あしたのために(その41)孤独な二人は友達じゃない
渡は孤独だった。
「あのオジ、ヲタ芸と俺のサッカー、どこが通じるんだよ。いつもと同じじゃねえか」
帰り道、かつて通っていた中学校を通り過ぎたとき、昔のことを思いだした。
いつも渡は、最後まで残って練習をしていた。もっともっと、うまくなりたい。身体を自在に扱いたい。ボールは友達じゃない、ボールは身体の一部だ。
仲間たちに寄り道しようとか遊びに行こうとたびたび誘われても、渡は「また今度な」と断った。今度は、プレイヤーを引退するときと決めていた。
なんでみんな、できないことを悔しく思わないのだろうか? みんなの本気と俺の本気は、違うのだろうか?
いつのまにか、みんな、渡を誘わなくなった。
高校に入ってから、渡がサッカー部員だけとは、密に付き合うのは、あくまでサッカーのためだった。ボール同様、チームメイトも自分の身体のように扱えるようにする、と。
日曜日、かつて暮らしていた家の前で、小林は、しばらく立ち尽くしていた。覚悟を決めて、呼び出しブザーを押すと、険しい顔をした母が、小林を迎えた。
「なにしに来たの」
母は冷たく言った。どんな答えでも許すつもりはない、そんな態度だった。
「アサヒ、昨日誕生日だったから。前に大谷翔平が被っていた帽子」
小林はさっき買ったばかりの袋を見せた。
「それだけ?」
「おめでとうって伝えたくて」
「……あなたの誕生日、たしか来月だったわよね。お金あげるわ。好きに使いなさい」
母が財布からぞんざいに万札を出して、小林の胸に押しつけた。「アサヒは勉強中だから。あなたみたいにならないように」
「ごめん」
あまりにも哀れっぽい物言いになってしまったことに、小林は動揺した。でも、なんとか続けようとした。「ちょっとだけでいい、今更だけど、もう一度謝りたいんだ」
「なにを言っているの?」
「アサヒの背中をあんな風にしてごめん、俺がバカだから、バカ学校しか入れなくてごめん、 あの人に歯向かって、せっかく母さんが再婚したっていうのに、めちゃくちゃにして、ごめん、問題ばかり起こしてーー」
小林は母の再婚に反対だった。相手の男のことをどうしても好きになれなかった。いつ豹変して、本当の父親のようになってしまうのかと恐れていた。
守ろうとして反抗的になり、厄介者扱いされるようになった。
だが、新しくできた血のつながらない弟のことはかわいかった。アサヒは小林にすぐになついた。お兄ちゃんお兄ちゃんとまとわりついてきた。
兄弟で留守番をしていたときだ。大人が飲んでいるコーヒーを飲んでみたい、アサヒがせがみ、仕方がないなと湯を沸かした。そのときだ。幼いアサヒに誤って熱湯をかけてしまい、小林はびっくりして、どうしたらいいのかわからなくて、泣き喚く姿を前に呆然と立ち尽くし、処置が遅れた。
アサヒは今年、小学校を卒業する。きっと背中の火傷はまだ残っている。
そのことを考えるたびに、小林は泣きたくなる。
だから、川地が背中に火傷を負っているという話を聞いたとき、気持ちが掻きむしられた。
川地がラッシュガードを身につけているときは、ずっとさりげなくそばに立ち、睨みをきかせた。
「もう帰って、近所に見られたらどうするの」
母はきっぱり断絶した。
「この家に戻りたいなんて言わない、だからーー」
アサヒに会いたい。
「もうあなたに家族なんて、いないものと思いなさい」
小林は歯を食いしばり、そして二階を見た。窓のカーテンが揺れた。誰かが窓から見ていたらしい。
深夜眠れなくて、渡が世田谷公園をランニングしているときだった。噴水のそばで、ぐるぐると光が動いているのを見つけた。
小林が背を向けて、がむしゃらにペンライトを振り回していた。
近づくと、「いちに、さんし、ごーろく、しちはち」とカウントしながら基本技を繰り返している。
「始めっからできてるふりして。コソ練してたんじゃねーか」
OAD、ロザリオ、ロサンゼルス、そしてロマンス。技の精度を上げるために、小林がどれだけ集中しているか、遠目でもわかった。一つ一つの動きが豪快なのに乱れていない。振っているだけ、でないことがわかる所作だ。
渡は、しばらくずっと、小林が一人練習する姿を見つめていた。
その姿が、なぜか、自分と重なってくる気がしてしまい、慌てて頭を振った。
あんなやつと一緒になんかされたくない。あいつはただのガサツな荒くれ者だ。
でも、思わず口に出た言葉は、
「やるじゃん」
だった。
絶対に仲良くなんてならない。
でも、自分と似た、仲間、かもしれないと。
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