7 隻腕聖女

 一艘の船が近づいてきて、数名の兵士が桟橋に降りた。

 ほかの船は川に落ちたものの救助をしているようだ。


「大丈夫か!」


 最初に降り立った赤い髪の男が声をかけた。日に焼けていて、体格がよく、歳は二十代前半くらいに見える。


「ええ、焼けているので出血はわずかです」


「い、いや……出血とかそういう問題ではなく……腕が」


「大丈夫です。傷口は霊力でなんとかします」


「霊力? そ、そうか。あれは、いったい……」


「長いのは邪神の眷属で『忌まわしき狩人』とか『狩り立てる恐怖』とか呼ばれるものです。炎の邪神は、それをなんとかするためにわたしが呼び出しました」


「おまえが……あの火の玉を?」


「邪神に敵対する別の邪神を召喚したのです。さすがにタダというわけにはいかず、腕を一本持っていかれましたが」


「呼び出した邪神が代償として奪っていったということか」


「ええ……まあ、命までは取られなかったので安くつきました」


「なんとも豪胆な……我々はエキドナ王国のものだ。おれはウガイ城の警護をしているグレゴリー・ペダンという。おまえは何者だ?」


「わたしはナタ・デ・ココ。ヴァンバルシアの聖女でしたが、追放されてこの森で暮らしています」


「追放? こんな子どもが聖女でこんな場所に追放とは、よほどの事情がありそうだな」


「正確には『大聖女候補』です。子どもでもありません。話せば長くなりますが」


「そうだな、まずは手当が先だ。話はあとで聞こう」


 ココは船に乗せられた。

 船には女も乗っており、彼女たちが身体を拭いて着替えもさせてくれた。

 傷口は治療の必要がないほどふさがっていた。


「こちらのほうは大丈夫です。わたしも怪我人の手当てをお手伝いしましょう」


 逆に、救助中の船に行って傷ついたものや溺れたものを霊力で治療した。

 残った左の手のひらをかざし念を込める。怪我が一瞬で治るということはないが、徐々に回復していく。そのあいだにほかのものが応急処置をした。


「聖女殿、こちらもお願いします!」


「聖女殿、こっちも!」


 怪しげな術をつかう異国の少女に、そこかしこから声がかかった。

 それほど現状は逼迫ひっぱくしていたし、命が助かるなら魔術にでもなんでもすがりたいというのはだれでも思うことだった。

 ココは船から船へと移って治療をつづけた。




「あなたのおかげで多くの命が救われました」


 怪我人の手当てがひと通り終わり、ぐったりと座り込んだココの横に、治療の指揮をとっていた初老の男が立って言った。


「いえ、わたしにもっと霊力があればよかったのですが……まだ助けられた命もあったはず」


 どんな霊力を持ってしても、死んだものを生き返らせることはできない。

 目の前で息を引き取ったものもいた。その死をいたむ間も無く、つぎの患者へと移らなければならない。助けられたもののことよりも助けられなかったもののことを考えてしまう。これまでにないつらい経験だった。


「被害を最小限に食い止めることができました。これ以上望みようがないほどに。聞けば、魔物もあなたが追い払ってくれたとのこと、お礼の言いようがありません」


「いえ……お礼なんて」


 ヴァンバルシアで霊力をつかい果たして身体が成長しなくなったときは悲しかった。ウガイの森でひとりぼっちになったときは絶望した。しかし、まだまだそれを超えるような悲しみも絶望もあるのだった。人生にはいったいどれほどの不幸が用意してあるのだろう。

 ココはうつむいて左の手のひらを見つめていた。

 霊力が消耗している。

 治療につかったからではない。生きる気力が失われると霊力は激減するようだった。


「いや、礼は言わせてもらおう」


 後ろから別の男の声がした。

 ふり向くと、いかにも身分の高そうな服を着た年配の男がいた。そのとなりにはココとおなじくらいの年齢——実年齢ではなく見た目——の少年が寄り添っている。さらに、両脇を守るように数人の兵士が立っていた。その中にはグレゴリー・ペダンもいて、ココと目が合うとコクリとうなずいた。


「ずいぶんと世話になったからのう」


 身分の高そうな男が言った。顔は白い髪と髭で囲われている。そのせいで年寄りに見えるが、実際は五十歳くらいだろうと思われる。


「聖女が追放とはよほどの事情がありそうだな……わしはエキドナ国の王、レイモンド。こっちはせがれのアルバートだ」


 男は脇に立つ少年の肩をポンと叩いた。


「エキドナ王国の国王陛下と王太子殿下であらせられましたか、これはご無礼を」


 ココはうやうやしく膝をついた。


「かしこまらずともよい。そなたは命の恩人だ。疲れているところをすまんが少し話を聞かせてもらおう」


 王と王子は臣下の持ってきた椅子に座った。

 兵士のあいだから文官らしき男があらわれてココにたずねた。


「ナタ・デ・ココとおっしゃるそうですね。ここにいるグレッグに聞きました。ヴァンバルシア王国の大聖女候補だったが追放されたと」


「はい」


 ココは現在に至る境遇を憶測を交えず簡単に話した。


「なるほど、我々は『聖女』というものを深く理解していないのですが、あなたの追放には正当性が見受けられないように思います」


「どういった判断でこうなったのかは、わたしにはわかりません」


 ココはババロアの顔を思い浮かべながら答えた。


「では、先ほどの魔物についておたずねします。あとからあらわれた邪神はあなたが呼び出したとして、先にあらわれた蛇のようなものはいったいどういうわけで……」


「わかりませんが、だれかが船を襲わせるつもりで召喚した可能性はあります」


「このような恐ろしいことをするものは急いで捕えなければ」


 兵士のひとりが口をはさんだ。


「生きている可能性は低いと思います。召喚士は最初の餌食になったでしょうから」


「では、召喚したものはもう生きてはいないと」


 文官は兵士を制して質問をつづけた。


「おそらく」


「目的を達成するために自分の命を捧げたか……それにしても召喚したものを食ってしまうとはなんとも理不尽な……」


「邪神に人間の常識は通用しません。かれらには善も悪もなく価値観もまったくちがうのです」


「たまたま出くわしたという可能性は?」


「ないとは言い切れませんが、わたしがここで暮らしているあいだ一度も目にしたことはありませんでした。前回あらわれたのは数十年も前だと聞いていますので、だれかに呼び出された可能性のほうが高いかと」


「過去の記録を調べておけ」


 王が文官に命ずると彼は「はっ」と短く答えた。


「どうしてこんな支流のほうに」


 今度はココがたずねた。


「魔物をよけているうちに支流深くに入ってきてしまったのだ。たまたまだったが、あなたがいてくれてよかった。まあそちらとしては災難だったかもしれんが……」


「この恩には厚く報いると誓おう」


 王はココの肩口を見ながら言った。


「ここの暮らしは不便であろう。ぜひエキドナに来てほしい」


「陛下、他国の刑に服しているものですぞ」


 文官が異議を唱えたが、王の意思は変わらなかった。 


「命の恩人になにもしなかったというわけにはいかんだろう。それに、我々よりは魔物に詳しいようだから今後も相談することがあるかもしれん。ヴァンバルシアにはうまいこと言っておけ」


「またそんな無茶を」


 そう言いながら、文官も本気で止める気はないようだった。




 ココは、自分が国家間の争いの火種になるのは望まなかったが、皆がぜひにと言うので船に乗ってエキドナ王国へ行くことに同意した。

 人と会話をすると、またひとりぼっちになるのがつらいという心情もあった。

 出航の準備が整うまでまだ時間があったので、小船を借りて荷物を取りに住居にもどった。

 長い裾をなるべく汚さないように片手で持って森を歩く。

 川に落ちたとき着ていた服はまだ乾いてなかったので、代わりに着せられた大人用の淡色のワンピースをそのまま着用するように言われていた。袖や裾が余るが、王子以外はみな大人で、子ども用の服がなかったためしかたない。


「こんなところに六年もいたのですか……」


 小船を漕ぐためについてきたふたりの兵士が、ぼろぼろの小屋を見て感心したようなあきれたような声をあげた。


「え、ええ……まあ、住めばなんとやらで」


 ココはコンテナに荷物を詰めながら、顔を赤くして答えた。

 どうしても必要なものというのはそう多くない。ノエルが送ってくれた道具はあらかたコンテナひとつに収まった。

 そのコンテナを兵士が担いだ。ココは片腕なのでどうしようもない。


(ノエルに連絡を取る方法があればいいのだけど)


 今後、また荷物が送られてきたとき、それを回収しなかったらなにかあったと心配するにちがいない。

 ココはコンテナをバラした板の一枚に向かうと、釘で表面を削って文字を書いた。

 桟橋にもどるとそれを橋けたの木材のあいだに立て札のように差した。

 ふたりの兵士も手伝ってしっかりと固定した。

 板には「エキドナへ」と書いてあった。

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