21 静穏悠遠
ココとアルバートは城壁の上からウガイ川を眺めていた。
破損した船の残骸が川面にあふれ、ゆっくり下流へと流れている。まだ火がついたままのものも多くあった。
そのあいだを小船が動きまわり、救助と消火活動をしていた。
「殿下!」
城壁の下からグレッグの声がした。
「とりあえず、敵味方関係なく救助します」
「ああ、任せる」
「わたしもお手伝いしましょうか」
ココが身を乗り出して言った。
「あー」
グレッグは少し言い淀んでから、「いえ、こちらでなんとかします。ココ様は殿下のおそばに」と返答した。ココが霊力による治療をできることは知っていたが、敵味方入り乱れているなかに入っていくのは危険だと判断したようだった。
「わかりました」
ココは返事をすると、足をかけていた城壁からトンと降りた。
「おかげで被害を最小限に抑えることができました」
城壁の上をオーガスト・ペダンが歩いてきてアルバートに頭を下げた。
「なんなら、このまま全軍を率いてヴァンバルシア領まで攻め込むこともできますぞ。ココ様があの国に恨みがあるならそれを晴らしに行ってもいいでしょう」
オーガストはココの方を向いて冗談めかして言った。
「やめておきましょう。戦争が起きてわたしのような孤児が増えることは望みません。それに、あの国には少ないけど愛すべき人もいます」
もうひと勝負、という雰囲気でないことはココにもわかっていた。
「そうですか……それは残念です」
オーガストは肩をすくめた。
「城外に待機している兵士の一部にも救護活動を手伝ってもらいます。それ以外は、危険が去れば順次もとの任地へ帰します。両殿下はご休憩を」
「わかった」
ウガイ城の城主は一礼して仕事にもどった。
「ココ、疲れただろう。休憩しようか」
アルバートはまたココの左手をとった。
「ええ、そうですね」
「まあ、俺は見ていただけだがな」
アルバートは苦笑した。
「そんなことはありません。あなたがいたから、わたしはここまでやれたのです」
「そう言ってもらえると、俺もなにかやった気になるよ」
アルバートはまた笑った。
ココは城壁を歩きながら「あー、うー」と言葉につまっていたが、思い切って口に出した。
「殿下、今回はその……出すぎたことをしてしまって、申しわけありません」
聖霊防壁をつかわなければ今回の戦いはもっと悲惨なことになっていただろう。しかし、使用した結果、兵士たちはみな「聖女のおかげ」という意識を持ったはずだ。それは、わざわざ戦場に出向いてきた王太子の自尊心を大いに傷つけることになったにちがいない。だからさっき来たオーガストも、防壁を張ったのはココであるにもかかわらず、気をつかって王太子のほうを見て「おかげで」と言ったのだ。もちろん、個人の武勇は多々あれども、最終的に勝利は総指揮をとったものの功績であるのだが。
「ん?」
アルバートはなにも気づいてないふうで、なぜココが謝っているのか考えているようだ。
「ココが俺より活躍したから謝っているのか?」
「……はい」
ココは、こんなことを言い出せばよけいにギクシャクすることになるだろうとは思ったが、お互いのわだかまりは溜め込まずにそのとき出してしまったほうがいいと考えたのだった。
「なんだそんなことか。俺はココの活躍を間近で見れて興奮したぞ。これが兵士たちの口伝てに広まって世界中がココのファンになればいいと思っている。もちろん一番のファンの座はだれにも譲らんがな」
そう言って王子は笑った。
「また、そんな……褒めすぎです」
「褒めすぎなものか。その姿を見ていると十年前を思い出す。出会ったときから変わらぬ美しさだ。あのようなおぞましき魔物に立ち向かう勇敢さ。片腕を失ってでも皆を守ろうとするやさしさ。はじめて会ったときから、そなたはずっと俺のあこがれだ」
十年前から変わらないまったく屈託のない笑顔だった。
それが本心であり偽りや虚勢でないことは、握った手を伝わってくる想いがココの身体を光らせることで証明していた。
「安心しました。つまらないことを言ってごめんなさい」
ふたりは城の中へ入っていった。
ヴァンバルシア軍は戦力の四分の一を失ってリック城へ帰還した。
「ご無事でなによりです」
もどった王をモン伯爵が迎えた。
「ああ、少し休む」
船から降りたヴァンバルシア王ランデルは言葉少なくその横を通り過ぎた。
「陛下、今回のことで、サナト・モレアで不穏な動きをはじめるものがいるかもしれません。私は早急にもどって統制をとりたいと思います」
モン伯爵がそう言うと、ランデルは振り向きもせずに「任せる」と答えた。
「はっ、では」
モン伯爵はその背中に一礼した。
だいぶ遅れてババロアも船から降りてきた。
父親の「無事でなによりだ」との言葉に対して、意気消沈した顔で黙って頭を下げた。
ランデルは妻を罵ることはなかった。ただひと言、「結局、お前よりあの聖女のほうが優れていたということだな」とだけ言った。
ナタ・デ・ココを肯定できないババロアにとって、それが一番つらい言葉だった。
モン伯爵はすぐに執務室としてつかっていた部屋で帰り支度をはじめた。
その室内の隅に黒い影が現れた。
「おぬし、生きておったか。よくもどれたな」
モン伯爵は作業をつづけながら言った。
「戦乱のどさくさにまぎれて帰って来れた」
「怪我をしているのか」
影はゆらめいていた。いつもの得体の知れない不気味さも薄れているように感じる。
「たいしたことはない」
「そうか。だがちょうどよかった」
モン伯爵は机の角に置いていたベルを鳴らした。
すぐに手前と奥のドアが開き、武器を持った兵士が入ってきた。
「なんの真似だ」
「つかってみて思ったが、おぬしの力はわしの手には余る。だがだれかにつかわれても困る」
「だから消そうというわけか」
「ある程度の機密も知られているしな」
そう言ってモン伯が顎を振ると、兵士たちは影に斬りかかった。
「手筈通り地下に追い込みました」
兵士のひとりが、荷物をまとめたモン伯爵に報告した。
「うむ、ババロアを呼べ。馬車の用意は?」
「できております」
「よし、お前たちも来い」
モン伯爵が建物の外に出たとき、追いかけるようにしてババロアが駆け寄ってきた。
「お父様、どうなさったのですか……それにいまの騒ぎは」
「帰還した兵のなかに不審者が混ざっていたのだ、大事ない。それより王都にもどるぞ。お前も来い」
「王都に? いまからですか?」
もう日が沈み、あたりは暗くなろうとしていた。
「ああ、急ぎだ」
「でも、陛下がまだいらっしゃるのに」
「陛下には断ってある」
「そうですか。では、荷物を……」
「あとで運ばせる。早く乗れ」
「ええ……?」
モン伯爵は半ば強引に娘を馬車に乗せた。
カダス教団の司祭ウォードはリック城の地下室に立てこもっていた。
兵士たちに負わされた傷から、多量の血が流れ出していた。
「ダリル」
ウォードは離れた場所にいる弟と会話を試みた。
「ダリル、モン伯爵が裏切った。私はここまでだ」
「司祭様……いまどこに?」
「リック城の地下だ。ずいぶん血を失った。長くは持たないだろう。龍を呼んで一矢報いる。我らを裏切ったらどうなるか教えてやらねばならん」
「待ってください、私もリック城の近くにいます。救出に向かいますからなんとか持ちこたえてください」
「いかん、ヴァンバルシアの大軍が駐屯しているのだぞ。お前までやられる。いますぐここから離れろ」
「しかし……」
「ダリル……教団の将来を任せたぞ」
「兄さん!」
ダリルは何度か兄の名を呼んだが、もう返事は無かった。
ランデルはリック城の広間で豪華な椅子にドカッと腰を下ろした。
「国境のほうはどうなっている」
「各国とも軍を構えて牽制しているだけで、侵攻してくるようすはないとのことです」
シドニー・モルガンは部下からの情報をまとめて、王に報告した。
「そうだろうな。やつらはエキドナに義理を果たしているだけだ。いざ自分たちがおなじ境遇になったとき助けてもらうためにな」
「早急な対応は?」
「必要なかろう。我々が退いたいま、やつらも軍を引くはずだ」
「ははっ」
「それにしても……あの聖女をどうにかせねばならん。暗殺でもなんでもかまわん。もうエキドナとは戦争状態になったのだから手段を選ぶ必要はない。ババロアではどうにもならんのだろう……ババロアは?」
そこまで話してヴァンバルシア国王は王妃がそばにいないことにようやく気がついた。
「モン伯爵と御一緒でしたが」
「王都にもどったのか。なんと早計な。まだ防壁は必要だというのに」
ランデルはドンと肘掛けを叩いた。
それとほぼ同時に、上空で城を揺るがすような奇怪な叫び声が響いた。
リック城の出入口は川に面した東側以外に二箇所ある。一方は城下町に通じ、もう一方は西の王都につづいている。西側の道は軍隊を移動するときのために広く、路面も整備してあった。
モン伯爵は西側から馬車を走らせた。おなじ馬車には娘のババロアと護衛の兵士が乗り、外にも多くの騎兵を連れていた。
「聖女たちのほうはどうだ?」
モン伯爵は娘の言うことを聞かなかった聖女たちの処遇についてたずねた。大聖女の命令に背いたのだから反逆罪であるが、「防壁を侵略のためにつかわない」というブッシュ・ド・ノエルの主張もまちがいではなかった。これまで聖霊防壁をつかって他国を侵略しようとした王などいなかったのだ。
「ブッシュ・ド・ノエルは追放します。聖女候補は何人かいるので、ほかにも反抗的な者と半数は入れ替えます。ノエルがいなければ若い聖女たちは私に従うでしょう」
「お前と八人の聖女が協力すればナタ・デ・ココの防壁を破れるか」
「……必ずや」
「希望的観測ではいかんぞ。負ければ戦費が無駄になるし、領土や権威など多くのものを失う」
「申しわけありません……」
ババロアは今回の失態を詫びた。「ナタ・デ・ココさえいなければうまく行った」という思いは強かったが。いまそれを言っても言い訳にしかならないのはわかっていた。
「まあいい。わしは後方にいて滞りなく任務を果たした。敗戦の責任は陛下がとってくれるだろう」
突然、ドンと馬車が揺れた。
道路のせいではない。屋根からの振動だった。
御者が手綱を引いて馬車を停めると、ババロアを残してほかの者は外に出た。
暗い夜空を背景に屋根の上に黒い人影がしゃがんでいた。
「お初にお目にかかります」
それが立ち上がりながら声を発した。
「何者だ?」
モン伯爵が問うた。
「教団のものです」
ランタンで顔が照らされた。フードを被っているが、下からだと顔が見える。
モン伯爵は、司祭を名乗る男が追ってきたのかと思ったが、声も顔も若かった。
「なんの用だ」
「あなたと取り引きをしていたウォード司祭のことについて、償いをしていただきたく参上しました」
「……金ですむならなんとでもなるぞ」
「金とは換えられないからこそ信念と言うのです。あなたが兄からなにも学ばなかったのがとても残念だ……」
「兄? お前はやつの弟か。ならば取り引きをしよう。信仰を広めたいのだろう?」
「もう遅い、けじめは付けさせてもらう」
フードの男はゆっくりと夜の空に手を伸ばした。
「兄さん、遺言に背くことお許しください。あとは教団のみなに託します」
「いかん、殺せ!」
モン伯爵は兵士に命じた。
それとほぼ同時に、上空でけたたましい不快な鳴き声が響き大気を震わせた。
「そろそろ帰れそうですかね」
カダファル・フーリーは緊張感のない顔で言った。
サイバリア王国とヴァンバルシア王国との国境地帯である。
サイバリア軍はエキドナ王国の要請を受けて他国同様に出兵したのであるが、それは義理立てでしかなかった。
ヴァンバルシア王ランデルの姉が王弟オルビスに嫁いでいるので、ヴァンバルシア王国との関係は良好であり、一戦交える気など毛頭ないのである。
「そうもいかなくなった」
指揮をとっていたサイバリア軍元帥シャルマーク・マハドは伝令が持ってきた封書に目を通したあと、副官に渡した。
「ヴァンバルシア王ランデルが行方不明?」
「ヴァンバルシア王にはほかに兄弟がいない」
王弟オルビスがヴァンバルシアの王位継承権を主張したのだった。
名目上はオルビスとランデルの姉とのあいだに生まれた四歳の男子にである。
長男に生まれなかったばかりに王位を得られなかった男に、大国の玉座が舞い込んでくる。オルビスの野心はそれを黙って見過ごせるほど小さくはなく、自制心はそれを抑え込めるほど強くなかった。
当然、ヴァンバルシア国内でもランデルの親族たちが王に名乗りをあげるだろう。
「争いの種は尽きないな」
マハドは腰に手を当ててため息をついた。
「やれやれ、こんなことになるなら、あの小さな聖女殿に防壁の攻略法を教わっとくんだったなあ……」
「そんなもの、あったとしても教えてくれんでしょう」
フーリーも隣で大きく息を吐いた。
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