5 暗黒密林

 翌朝、川岸まで行くと、ココは船に乗り換えた。船は公務用のもので、十人は入れる船室があった。

 城から森へは水路を通って出ることになる。

 船着き場にはたくさんの船が停泊していた。客船は少なく、ほとんどが貿易用の貨物船だった。エキドナから来る船は船倉が水槽になっているものも多い。

 船で城門をくぐるとそこからはエキドナ王国領ウガイの森だった。

 川幅は広く流れはゆるやかで、曲がりくねっていることを除けば船の運航はむずかしくない。貿易は盛んなようでほかにも荷物を積んだ船が往来している。

 ココは船室の窓から外を見た。

 流れが遅いせいか水面は茶色く濁っていた。川沿いの森は、まったく開発されておらず、奥が見通せないほど木々が生い茂っている。濃い緑や茶の幹がウネウネと絡み合い人間の上陸を拒んでいるようだった。

 半日ほど進むと、ほかの船がいなくなった。ココの乗った船が支流に入ったのだった。さらに行くと森から小さな桟橋が伸びているのが見えた。役人に聞けば、過去に森の探索用につかっていたものだと言う。

 いまにも朽ち落ちそうな桟橋に船は着けられココは降ろされた。


「この先に——」


 と、年配の役人が森の奥を指差した。


「探索用の拠点としてつかっていた住居があるはずです。ただ、長いことつかっていないのでかなりいたんでいるのではないかと……」


 ココは役人が指差すほうを見た。

 かつては道があったのだろうが、いまは完全に木々に覆い尽くされていた。


「わかりました。行ってみます」


 役人たちは沈痛な面持ちで少女を見下ろした。こんな場所に子どもをひとり置き去りにすることに罪悪感を感じているようだった。


「それとこれは内緒ですが……東の神殿の聖女殿から」


 役人たちは、九十センチ四方ほどの木のコンテナをふたりがかりで抱えて船から降ろし、桟橋の上に置いた。


「東の神殿?」


 コンテナをよく見ると、なにか尖ったもので彫ったようなぐるっとしたうずまきが端にきざんであった。


「ノエルね!」


 聖女学校で一緒に学んだブッシュ・ド・ノエルが自分のサインとしてよくつかっていた図柄だった。

 中には衣服や食料、サバイバルに必要そうな道具が入っていた。


「東の神殿にいるのね……ありがとうノエル」


 ココは愛おしそうにうずまきマークを撫でた。


「奥へ運びましょうか」


 コンテナは子どもひとりで抱えるのは無理だった。


「ここへ置いておいてください。あとでぼちぼち運びますから」


 森は大人ふたりが揃って入るほどの隙間もなかったのである。


「聖女殿……これも持って行ってください!」


 若い役人が腰に差していた短剣を鞘ごと抜いて両手でココに差し出した。


「これも!」


「これも、なにかの役に立てば……!」


 ほかの役人たちも所持品を出した。現金もあったが、ここでは役に立ちそうにない。

 ココは微笑んでそれを辞退した。


「ありがとうございます。でも、わたしにほどこしをしたことが知れれば、あなたがたの立場が悪くなります。お気持ちだけで結構です」


 船には役人たちだけでなく船を動かす船員もいるのである。


「聖女殿……」


 このような状況でもまだ自身のことでなくわれわれの心配をしてくれるのかと、役人たちは所持品を握ったまま頭を下げた。


「あの……」


 若い役人が声をひそめて言った。


「頑張れば徒歩でもウガイ川本流へ出ることはできます。本流はいつもなにかしらの荷を積んだ船が通っているので、どうしても無理なときは、その……」


「船に拾ってもらっても、ヴァンバルシアにはもどれませんし、エキドナに行けば罪人をかくまったとして迷惑がかかるでしょう。ここでなんとかやってみます」


「……そうですか、わかりました。では、どうかお達者で」


「ありがとう」


 ココに見送られて船は桟橋を離れた。




「達観してるなあ……さすがは聖女様だ」


 若い役人は桟橋のほうをふり返りながらつぶやいた。


「聖女になるための勉強はたくさんしただろうが、まだ子どもだぞ、不安しかないだろう」


 中年の役人が言うと、年配の役人も同意した。


「そうだな……不安に押しつぶされないよう、気丈に振る舞っていたのかもしれん。なかなかできることじゃないが」


「無事だといいけどなあ……」


「むずかしい望みだな。それより赦免されることを祈るよ、それも一刻も早く。もともと冤罪みたいなもんだろう」


「おい……」


 中年の役人が言うと、年配の役人が小声で注意をうながした。国王の批判ともとれる。だれにでも聞かれていい言葉ではなかった。

 それから役人たちは、まるで自分たちが罪人でもあるかのように押し黙って帰路についた。




 ココは自分を乗せてきた船を見送ると、「さて」と言って森へ踏み込んだ。

 道のようなものはなく、かろうじて人が踏み固めたような跡はあるが、それも草木が覆いかぶさってほとんどわからない。

 木の枝を押しのけながら奥に進むと、たしかに木の小屋があった。屋根らしきものはついているが、湿気って朽ち果てぼろぼろである。それでも、ここを拠点としなければならない。


「まずは雨が降り込まないようにしないとね」


 ココは腰に手を当ててため息まじりにつぶやいた。

 ウガイの森は温暖で雪は降らないが、だからといって吹きさらしで冬を過ごせるわけではなかった。

 コンテナの荷物は一度では運べないので、桟橋と朽ちた新居を何度か往復することになった。

 荷物の中身は、食料のほかに着替え、ナイフやノコギリなどの身を守るためにもつかえる工作道具、火打ち石と火打金と火口ほくちとなる布切れのセット、保存用なのかひと抱えもあるかめなど、思いつくかぎりのものを入れてくれたようである。

 ココ自身は手荷物くらいしか持つことをゆるされなかったため、非常にありがたかった。

 荷物を運んで、小屋に眠れるスペースを作っているとあたりが暗くなってきた。

 もともと鬱蒼と茂る木々のせいで森の中は薄暗いので、よけいに日没が早く感じる。

 暗くなると不安が増してくる。

 まわりに見えるものといえば、ココを覆い隠さんとするようにのしかかってくる植物たちのみである。


(まるで人を怖がらせるためにデザインされたよう。それとも——)


 聞こえるのは川の流れる音と、木々のざわめきと、ギャアギャアという鳥の鳴き声くらいだった。


(もともとこういうところには古代から恐ろしいものがいて、それを代々受け継がれてきた人の血が本能的に恐れているのかしら)


 ココは不安に襲われながら荷物を整理していた。


(これから、ここで、ずっとひとりで……)


 ここには原生林と川の水と孤独と絶望しかなかった。

 甕の中のものを確認していると、一番底に紙片を見つけた。

 それにはノエルの字で「がんばって!」と書いてあった。

 文字の横にいつもなら二周くらいのうずまきが、黒い丸に見えるほどまるで念を込めるようにぐるぐると渦巻いていた。


「ノエルったら……」


 ココは王都を離れてからはじめて大粒の涙をぼろぼろとこぼした。




 ——翌日。

 ココは、衣・食・住のうち優先すべきはなにか考えた。

 とりあえず、「衣」はいま着ているものがあるし、ノエルのコンテナにも入っていた。衣は後回しである。

 「食」もコンテナにあったが、一日分しかない。保存がきかないのでしかたのないところである。ここでなにか食べられるものを探さなければならない。数日は食べなくても死なないだろうが、身体が弱ればそのぶん探索は難しくなる。食料調達は最優先事項である。

 「住」は、ひとりで寝泊まりするには十分な小屋がある。しかし、だいぶ朽ちているので修理は必要だ。ナイフとノコギリを持つとこれでなにかやれそうな気になってくるが、それは気のせいである。ココは聖女学校で一生懸命勉強したが、サバイバルについてはなにひとつ学んでいない。とりあえず、ノエルの木箱は貴重な材料としてバラして取っておくことにした。




 ——一週間後

 食料調達に難儀する。

 鳥を捕まえることも、魚を捕まえることもできない。逆に猛獣に出くわせば自分が餌になる危険もあった。

 だからといって、野草の知識もない。

 目につく木の葉や木の実を片っ端から口に入れ、苦味や刺激を感じて直後にペッ、ペッと吐き出す。その作業のくり返しであった。




 ——一ヶ月後。

 雨が降るなか野草を探しに行ったのがよくなかったのか、その野草を食べたせいか、ココは熱を出して小屋で横になっていた。

 看病をしてくれるものもいなければ、食料を運んでくれるものもいない。体力を付けようにも口にできるのは水だけである。

 なけなしの霊力で回復をはかるが思うようにはいかない。

 冷たい雨の音は陰鬱な気分を助長して、さらに気力をそぎ落とす。

 ココは震えながら、小さな身体をさらに小さくして丸まっていた。




 ——三ヶ月後。

 ココは木の杖を両手で突いてよろよろと森の中を歩いていた。

 なんとか病気で死ぬことはなかったが、すっかり瘦せおとろえ頰は落ち窪んでいた。

 視界が開けた先に桟橋が見えた。


(……あった!)


 桟橋の上に木箱が置いてあった。

 ココはよたよたとつまづきながら、そして最後は這うようにして木箱にたどり着き、力まかせに箱を開けると、ほかのものには目もくれず食料を掴み両手をつかって交互に口に運んだ。


「ふぅ……」


 食料を胃に押し込むと、ペタンと尻をつき天を仰いで息を吐いた。

 どうにか生き延びている。これからもなんとかやっていけるだろう。

 そんな楽観的な気持ちには決してなれなかった。

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