10 聖女再任
ナタ・デ・ココはエキドナの王都オルトロスで「聖女」という称号をあたえられた。
ヴァンバルシアでは「聖女」は職業であり称号でもあったが、エキドナにはもとから聖女というものはない。これを特例で王家に仕える一代限りの特別な身分とした。
聖女といっても、ヴァンバルシアとちがって女神信仰などないので、女神に祈ることはない。
神殿はあるが、立場の異なるものが入っていっても煙たがられるにちがいない。
ココは王太子の教育係ということで王宮に住むことになった。
あらゆる懸念を想定しておくのが仕事の臣下のなかには「殿下をヴァンバルシアの都合のいいように洗脳する気かもしれん」とココの行動に目を光らせているものもいるが、実際のところココの仕事は、教育係とは名ばかりのただの「王子の友だち」だった。
王太子アルバートには国内に兄弟がいなかった。ふたりの姉がいたが、どちらも他国の王族に嫁いでいた。
まわりに同世代がいないのは寂しかろうと両親は思っていたところである。王子は姉と遊び慣れていたのでココが女であることは問題ないと判断された。本当は同世代ではないのだが、それは見た目によって忘れられがちなのだった。
ココがエキドナの王宮に入ったことは、まもなくヴァンバルシアも知ることとなった。
ウガイ川で魔物に襲われたことを各国と共有したおり、国王が情報を規制しなかったので、それを退けた少女のことも他国の知ることとなったのである。
自国の罪人が重用されたと聞いて、すぐにヴァンバルシアの使者がやってきた。
「こちらで新たに刑を科すので、身柄を返して欲しい」ということである。
勝手にヴァンバルシアの刑法をないがしろにしたことを糾弾するような態度だった。
謁見の場でエキドナ王は使者に言った。
「追放したのだから、もうそちらの国民ではないだろう。そもそも勝手に我が領土であるウガイの森に追いやっているのだからな」
一度裁定が下されれば、恩赦があるか、冤罪と判明しないかぎり、まず覆ることはない。余罪が見つかったわけでもないのに、さらに刑を重くするとは公正な裁判として、また人道的にもおかしなことではないか。
ナタ・デ・ココを害しようとするものがいるなら——それが身分の高いものなら、余罪などいくつでもこじつけることができるかもしれない。
故郷に帰せば追放よりもっとひどい罰が待っているだろう。
「ヴァンバルシアの作法ではどうか知らんが、エキドナでは命の恩人にはできうるかぎり報いるようになっておる。ましてや代償として片腕を失った少女ひとり、森に置いておけようか」
「しかし、罪人を擁護するのはいかがなものかと……」
使者は食い下がったが、王は取り合わなかった。
「エキドナに居るのだから追放していることには変わりなかろう。擁護もなにも刑は執行中だ」
「要求を飲んでいただけない場合は実力行使も選択肢に入れているとヴァンバルシア王はおっしゃっております」
困った使者は言い方を変えた。
「貴国のよくないところだぞ、大国の武力を利用して力で言うことを聞かせようとしている」
「しかし、我が国は国際社会の盟主として秩序を保とうと……」
「そういうところだ、だれも盟主など頼んでおらん」
「……よいのですな」
「良いも悪いもない。ナタ・デ・ココはエキドナ国民としてわしが保護する」
「わかりました。もどってそのように伝えましょう」
使者は機嫌悪く帰っていった。
「なんだ?」
使者が退室すると、王は目を左右に動かして、同席していた臣下たちをジロリと見た。
「いえ、なにも申しておりませんが」
「小娘などとっとと渡して穏便にすませておけばいいものをと言いたいのだろう」
「まあ……はい」
「気が向かなんだ」
王はぶっきらぼうに言った。
「たしかにやや尊大な態度でしたからな、使者のかたも。お気持ちはわかります」
「言ってしまったものはしかたない」
ランデル王子の婚礼からの帰路に魔物に襲われたのはエキドナ王だけだった。しかし、使者はそれに対して心配も見舞いの言葉もなかった。
「陛下のお心のままに」
「どうせなら、もう少しきつくおっしゃってもよかったかと」
べつの臣下がそういうと、そこにいたもの皆の顔に笑みがこぼれた。
ヴァンバルシアの使者がココの返還を強く求めてきたことで、ココの「スパイ説」は薄らぐことにもなった。
「ヴァンバルシアから使者が来たと聞きましたが」
ココはアルバートとふたりで城壁の上を散歩していた。
「ああ、もう帰った」
「わたしがいることでご迷惑をおかけしているのでは?」
「父上の考えでやっていることだ。ココが気にすることはない」
「それならよいのですが……とはなりません。わたしのせいで国益を損なうようなことがあれば申し訳が立ちません」
「ココは心配性だなあ。子どもらしくない」
「何度も言ってますが、子どもではありません」
「ああ……そうだったな。その姿だから、どうしてもおなじくらいの子どもに思えてしまうのだ」
「まあ、わかりますけど」
どうしても見た目に引っ張られるというのはあるだろう。そのことについては——不可抗力ではあるが——自分のほうに問題があるので、あまり強くは言えないのだった。
ヴァンバルシア王国の王宮では王妃兼大聖女となったモン・ザ・ババロアが歯噛みしていた。
「とっくにのたれ死んでいるかと思えば……しぶといわね。おまけに王族の近くにいるなんて、ドブネズミのくせにまったく腹がたつ」
ババロアはつぎにココの名を耳にするときは死亡が確認されたときくらいだろうと思っていたので、予想外の報告に驚いていた。
「気に食わんのなら俺がお前の足もとに引きずり出してやろうか」
ババロアの自室で、王太子ランデルがソファにふんぞり返って言った。
「でも、あいつは王宮の中ですわ。エキドナ王は返還の要求に応じなかったとか」
簡単に手出しできないところにいるのがまたよけいに腹立たしくあった。
「国ごと奪ってしまえばいい」
「まあ、殿下。それでは、わたしのためには戦争も辞さないと?」
「いずれ、エキドナを併合して海も征服する。慎重派の親父がいるので、いますぐにとはいかんがな。そのときはネズミ一匹くらいお前の玩具としてあたえよう」
「ああ、嬉しい。楽しみですわ」
ババロアは王太子の隣に座り身体をあずけた。
しばらくして、ババロアは夕食をすませると父であるモン伯爵の執務室に行った。
「まさかナタ・デ・ココが生きていたとはな」
「あの森にたったひとりで六年も……驚きました」
すでに外は薄暗く、部屋の中にはろうそくが灯されている。
かすかにゆらめく光に照らされるババロアの表情は、ランデル王子と相対しているときとはちがい緊張した面持ちだった。
「追放では甘かったということか」
「あのとき、聖女を死罪にすると言えばさすがに反対するもののほうが多くなったでしょうし、しかたありません」
「まあ、お前を大聖女にしたあとのあの娘の処遇などどうでもよかったのだが……今後、お前にとってナタ・デ・ココは障害になると思うか?」
「いえ、とくにはなにも。報告によりますと、いまだ追放されたときのままの姿のようで、霊力はまったく回復していないと思われますし……のうのうと生きているのが腹立たしいというのはありますが」
「そうか、追放した我々の体面はあるが、問題がないならとりあえずはいい」
モン伯爵はいつものように手の甲を前後に振り、娘に退室をうながした。
「……お父様」
娘はドアの前で立ち止まって父を振り返った。
「ん? なんだ」
「その……エキドナの船を魔物が襲ったと聞きましたが、お父様はなにか関与されているのでしょうか」
「いや、知らんな」
「……そうですか」
ババロアはあらためて一礼して部屋を出た。
ババロアが立ち去ったあと、すうっとろうそくの炎が小さくなり、あたりが薄暗くなった。
その部屋の隅、ひと際暗い場所に、どこから入ったのか人影があった。闇に溶け込むような黒い服を着ている。フードを深くかぶっているので、表情はわからない。
「おぬしか」
モン伯爵は驚きもせずに「不手際だったな」とつぶやいた。
「……我々としては」
影が言った。フードの下に見える口もとと声から察するに男と思われた。
「ひとりの犠牲で『龍』が二匹も召喚できたのだから大成功です。想定外だったのは、近くに天敵となる邪神を召喚できるものがいたこと……」
「ナタ・デ・ココか……」
「しかも、邪神の眷属——あるいは邪神そのものを呼び出し、代償は片腕だけですんでおります。そのようなものがいるとは聞いておりませんでしたので」
「わしも知らなかった。大聖女ともなるとそんなことまでできるのか」
「聖女が邪神を呼び出した事例はございません。あの娘が特別なのかと」
「孤児ではじめて大聖女に選ばれたほどだからな、優秀だったのはまちがいない。であれば……」
モン伯爵は暗い部屋の隅に目を凝らした。
「天敵となる邪神を召喚できるものがいるのはおぬしらにとっても邪魔だろう」
「殺せ、と?」
「いずれ邪魔になるだろう、と確認しただけだ」
「我々のような小さな教団には、あなたのような強い後ろ盾が必要です。お役に立つところをお見せしましょう」
「急がずともよい。いますぐであれば我々が疑われる」
まだ先になるが、ランデル王子が自由に采配を振るうようになってからでもいい、とモン伯爵は思っていた。
「多少強引な結婚をしたので批判する声もある。我々もこれから地盤固めが必要だ」
魔物に国王が殺され混乱しているエキドナ王国に、魔物退治の名目で介入する。それで、強引な結婚から国内の目をそらさせ、ランデル王子を先頭に置くことで発言権を増す、という目論見もあったが、それは外れてしまった。
そもそも、教団をあてにしていたわけではないので、とくに失望することはない。
最近になって近づいてきた教団の力を知れただけでもいいだろう。
「果報は寝て待てと言うからな」
「かしこまりました。いつ指示があってもいいように準備はしておきます」
男がそう言うと、ろうそくの灯りがもどり、部屋全体が見渡せるようになった。
影は消えていた。
「カダス教団……か」
モン伯爵は椅子の背もたれに身を預けて目を閉じた。
所属する組織のためなら自分の命をも犠牲にする。自らの立身だけを考えて生きてきた彼にはその気持ちは理解できなかった。
不安要素は多いが、魔物の破壊力は馬鹿にできない。うまく利用すれば効果は期待できるだろう。
(狂信者どもめ……)
心底そう思ったが声には出さなかった。
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