾けて身体がばらばらになって一から作り直されているような衝撃が身体を支配して、


最後に残ったのは、ドーパミンであふれた頭に残る全能感だった。




気のおもむくままに声にならぬ声を張り上げて、身体を捻るように、触れる直前まで来ていたその青い塊へと手に持った棒を叩きつけると、青い体液をき散らして目の前で弾け飛ぶ。


その姿を確認すると。受け身を取って転がりながら、靴へと急激に力を込めて眩しい程に何故か赤く光り輝いたそれで、追撃を加えようと横殴りにしようと迫る、別の尾を蹴り上げる。



全身に付いた青を滴りながら起き上がると、じりじりとにじり寄るその三本の尾が、断面を見せて鱗も剥がれてぼろぼろになりながらも迫りくるのを見ていれば、

筋肉の収縮に呼吸のうねりから、次にしようとする動作が未来予知でもするみたいに、手にとるように分かる。



「…いい気分だ。」


耳に聞こえる歌に、声に、音に。

頭の中で響くその甘い幸福感にひたって、身を任せて走り出した。




次々としなるように迎え来るその点を紙一重にかわしながら一つ一つ削っていき、気分は踊るように順々にと棒を振り回していけば、今までは何だったのか。どんどんと尾は短くなっていき、威嚇するように低く唸りながらこちらを睨みつけるその頭へと近づいていく。


攻め手と受け手。急激に変わった盤面ばんめんに、ついに尾を振りながら飲み込もうと大口を開き頭は一直線に飛び込んでくる。


守りを捨てた隙だらけのその姿を見て見逃す筈もなく、足を止めれば。振りかぶり握った赤く光り輝く棒をその正中線へと投げつけた。


武器を放り投げるのは思考の外だったのか、

避けることを忘れて随分と短くなった血の滴る尾を持ち上げ折り重ねて、その軌道の中に割り込むと筋を引き裂いたような音を響かせて、つらぬく。



からんと、音を立てて蛇の背後に落ちる棒が音を鳴らす中、穴の先を見ると、どうにか頭だけは無事な蛇がその眼を覗かせていた。


反撃をする暇を与える意味もなく、大きく息を吐きながら駆け出す。

動くこともなく固まった折り重なるその尾に、ワンタッチで腰から外した、光をまとったポーチを薬が散らばるのもいとわず両手で回転させるように叩きつけ、引き裂いて道を開ける。


来ることを待ち構えていた蛇が牙を剥いて、その口を開いて迫るその数秒。

思考の先。足に力を込めて、上へと跳べばありえない程の浮遊を与えて高く跳び上がる。



判断もつかず、こちらに向くこともなく正面を見た蛇の頭を踏み抜けば。


僅かに残ったその身体は弾け飛び、そこに残ったのは青い血を被った自分だけだった。




ヘッドセットに聞こえた歓声の中、耳の中で続いている歌を聞きながらふと、上を向くと。

トロフィーのように枝葉からゆっくりと落ちてくる、小玉スイカ程の大きさの淡く光るその丸い果実へと歩き、手を伸ばすように掴んだ。



§



水をかけて丁寧に拭いても落ちきらない青い血が染みる、生臭い服を身にまとったまま。

長いエレベーターの中、震える足を気力でどうにか支えて、座りだすのをやせ我慢してドローンと布に包んだ果実を大事に抱えて立っていると、ようやくその扉は開く。



『登ってきた?』

「どうにかな。」


遠くからBGMのような曲が重なるように流れて、何かが焼ける美味しそうな匂いが香る。人工色の強い風景に帰ってきたことを喜びながら、

よたよたと、筋肉痛の足を引き摺りながら外へと出ると、行く手を遮るように近くに立っていた職員に話しかけられた。


「ああ、いらっしゃいましたか。」

「…えっと、自分ですか。」


急に目の前に現れたその男性へと話しかけると、答えはヘッドセットから返ってくる。


『その人について行ってもらえる?』

「は?」


「えぇと、とりあえずこちらにお願いいたします。」


どういうことかと聞く前に、早くして欲しそうに急かしてくる職員に抗うつもりもなく、その後に着いていく。

歩いていく中、ちらちらと向いてくる視線が気になりつつも。ぼんやりとかすみ始めたようにすら感じてくる脳みそに逆らえず、ただ揺れながら無言で目の前を歩く職員に着いていけば関係者以外立入禁止の文字が書かれた扉を開いて中へと入っていく。



「お疲れ様。」


荷物を抱えて、通路脇のソファーに座った数時間ぶりに見たそのピンク色のパーカー姿を見れば機嫌の良さそうに、にこにこと笑ってこちらへと小さく手を振っていた。


「では、私は。」


返す暇もなく、どこか奥へと消えていく職員を見送ると、どかどか歩いて彼女へと正面に向き合ってすぐ、ピンクのドローンと手に抱えていた重い球体を差し出した。


「持ってきたぞ、これ。」


「…開けていい?」

「確認して、ハンカチは返してくれ。」


受け取ってすぐ確認をとってきた彼女に、ハンカチを受け取ろうと手を差し出す。


「これが、知恵の実なんだ。」

興味深そうに、ゆっくりとただくるんでいただけの外装を開けば、中から蜜のつまっていそうな真っ赤な果実が顔を見せた。


「苦労して取ってきたんだ、大事に食べてくれよ。」

「うん、絶対に最高の曲を書き上げてみせるわ。」


そう言ってこちらを見て一瞬ぞっとする程に魅力的に笑ったと思えばすぐに視線を外して、

ハンカチを包み直してボストンバックへと入っていく巨大な林檎を見送ると、手持ち無沙汰な手を下げる。



「それじゃあ、とりあえず荷物取り出してシャワーでも浴びてきたらどう?」

「…あぁ、そうする。」


ずっと鼻をつく服どころか髪にも付着した、青い生臭さにいい加減耐えきれなくなってきていた事もあり、ぱっぱと立ち去ろうと扉へと向かい、最後に振り向いてまた果実を覗いていた彼女に最後の挨拶をする。


「それじゃあ、もう会うこともないだろうから、頑張って。」



そう言って、手のひらをひらひら去ろうとすると、後ろから声をかけられる。


「何言ってんのよ、待ってるわよ着替えるまで。」

「…いや、別に用もないだろもう。帰ってくれて良いんだが。」


「いいから。早く行ってきなさいよ。」


むしろあっちいけとばかりに手を払われた動作に、不服に思いながらも今度こそ扉を開く。


「出来る限り、急ぐよ」


返事も待たずに人混みの中へ戻ると、看板を見上げてまずは荷物をと歩き出す。



§



案外律儀に座って待っていた彼女と合流して、奥へ奥へと進んで裏口らしい非常口を兼ねていそうな扉を開くと、搬入口だろうひらけた場所へと出た。

天井がない完全な外へと歩いて、空を見れば夕暮れではないものの日は大分落ちていて、時間の経過を知らせる。


着いてきていた彼女の方へ振り向くと、そのサングラス姿のある意味半日中一緒だった存在へ向きなおる。


「――ま、ここまででいいだろう。」


「何よ改まっちゃって、同じ学校なんだからすぐにでもまた会うかもしれないのに。」

「…籍だけあっても、登校してないやつと会うわけ無いだろ。」


その言葉に肯定も否定も口にせず、つらっとした感じで腕を背中に回して近づく。



「ねぇ、名前聞いてもいい?」

矢加茂やかも。」


少し上目遣いに聞いてきた彼女に特に隠すこともないので返せば、やかも。と口の中で繰り返すように何回か呟くとまたこちらに向き直る。


「下は?」

「…いるか、そこまで。」


「いいから、なに恥ずかしがってるのよ。」


楽しげに口角を上げる彼女に、わざとらしく息を吐いて話す。


勇志ゆうしだよ、これでいいか。」

「そ。」


やかもゆうし、と続けて口にして、満足がいったのか胸に手をおいて話し出す。



「私の名前は五線譜舞華ごせんふまいか。舞うに華でまいか。見た目通りで覚えやすいでしょ?」

「……。」


皮肉交じりに返そうと思えば、返せた筈の言葉は口を出ずに。

目が隠されて尚、華やかなその動きに気を抜くと目を奪われる。



ふふと、笑ったかと思うと急に歩いて、離れていく。

数歩先へと足を上げて歩くと振り向く。


「今日はありがとう。おかげさまで、欲しい物も手に入ったし助かったわ。」


言葉を返す間もなくそれだけ言うと、サングラスを外しウインクをすると、

「またね。」

と言い残しどこかへと去っていった。



§



「何だったんだか。」


行きと同じくあまり人の乗っていない電車で座りながら、今日一日のことを思い返していた。


自分がどれだけできるのかを見に行っただけだったのに、難易度が低い所を選んだとはいえ最終的には最深部まで行って、自分よりも大きな蛇までやってしまった。

ふと思い立ち、ポケットからティッシュを取り出して力を込めれば、僅かに光り輝いた。


もしもこれを例えばあの樹の中に居た果物や蟻に投げれば、その身を削りながら床へとこの状態のまま無傷で落ちるのだろうと思う。



「…ますますよく分からなくなったな。」



調べるつもりが更に謎が深まった、光のその力の源に思いを馳せる。



眠い目を擦りながら、ぼんやりとして揺られて数分、最寄り駅から降りればすっかりと日は暮れて空は赤く低くなっていた。

空腹を抱えて、これから食べるメニューを何にしようかとバス停へとよろつきながら階段を降りて、下を見た視線を上げれば、こちらを見るその姿と目があった。



「おかえりなさい、勇志くん。」

「え?」


どこか遊びにでも行っていたのだろうか。

仕立ての良さそうな私服を身にまとった彼女は、何故か似合わない太い鎖に繋がれたターコイズの石がついたブレスレットを腕に巻きつけて、そこに立っていた。


「おでかけですか?」


駅から出てきた姿を見ていたのだろう、すぐ横を走る電車を見ながら問いかけてくる。


「実はついにジョブが手に入ったから、近くのダンジョンに挑戦してみたんだ。」


同じく電車を見送りながら、自分の話した内容に想起されて今日一日のことを思い出す。


ジョブ、ダンジョン、蛇、ドーム、歌、果実、青い血、樹。

そして赤い目の美人を。




「へぇ、そうなんですね。」


感情の平坦な声が聞こえた気がして、視線を戻して顔を見ればなんてことはなく、いつもどおりの笑顔を浮かべた彼女がそこにた。


「良かったら私にも聞かせていただけますか、今日あったことを。」

「…それほど面白い話はないけどそれでいいんなら、いくらでも。」


それからバスが来るまで。

つまらない話にも笑顔を浮かべて花を咲かせる彼女の姿に、違和感の正体を忘れて。夕暮れの中二人で話していた。

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