16 王城事件
大気を震わせ、大地を揺るがすような巨大かつ不快な音にだれもが耳を塞ぎ、暗い空を見上げた。
「あれは……!」
昼食を終えたばかりのアルバートは、食堂の窓際に走って身を乗り出した。
空中に十メートルを超える長さの物体が浮いていた。それはマムシを潰したようないびつな頭部をしていて、コウモリに似た羽と禍々しいかぎ爪を持っている。その不規則に気味悪く長い胴体をくねらせる姿は見るものに嫌悪感を抱かせた。
「ウガイの森に出た魔物だ!」
ココも駆け寄って確認した。
「まちがいありません」
「陛下を安全なところへ!」
アルバートは振り向いて、すぐに臣下たちに指示を出した。
「は、はいっ!」
臣下たちはすぐに従い、王と王妃の脇について部屋を出た。
難しい注文だった。どこが安全な場所なのかわかるはずもない。
ココとアルバートも窓際から離れた。
直後、また奇怪な雄叫びが響くと、すぐに轟音がして王宮が振動した。
外壁の崩れる音と人々の悲鳴が重なった。
地震に見舞われたかのように壁や床に亀裂が入り、建物が震え物が落ちてくる。
「さあ、ココも一緒に」
「はい」
アルバートはココをかばいながら食堂を出ると、王と王妃を追うように廊下を階段まで走った。
「父上と母上は下だ。ココはふたりとなるべく安全な場所にいてくれ」
「殿下は?」
「あれをそのままにはしておけん」
「えっ、でも……」
「心配ない、このための準備はしてある」
ちょうど下から兵士たちが上がってきていた。
「殿下!」
三十代半ばくらいの兵士がアルバートに声をかける。
王都守備隊の隊長、ケリー・シモンズだった。
「ご無事でなによりです。陛下は下に行かれました」
「うむ、我々は屋上で迎え撃つぞ」
「はっ!」
「ココは父上と母上を頼む」
アルバートは心配そうなココの肩に手を乗せて微笑むと、兵士たちとともに階段を駆け上がっていった。
ココが下の階に行くと、王と王妃は比較的堅牢そうな部屋に避難していた。
「ココ、こちらへ」
王妃が手招きする。
「殿下は兵士たちと屋上で迎え撃つとおっしゃってました」
「そうか……備えはしてあるが、魔物に試すのははじめてじゃな。うまくいけばよいが」
王は厳しい表情でうなずいた。
はたして、人間の手に負えるものなのだろうか。
ココはもう一度確認しようと外へ向かった。
「ココ様、危険です!」
ココは兵士の声に片手を上げて応えながら、表に出て空を見上げた。
建物が邪魔でよく見えないが、魔物は一匹で大きさは十年前ウガイの森に現れたものと同等のサイズのようだ。
「忌まわしき狩人……」
魔物によって壊された城の瓦礫が降ってくる。
中庭には耳を押さえしゃがみ込んでいるものが数名いた。魔物の叫び声はただうるさいだけでなく、聞いていると精神を蝕み頭をおかしくさせるのだ。
「ココ様、城の中に!」
そう言っている衛兵も、本当に建物の中のほうが安全なのか確信はなかった。
「中に入るか、できればなるべく建物から離れて!」
ココは中庭にいるものたちに声をかけた。
魔物はここから離れる気配がない。近くにいないほうが安全だと思われる。
建物に近いものは中へ、遠いものは城の外へと兵士たちが非難させる。
ココも城の中に入り王のもとへもどった。
「ココ、危ないからあまり動きまわらないで」
王妃がまた手招きした。
しかし、ココは部屋には入らなかった。
「ええと、殿下が心配なのでちょっと見てきます」
「だめよ、ココ! アルバートに任せてあなたはここにいて」
「ちょっとだけです。ちょっとだけ」
「ココ!」
王が片手を上げて王妃を制した。
「ココ、そなたは我々より魔物に詳しい。なにか気にあることがあるのかね」
「ええ、まあ……」
レイモンド王は「ふむ」としばし考えてから口を開いた。
「わかった、アルバートのことを頼む。だが、そなたもわしたちの大事な娘だ。決して無茶をするんじゃないぞ」
「あなた……」
ケイト王妃は抗議したそうだったが、王の決めたことであるし、レイモンドが手を握って「ココに任せよう」と言うので開きかけた口を閉じた。
「はい。ありがとうございます、お父さま——お母さま、かならず殿下とともにもどってまいります」
かつてココはウガイの森で魔物を退ける代償として右腕を失っている。「無茶をするな」とはそのようなことはもうするなという意味であった。
ココは階段を慎重に上がっていった。
アルバートはケリー・シモンズら三十名の兵士たちと屋上にいた。
そこには据え置き式の大型の弩である
床弩からは二メートルの矢を発射することができる。十年前のウガイ川での魔物の襲撃を受けて新たに設置されたものだった。
矢の射程は五百メートルほどあるので人口の密集している地帯へは落ちない計算である。教会の鐘が規則的に鳴り響いている。王都の住民はみな安全な場所に避難しているはずだ。
床弩は上方向に約六十度、水平方向には三百六十度回転するようにできている。
「魔物を迎撃せよ!」
アルバートは声をあげて自らそのひとつに取りついた。兵士が槍のような大きさの矢をセットする。
「魔物め、十年前のようにやられるばかりではないぞ」
屋上とはいえさらに高い建物や塔もあるので死角が存在する。
それらの合間を縫って矢を撃ち出す。
ほかの床弩もいっせいに射撃を開始した。
しかし、十メートルを超える的ではあるが、空中を動きまわるものに当てるのは難しい。
さらに、魔物の身体は体当たりで石造りの城の壁を穿つほど強固なのだった。
矢が当たっても角度が浅いと簡単に弾かれてしまう。
「くそっ、化け物め……よく狙え!」
ケリー・シモンズが悪態をつきながら部下に指示を出した。
魔物は城の外壁に突っ込み、反対側の壁から現れる。空中でうねうねと身体をくねらせながら方向転換すると、また巨大な矢となって体当たりしてくる。その姿を追って七基の床弩も右へ左へと向きを変える。
ようやく一本の矢が魔物の胴体に突き刺さった。
気味の悪い叫び声がいっそう大きく響きわたった。
「よし!」
シモンズが拳を握りしめた。
ちゃんと当たればダメージを与えられる。兵士たちの士気も上がる。
「いかん、来るぞ!」
すぐにアルバートの声が聞こえた。
胴体を刺した矢を放った床弩に魔物が向かってきていた。
轟音とともに足もとが揺らぐ。
その床弩があった場所には大きな穴が開き、そこにいた兵士たちは消えていた。
「四番がやられた!」
「くそっ!」
兵士たちの声が響く。
上空にもどった魔物は屋上を見下ろして威嚇するようにでたらめに並んだ牙を剥き声を上げた。
「こちらを狙っているぞ!」
ひとりが言った。
魔物はまず床弩から潰すと決めたようだ。
凄まじい速度で降下してくる。
狙われた床弩から兵士が飛び退くと魔物が激突しまた屋上に穴が空いた。そしてあらぬところの壁が破られ長い身体が建物から出てくる。
それをくり返し床弩を潰していく。
「ケリー、よけろ!」
アルバートが叫んだ。
魔物はケリー・シモンズの床弩に向かっていた。
しかし、シモンズは逃げることはせず、矢の先を魔物に向けた。
「しとめてやる……!」
まっすぐこちらに向かってきているなら狙いやすい。なにより、これ以上王子を危険にさらすわけにはいかなかった。
「化け物め、不快な面構えだ。エキドナの王都にはふさわしくない」
醜悪な頭部をめがけて矢を放つ。
眉間に当たった。だが、角度が悪かったのか弾かれてしまった。
「駄目か……!」
魔物が迫る。
シモンズは死を覚悟した。
直後、魔物の悲鳴が響き、彼の身体をかすめ「どう」と重い音を立てて床に落ちた。
アルバートが撃った矢が魔物の眼を貫いたのだった。
魔物はそのまま屋上を滑り、城壁を破って落ちていった。
アルバートと兵士たちが縁に駆け寄り見下ろすと、魔物は弱々しい声を上げ身体をくねらせながら消滅した。
「殿下、お見事です。おかげで命拾いしました」
「まぐれ当たりだよ。だが、おぬしが無事でよかった」
シモンズに声をかけられ、アルバートは「ふぅ」と息を吐いた。
「急ぎ怪我人の手当てを」
「はっ」
アルバートは空を見上げた。
あいかわらず暗い雲が重苦しくのしかかっていた。
「やはり小さき龍一匹では駄目だったか」
地下室に身を潜めていた男がつぶやいた。
「かの聖女が邪神を呼び出して自滅してくれればよかったのだが……まさか人間だけで撃退するとは大したものだ。だが、つぎはどうかな」
男は喉の奥を鳴らして「ククク」と笑った。
ココは上階に上がろうとして手こずっていた。
魔物によって階段が壊されたのである。
そうこうしているうちに魔物の気配が消えた。
アルバートたちが倒したのだろうか。
だが、まだ胸騒ぎのようなものがつづいていた。
魔物はだれかが呼び出したものだろう。
十年前の襲撃では魔物が二体いたが、ココが召喚した邪神によって倒されている。自分がいるとわかっていながらたった一匹で仕掛けてくるだろうか。
ココの懸念は的中した。
また奇怪な雄叫びが響き渡った。
アルバートが見上げている空に、先ほどのものと比べて三倍はあろうかという巨大な魔物が長い胴体をくねらせていた。
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