22 雪下紅玉

 ココとアルバートは戦後処理のためしばらくウガイ城に滞在することになった。城主オーガスト・ペダンにとっても文書のみで伝えるより、実際に経験したアルバートが国王に報告してくれたほうが詳細に伝わるので助かるのだった。

 戦時となったので、ヴァンバルシア王国との貿易は中断された。商人たちにとっては大きな痛手である。さっさと休戦して商売を再開させろという声も聞こえてくる。

 商船が途絶えてすっかり静かになったウガイ川を一隻の船が下ってきた。

 こんなときにヴァンバルシアの船がなにをしにきたのか。城内には緊張が走った。

 船には十人ほどのヴァンバルシア国民が乗っていた。

 そのうちふたりが王太子妃と面識があると言ったので、ココは船着場に呼ばれた。

 着岸が許されていないのか船は岸壁から離れていた。


「あまり近づかれませぬよう」


 グレッグ・ペダンに庇われつつ岸壁に向かう。

 ココは懐かしい名前を聞いてそわそわしていた。

 船上に数人の人影が見えた。


「ココ……?」


 そのひとりがココの名を呼んだ。


「……」


 ココは目を凝らした。たしかに見覚えのある顔だった。


「ノエル……?」


「ココ、あたしよ!」


 ノエルと呼ばれた人物が両手を上げてぴょんと飛んだ。


「え? ココ?」


 ココの名前を聞いて、船室からべつの人物が現れた。


「大聖女さま!」


「あっ、ちょっ……」


 ココはグレッグの制止を振り切って走り出した。

 そしてドボンと川に落ちた。


「えぇーっ!」


 岸壁のあちらとこちらで悲鳴に似た驚きの声が上がった。

 グレッグが岩壁まで走った。

 アルバートが城内から飛び出してきた。

 グレッグは川に飛び込もうと腰の剣を鞘ごと抜いたが、ココが器用に片腕で泳いでいたため思いとどまった。

 ココは船まで泳ぐと船上に引き上げられた。


「大聖女さま! それにノエル、本当にノエルなのね!」


「ノエルよ、年はとったけどね。あなたこそ本当にココなの?」


「わたしよ。変わってないからわかるでしょう?」


「変わってない……っていうか変わらなすぎよ」


 ブッシュ・ド・ノエルが最後にココに会ったのは、ココがヴァンバルシアを追放される数ヶ月前だった。お互いいまは三十歳。ノエルは順当に年を重ねたが、ココは昔のままに見えた。変わったところといえば、右腕が義手になったくらいである。


「片手を失ったって聞いたわ。本当だったのね」


 ノエルは、ココの服の下に透けて見える義手に目を留めて言った。


「ええ」


 ココは義手をさすりながらうなずいた。


「ココ様、もどってください! 船、こっち着けて!」


 岸からグレッグが叫んでいた。また泳いでもどってこいとは言えないので、しかたなく船も着岸させる。


「まちがいなくわたしの知人です!」


 ココは全身ずぶ濡れながら満面の笑みで左手を振った。 


「お気をつけて!」


 知人だとしても油断はできない。王太子妃ココは、先の戦闘によってヴァンバルシアが排除したい人物ナンバーワンになったのである。知人のふりをして、あるいは知人に紛れて暗殺者が入り込んでいる可能性は高いのだった。


「ココ……成長は止まったままだったのね」


「大聖女さま、おひさしぶりです」


「もうとっくに大聖女じゃないわよ。いまはただのラモーナ・チャイルズ。モナって呼んで」


「はい……じゃあ、モナさま」


「『さま』もいらないわ」


「すいません、わたしのなかではずっと『大聖女さま』だったので、慣れるまでは時間がかかりそうです」


「そうね、ゆっくりでもいいわ。時間はあるから」


「でも、どうしてエキドナに?」


「追放されてきたのよ。勝手にね」


 ノエルが言った。


「追放?」


「そうよ。こないだの戦いでほかの聖女たちを扇動してババロアに楯突いたから、処罰される前にこっちから国を出てきたのよ」


 たしかに、あのときノエルたち八聖女がババロアに協力していれば、ココだけで守れたかはわからない。防衛に徹することが女神の教えとはいえ、裏切り者と見るものもいるだろう。


「大聖女さま……モナは?」


「私はまあいろいろあってね」


 チャイルズ家は子爵で、貴族としては最後までモン家と対立していた。モン伯爵の専横があまりにひどくなったので身の危険を感じて一族で国を出ようということになったが、その矢先、モン伯爵は娘ともども行方不明になったのである。国王までいなくなったので、チャイルズ子爵は混乱を鎮めるために国にとどまることにした。ただ、モナはノエルを支持したことと、政治目的で結婚させられるのが嫌で出て行くことを決めたのであった。


「政治目的で……結婚?」


「そうよ、私まだ独身なの」


「そうなんですか」


 モナがココの世話をしていたとき二十代前半だったので、いまは四十歳くらいかと思われた。


「あたしもよ。ババロアに付き合ってずっと聖女をやってたから。エキドナに素敵な殿方はいらっしゃるかしら」


「素敵な殿方……ね」


 ココには心当たりがあったが、このときはまだ黙っていた。

 そうこうしているうちに船が着岸した。


「ココ様はこちらへ」


 グレッグは手を取ってココを陸に上げた。


「ありがとう」


「ココ、ずぶ濡れじゃないか。早く着替えよう」


「ええ。ではまたあとで」


 ココはふたりに声をかけると、アルバートに手を引かれて城内へ向かった。

 ノエルとモナは見送りながら「あれがココの夫か」「まだ新婚さんね」とお互い目配せをしてニヤニヤと笑っていた。


「えー、亡命希望ということですが、どちらのかたが?」


 グレッグが岸壁に立って船に残ったものに声をかけた。


「私たちふたりです。私はラモーナ・チャイルズ」


「ブッシュ・ド・ノエルです」


「しばらくは城内に滞在してもらいます。もちろん監視の意味もありますが、いまはヴァンバルシア国民に良い感情を持っていないものも多いので、そのほうが安全でしょう」


「わかりました」


 モナは素直にうなずいた。

 ババロアに従わなかったということでは、エキドナの協力者とも言えるのであるが、それをココ以外の聖女の経験のないものに理解してもらうのが難しいのはわかっていた。




 ノエルたちを乗せてきたのはヴァンバルシアの商船だった。


「おう!」


 エキドナの顔なじみらしき商人と挨拶を交わす。


「こんなときによく来れたな」


「こんなときだからこそさ。なにかあるかい?」


「魚がイケスに活かしてある。城下で売りさばくしかないと思ってたところだ。持っていくかい」


「ああ、いまなら高値がつく」


「商魂たくましいな」


 商人たちの笑い声が岸壁に響いた。戦争があろうとなかろうと彼らは生活していかなければならないのだ。




 ココとノエルとモナの三人は、ウガイ城内で普通に会って話すことができた。


「ノエル、森にずっと物資を届けてくれてありがとう。おかげでとても助かったわ」


「ううん、いいのよ。聖女になれたのもあなたのおかげだから」


「わたしの?」


「そう。あたしは孤児だから学校に行って衣食住が確保されるだけでいいと思ってたの。隣で頑張ってるあなたがいなかったらあたしは聖女になろうなんて思いもしなかったわ」


「でも、結局こんなふうになってしまった」


「いいのよ。ババロアの下でこきつかわれるよりは。むしろせいせいしてるわ」


「そのババロアだけど、行方不明って本当?」


「そうなのよ。お城と郊外にそれぞれ魔物が出て大暴れしたのよ。しばらくしていなくなったけど、お城と町の一部は破壊されちゃったし、おかげであたしたちは出てきやすくなったけど」


 約十六、七年ぶりの再会である。おなじ寄宿舎に寝泊まりして一緒に学んだココとノエルでも、離れている時間のほうが長くなってしまった。それでも全然知らないもの同士のような空白の時間ではない。お互い会えないときも相手を思いやることはあったのだから。

 話の種はしばらく尽きそうになかった。




 新婚さんの邪魔をしてはいけないからと、ひとしきり話しが終わるとノエルとモナはココを解放した。

 話の最後にココは城主とその息子が独身であることを忘れずに伝えていた。

 アルバートは城壁の上にいた。ココはいつものように横に立ち、一緒に景色を眺めた。


「前とすると少し成長したのではないか」


 ココの左側に立つアルバートが、まじまじと妻を見ながら言った。


「お気づきになられましたか? じつは少し背が伸びたのです。もしかすると、十年でひとつくらい歳をとるのかもしれません」


「そのくらいの年齢だと、一歳で結構ちがいが出るからな。十年でひとつなら、十倍長生きなのだろうか」


「さあ、それは……人より霊力が高いので長生きするかもしれませんし、逆に霊力を消費するので早死にするかもしれません」


「俺より先に死なないでほしい」


 王子は妻の手をとって言った。


「まあ、わがままを。それではわたしが寂しくなってしまいます」


「そうか……そうだな、先のことはまだいい。なにしろまだ若いのだから」


「それって、皮肉も入ってます?」


「ああ……いや」


 王子は頭をかいた。怜悧な輝きを持つ黒曜石のような瞳と、普段の落ち着いた話しぶりから冷静沈着な人物と思われているが、そうしていると屈託のない少年時代の面影があった。

 ココは昔を思い出して笑顔になった。

 アルバートも笑みを返して言った。


「帰ろうか、オルトロスへ」


「ええ」


 王都には父母と呼べる人が待っている。帰れる場所があるというのはなんと嬉しいことだろう。

 孤児のココには望外の喜びに思えるのだった。




 その王都では、エキドナ王レイモンドが妻のケイトに重大な相談を持ちかけていた。


「生前退位……ですか?」


「ああ、ちょうどよい機会だと思ってな」


 基本的に王は死ぬまで王である。死んでから世代交代する。それを生きているうちにやろうというのであった。


「わしももう年だし、アルバートはヴァンバルシア軍を撃退して人気が高まっておる。みな納得してくれるだろう」


 レイモンドは今年六十二歳になる。一般的な職業なら引退していてもおかしくない年齢だった。


「あなたがそう考えていらっしゃるのなら、大臣たちとアルバートが了解すれば私は構いませんけど」


「うむ、アルバートがもどったら話してみよう」


「ええ」


「隠居したらふたりで旅行でもどうだろう」


「王宮にこもることが多かったので、それもよろしいですわね」


 レイモンドがケイトの手をとると、ケイトもそれを握り返して目を細めた。




 翌年、アルバートはエキドナ国王に即位し、ココは王妃となった。

 戴冠式のあとに行われた披露パレードには、新王と王妃をひと目見ようと国中から大勢の人々が集まった。


「王妃様は去年攻めてきたヴァンバルシア軍をひとりで追い払ったと言うじゃないか」


「あんなに小さいのにえらいもんだねぇ」


「新しい王様もなかなかの切れ者だって聞くし、エキドナもしばらくは安泰だな」


 人々は王と王妃を眩しそうに見上げながら各々勝手な感想を述べた。

 エキドナ国民にとってナタ・デ・ココは、聖女の力でヴァンバルシアの大軍を追い返したという活躍が記憶に新しいが、実際に本人を見てみると、小柄な体格と朗らかな笑顔からはそんな武勇伝は想像できない。だがそれが逆に親しみやすさを生んで人気となった。

 その知的で好奇心に満ちた大きなルビーレッドの瞳と、白く長い髪が特徴的な新しい王妃のことを、人々は髪を雪に、瞳を宝石にたとえて「雪下紅玉」と呼んだ。






 片腕の聖女


 END

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