18 邪神再臨

 太陽が厚い雲を突き破って降りてきたのかと思うような、巨大な火球が空中に出現した。


「生ける炎よ! 相克そうこくするものの眷属けんぞく、忌まわしき狩人をその業火で焼き尽くせ!」


 ココは以前とおなじように邪神に命じた。

 彼女を襲おうとした魔物は火球に気づいてそちらに意識を向けた。鋭い牙がでたらめに生えた口を威嚇するように大きく開いて、耳障りな音とともに呼気を吐く。しかし、火球が数倍に膨れ上がりながら突っ込んでくると呼気は悲鳴に変わった。

 「忌まわしき狩人」と呼ばれる魔物は一瞬で消滅した。

 奉仕種族が邪神にかなうはずがなかった。

 「よし」とココは独りちた。

 あとは邪神あいつが暴れはじめる前にもといたところへ帰さなければならない。前回召喚したときのことを思い返してみると、さいわい、ココの呪文の唱え方が未熟だからなのか、ほかに理由があるのか知らないが、邪神はこの空間に長く滞在できないようである。しかし、まがりなりにも「神」であるので、城や街に一撃でも加えられれば魔物とは比べものにならないほどの甚大な被害が出るだろう。

 邪神に敵も味方も人間の事情など関係ない。


「クトゥグア!」


 わたしはここだ、とココは叫んだ。

 よそに被害が出る前に、この身を捧げて時間を稼ぐ。

 邪神が気づいて、空中でギュンと軌道を変えた。

 ココのほうへ猛然と向かってくる。

 なぜあのように燃え盛っているのに熱くないのか。ウガイの森で右手を奪われたときも、本当なら身体ごと焼失してよさそうなものだが熱いとは感じなかった。

 死を目前にしながらココは意外にも冷静にそんなことを考えていた。

 つかの間、いろんなことが脳裏をよぎった。

 ものごころをついたときには聖女学校にいて、両親との思い出などなにひとつなかったこと。

 孤児と蔑まれながらも一心に勉学に励んだこと。

 大聖女候補に選ばれたものの最初の任務で力を使い果たして成長が止まってしまったこと。

 その結果、追放されて森の奥での生活を余儀なくされたこと。

 他者と比べてもまあまあハードな人生だったにちがいない。

 でも、最後には家族と呼べる人々に出会い、愛された。


「そんなに悪い人生ではなかった」


 ココは、口もとに笑みを浮かべていた。

 正視すれば正気を失うと言われている邪神を見据えながら、身体は恐怖に打ち震えながらも、心はどこか平穏だった。


「ココ!」


 幻聴かもしれないがアルバートの声が聞こえた。最期に、自分を愛してくれた王子様が自分を案じてくれている声を聞けるなんて——。


「ん、王子?」


 幻聴ではないような気がする。

 直後、ココの身体は吹き飛んだ。


「へぶぅっ!」


 脇腹に猛烈なタックルを受けて、変な悲鳴のようなものを上げて、さらに、身体をおかしな格好に曲げて真横に投げ出された。

 動かない義手が床を叩いてガシャンと鳴る。硬い床の感触が腰や背中に伝わる。


「で、殿下」


 顔を上げると、あお向けに倒れているココの腰にアルバートがしがみついていた。

 彼が飛びついてきて横に吹き飛ばされたのだ。

 邪神はそのすぐ脇を城の一部をえぐり取りながらかすめていった。


「殿下、離れて!」


 なぜ来たのか、責めている暇はない。

 火球はまだ消えていない。方向転換してこちらに向かってくる。


「嫌だ!」


「はなっ! しなっ! さいっ!」


 ココは身体のあいだに左手を差し込み、グイグイと押して離そうとした。

 しかし、アルバートは両手で抱きついているので引き剥がすことができない。


「ココ、俺をひとりにするな!」


「だからって……」


 だからといってここでふたりとも死んではなんにもならない。

 そう言う暇もなく大火球が目前に迫った。

 もう立って回避する余裕もない。

 ココは左手でぎゅっとアルバートを抱きしめた。

 大火球はぶつかる直前、跳ね上がった。


「?」


 自分から回避したように見える。

 ココは左手を見た。光っている。手だけではない。全身がまばゆい光を放っていた。

 大火球はそのまま天に昇り、奇怪な声を上げて消えた。

 ココは「ふぅ」と息を吐いて、全身の力を抜いた。

 光がゆっくりとやわらいでいく。


「殿下、もう大丈夫です。邪神は消えました」


「え?」


 アルバートは顔を上げた。頰に涙の跡があった。


「時間切れです。呼び出した者が未熟だったので長く留まることはできなかったようです」


「そ、そうか……よかった。正直、駄目かと思った」


「一度目は殿下のタックルのおかげ……」


 ココは脇腹をさすりながら言った。


「二度目も殿下のおかげです」


「二度目?」


「ええ、おそらくですが」


 アルバートの愛情が一気に流れ込み急速に霊力が高まった。それが身体が光った原因で、邪神はこの光が苦手だったのだろう。ほかの理由は思いつかなかった。


「ココが生きていてよかった」


 アルバートはまたココの身体に顔を埋め、ぎゅっと抱きしめた。


「ええ」


 ココもアルバートの背に左手をまわした。

 一旦は死を覚悟したが、生き延びたいま、お互い生きてこそ得られるもの与えられるものがあるのだということを痛感していた。


「生きていてよかったです」


 目から涙があふれて耳のほうへ流れた。




 危険が去り安堵したからといってのんびりはしていられない。それが責任者である。

 アルバートはココの手を引きながら被害の状況を確認していった。

 まずは王と王妃の安否である。

 レイモンド王は瓦礫の倒壊に巻き込まれて怪我をしていたが、重症というほどではなかった。


「ひどくやられたな」


 壁の壊れた一室で、王はベッドに上体を起こし包帯を巻かれながら言った。隣には王妃が寄り添っている。

 城は半壊し、どこもまともな部屋はなかったと臣下が報告した。


「でも、父上と母上が無事でよかった」


 アルバートが言った。


「ココ、また魔物が襲ってくることはあるだろうか」


「さっきのはかなり巨大でした。そのあとの追撃がないということはあれが切り札だったのかもしれません。つづけて呼び出せる数には限界があるのでしょう」


 「推測ですが」と言ってココは答えた。


「災厄の元凶を除かなくてはならないな」


「魔物を呼び出した者は捜索中ですが、城内外ともに混乱状態で難航しています」


 臣下が報告をつづける。


「ヴァンバルシアの動きも気になるところです」


 すぐにべつの臣下が入ってきた。


「ヴァンバルシア王国の船団がリック城を出てウガイ城に向かっているようです」


「ヴァンバルシアめやはり連携しておったか」


 レイモンドは苦々しく言った。


「父上、私もウガイ城へ行きます」


「行ってくれるか」


「はい」


 王太子がいることで士気が上がるのはまちがいない。

 人と人がぶつかり合う戦場では、士気の高さはそれだけで状況を覆すことがあるほど重要だった。


「わたしもお供します」


 ココが言うと王も王妃も王太子もみんなで止めた。


「ココは危険だからやめておきなさい」


「そうよココ、アルバートのことが心配なのはわかりますけど」


「女人が来るところではない。ここで吉報を待っていてくれ」


「いえ、魔物のこともありますし、お役に立てると思います」


 アルバートは王と王妃を順に見たあとココに視線をもどした。


「わかった。そこまで言うなら、戦場でおれを支えてくれ」


 ココはうなずいた。

 ふたりはすぐに動かせる兵を連れてウガイ城へ向かった。




 オルトロス王宮では懸命な救助活動がつづいていた。


「大丈夫か!」


 瓦礫の中から出てきた男に救助隊員が駆け寄った。


「ああ……なんとか」


「納入業者か、来たタイミングが悪かったな」


 救助隊員は男の身なりを見て言った。


「こっちで手当てを受けろ。歩けるか?」


「すまない」


 男は救助隊員の肩を借りて、王宮の広場に設けてある救護所に行った。そして、ある程度処置が終わると「もう大丈夫だからほかの者の手当てを頼む」と言って立ち去った。

 どこへ行ったのか。騒ぎのなか、だれも動けるもののことまで気に掛けている余裕はなかった。

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