19 十万水軍
アルバートとココがウガイ城に向かっているころ、ウガイ川ではすでにエキドナ、ヴァンバルシア両船団がにらみ合っていた。
「軍船が約五百隻、その後ろに補給船が数十隻。軍船のほとんどはご覧のとおり大型船です」
司令官のグレッグ・ペダンに、副官のダリウス・シルトンが伝えた。
ダリウスはグレッグより二歳年下で、グレッグほどではないが体格が良く、精悍な顔つきをしており、グレッグの燃えるような赤毛とは対照的にさわやかな銀髪だった。
「大型船が五百か」
川面を埋め尽くすヴァンバルシア軍に対して、エキドナ軍は三百隻程度。しかも、そのほとんどは小型・中型船だった。
「まだ見えませんが、旗艦と思われる船は城のように巨大だそうです」
「ほう」
「流れの緩やかな川で運用することを前提に設計されたものだと思われます」
「ほとんどの船が
グレッグは望遠鏡を覗きながら言った。
「
トレビュシェットとはアームの先に乗せた石などを反対側の重りの力で振り子のように飛ばす大型の投石機である。
「そのまま攻城戦にもつかえるな」
「はい」
「城壁を破壊される前に、城が埋まるほど石を放り込まれそうだ。まずはここで迎え撃とう」
エキドナ軍が布陣している水域からウガイ城まではいくぶん川幅が狭くなっている。狭いと言ってももともとが広い川なので対岸までは一キロメートルほどある。
「どんなに大軍で押し寄せても、幸い船は陸に上がれん。この川幅のうちで戦わねばならない」
背後にまわり込んで挟み撃ちにする、あるいは補給を断つなどという戦法はとれない。広大な森はいまだ開発されず、湿地に支流が網の目のように走っている。軍隊を通す道などなかった。
ヴァンバルシア軍の船団がゆっくりと近づいてきた。
「戦闘用意!」
グレッグが声を上げると、兵士たちがつぎつぎにそれを反復した。合図の旗が掲げられる。
「ここで俺の代わりに指揮をとってくれ」
グレッグは中型船に移りながらダリウスに言った。
「私がですか?」
「ふたり目が生まれたばかりだろう。つまらんことで怪我をさせては奥方に申し訳が立たん」
「お気遣いなく、初戦で死ぬ気はありませんよ」
グレッグは笑いながら「任せたぞ」と片手を上げて中型船に乗り込んだ。
エキドナ側は船首に
その投石機が動いた。
石が放たれたとき、グレッグはすでに突撃の合図を出していた。
うなりを上げて飛んでくる石の下を、すべての漕ぎ手をつかって全速力で突進する。
敵軍との距離は三百メートル。近づけば投石機はつかえない。
人力であるので、最高速度を維持できるのは十五分が限界と言われているが、三百メートルであれば二分とかからない。投石機が再装填されて機能するのは一度か二度だろう。
近づく前に航行不能に陥る船もあったが、多くは石の雨をかい潜り、衝角により敵船にダメージをあたえた。
お互い矢で応酬しながら、梯子や鉤縄で乗り込み白兵戦に持ち込む。
一時間ほど前線を荒らしたところで、グレッグは退却の太鼓を打ち鳴らした。
射程外まで迅速に引いていく。
投石の追撃はあったが、破損した前の船が邪魔でうまく狙えていなかった。
「ご無事でなによりです」
自軍にもどると、指揮をとっていたダリウスが駆け寄ってきた。
「ああ、そっちもな」
グレッグの鎧は
振り返ってヴァンバルシア軍を一望する。
航行不能になった船のせいで前進できないようである。大軍が仇となった。
「しばらくは時間が稼げそうだな」
「はい」
国内の各地から援軍が向かってきているはずだ。川下の城からは軍船も到着するだろう。
しかし、それらを合わせてもあの大船団を追い返すのは困難に思えた。
ヴァンバルシア船団のなかでも一際大きな船に国王ランデルは乗っていた。
「手こずったようだな」
玉座を模した椅子に座り頬杖をついて、つまらなそうに言った。
「はっ……現在、被害を確認中であります」
側に立つシドニー・モルガンが報告した。
シドニー・モルガンは五十歳。もとは黒髪だったが増えた白髪のためにグレーになった髪と、おなじ色の口ひげを生やしている。今回の遠征の司令官を任されていた。総指揮はランデルがとるが細かい指示は彼が出している。
「動けない船は破壊してもいいからさっさとどかせ」
「ははっ」
エキドナ軍はランデルの乗った船まではたどり着けなかった。
そのためあまり緊張感はなく、敵を全滅させたわけでもないので高揚感もなかった。
「船ではかなわんとみて城へ逃げ込んだか」
エキドナ側が籠城した場合、ウガイ城へ陸路からの補給が断たれることはない。一方、ヴァンバルシア軍もリック城からの補給を受け放題なので不毛な消耗戦がつづくことになる。
補給はリック城に残ったモン伯爵が担当している。国力が上であるぶんヴァンバルシアのほうが有利だろう。
しかし、時間をかけすぎると他国が関与してくる可能性がある。とくにエキドナはすでに各国にヴァンバルシアの国境を脅かすよう依頼しているにちがいなかった。
「すぐに城を落としてやる。お前の出番はあるかな」
ランデルは肘掛けに頬杖をついたまま、隣の椅子に座っているババロアを横目で見た。
「なければそれはそれで」
はじめて参加する戦闘にババロアはやや緊張した面持ちで答えた。
アルバートは歩兵を残して、まずは騎馬隊だけでウガイ城に到着した。ココは馬を扱えないので馬車である。
ウガイ城には各地からつぎつぎと増援が届いていた。城内に入れない軍があちこちで野営の準備をしている。
王家の紋章の刺繍が入った旗を見て、それらの兵士たちから歓声が上がった。
アルバートが片手を軽く上げてそれに応える。
ココはみんなに見られるのが恥ずかしくて馬車の中で一点を見つめていた。そもそも自分は戦力ではないので歓声を受ける立場にないのだ。
それでも、窓を閉めるのはあまりにも無愛想なので、大量の視線が刺さるのを感じながらもそのままにしていた。
「あの馬車に乗っている娘はだれだ?」
ひとりが右手を高く突き上げながら隣の兵士に聞いた。
「さあ……王太子妃様じゃないのか。殿下より年上だが見た目は幼いらしいからな」
「年上なのに幼いってどういうことだよ」
「いや、俺に聞かれてもわからんが、結婚する前は聖女だったそうだから、なんか俺たちとはちがうんだろう」
「ふうむ……片腕を失っても魔物を退けたという武勇の持ち主だったので、もっといかつい見た目をしているのかと思っていた」
「まあ、たしかに」
地方の兵士たちは王族に会うことなどまれなので、そういった感想もしかたのないことだった。
「しかし、前線に女を連れてくるとは、殿下も余裕だな」
「物見遊山で戦争見物に来られたのなら心配だがな」
「ううむ……」
だれもアルバートの采配を見たことがない。大国との戦闘を控えてみな不安だった。
アルバートが城主のオーガスト・ペダンに迎えられて城内に入ると、上流で一戦交えてきたらしき船が修理をしていた。
「ずいぶんやられたな……」
アルバートはそれを見てつぶやいた。
数百隻の軍船のほとんどが傷ついていて、無傷のものを探すのが困難なほどだった。
「敵はなかなかの大軍ですな」
再編成の指揮をとっていたグレッグと副官のダリウスが船から下りてきた。
「無事か」
「はい、殿下がお見えになるとは、これで兵士たちの士気が上がります。ココ様も、ええと……お変わりなく」
「おひさしぶりですね。ご無事でなによりです」
「いやぁ、生きた心地がしませんでした」
百キロの石が降ってくるなかの突撃だった。正直な感想だろう。
「王都に魔物が現れたと聞きましたが、そちらのほうはよろしいのですか」
「ああ、父上がいる」
「ヴァンバルシアの仕業でしょうか」
「魔物の出現を合図のように攻めてきたからな。偶然とは考えにくい」
「ヴァンバルシアは魔物を軍事利用できるようになったのでしょうか」
「さあ、それはどうだろう」
「魔物はただ出てきただけで、なんの目的もなく暴れていました」
アルバートの視線を受けて、ココは意見を述べた。
「コントロールされているようではなかったので、うまく利用できているとは思えませんでした」
「またココ様が邪神を召喚して撃退されたと聞きましたが」
「ええ、危ないところでした」
「ココにはまた助けられた」
「もう王都には出ないでしょうか」
「前のときは召喚したものが真っ先に食われたということだったからな」
「今回は王宮という隠れ場所があるのですぐに襲われることはなかったかもしれません」
ココは逆に「不審者が見つかったという報告は?」とアルバートにたずねた。
「いや、まだ無い」
「召喚したものが生きていた場合、またすぐに魔物が現れることもあるのでしょうか?」
グレッグがココにたずねた。
「魔物はわたしも召喚したことがないのではっきりとは言えませんが、いろいろと条件があるようなので、そうポンポンとは呼び出せないと思います」
「では、まずはこちらの敵の対応が先ですな」
「その邪神をここに召喚して敵を追い払うということはできませんか?」
今度はダリウスがココにたずねた。
「これまでは敵対する魔物がいたのでそれを倒してくれましたが、単なる人間の都合で呼び出したら自由に暴れて戦争どころではなくなります」
「具体的にはどんなことが……?」
「まず、この城が消滅します」
「やめておこう」
アルバートはすぐに判断した。
ココがダリウスに「お役に立てず申しわけありません」というと、銀髪の副官は「いえ、思いつきで言ってみただけなので、こちらこそすいませんでした」と恐縮した。
そこへ「敵影確認!」と物見台から兵士の声が響いた。
「殿下、こんな場ですが、遅ればせながらご結婚おめでとうございます」
船団の指揮をダリウスに任せ、城壁へ移動する途中でグレッグが言った。
「うむ、抜け駆けしてすまんな」
「とんでもない」
「おぬしも早く結婚してお父上を安心させたらどうだ」
「先日もそのことを話していたのです」
オーガストが割って入った。
「どうもせがれは私に似てココ様のような、聖女的な清楚な女人が好みのようでしてな。王都ならそのようなものも多いのではと思っておたずねしようと思っていたところです」
「そうだったのか、それなら早く言ってくれればよかったのに。と言っても私は女人に
「森の中で野人のように暮らしていた私が清楚かどうかは置いておくとして……そういう目でいままで王都の人を見ていなかったので急にはなんとも……でも、これからは気をつけて見ておくことにします」
「そうしてくれ。父親のぶんも」
「はい」
アルバートは、オーガストが「私に似て」の部分を強調したことを聞き逃さなかったようである。
「いやいや、これは楽しみが増えましたな。そのためには——」
「なんとしてもヴァンバルシアの船団には帰ってもらわなければなりませんな」
オーガストの言葉を息子が継いだ。
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