14 暗雲蠢動

「これが、ヴァンバルシア大海軍設立の第一歩となる」


 ヴァンバルシア王国王太子ランデルは、報告書をパンと手で叩いて意気揚々と言った。

 昼食の席である。

 ランデルと妻のババロア、モン伯爵と夫人、そして王妃がいた。ヴァンバルシア王は病床にあって同席していなかった。

 報告書をもどされた臣下は一礼して退室した。入れ替わりに料理長のカラダールが入ってきた。ここのところちょくちょく厨房を出て顔を出す。いつも落ち着かない表情をしていた。


「なんだ」


 モン伯爵がじろりと見る。


「い、いえ、お味はいかがかと……」


「うまい! そなたの料理はいつも完璧だ」


 ランデルが褒めると、料理長は太った身体を小さくして恐縮した。


「はは……ありがとうございます」


「そういえば、そなたの妻はエキドナ人だったな」


 ランデルは先日狩猟で狩ってきた鹿の燻製肉をナイフで切りながら言った。


「はい……エキドナと戦さになるのではないかと心配しております」


「どういう馴れ初めだ?」


 ランデルはカラダールの心配事を聞き流してたずねた。


「私は若いころ、リック城まで海産物の買い付けに行っておりまして、そこでエキドナの貿易商人の娘だった妻と知り合ったのでございます」


「ふうん……奥方もたまには里帰りしたかろうな」


 ランデルは切った鹿肉を掲げて口の中に落としながら、自分が聞いたにも関わらず興味なさそうに言った。


「国がひとつになれば、その機会も増えよう」


「や、やはり戦さに……?」


「さて、もう少し条件が整えば……」


「その件では、我が娘がお役に立てると申しておりますぞ」


 モン伯爵が口を挟んだ。


「ほう、どのように?」


 ランデルの視線を受けて、ババロアはナプキンで口をぬぐって立ち上がった。

 窓に向かって片方の手のひらをかざす。


「おお!」


 ランデルは思わず声を上げた。

 窓の外、その視線の先、城下町の城壁のあたりに巨大な壁が出現した。

 はるか遠くでは、突然あらわれた壁に驚いて、通行中だった馬車の御者が慌てて馬を止めていた。


「聖霊防壁か!」


 ババロアが手を下ろすとそれは忽然と消えた。

 御者はまぼろしでも見たのかとキョロキョロとあたりを確認しながらゆっくりと馬車を進めていった。


「国境だけでなく、どんな場所にでも出せるというわけだな。これはいい!」


 王太子は手を叩いて喜んだ。


「完璧だ俺が造り上げた船団、お前の防壁——俺の矛とお前の盾、我が軍の進撃に立ち向かえるものはいない」


 ババロアは得意げな笑みを見せてうなずいた。


「ドブネズミを王太子妃にして、彼の国の血統は地に落ちました。高貴なるお方が支配すべきだと思います」


「お前との約束もあるからな。追放した聖女はなるべく生かして捕えさせよう」


 「しかし」とランデルは首を傾けて考える素振りを見せた。


「邪神を召喚できると言ったな、危険はどれほどある?」


「たとえできたとしても自滅するのは過去の例であきらかです」


「それについては、私に一計があります」


 モン伯爵が言った。


「エキドナの王都オルトロスで邪神を召喚させるのです。確実とはいきませんが、やってみて損はありません」


「ほう、おもしろそうだな」


「その場合、あちらの王太子妃を生け捕るのは無理かもしれませんが……ババロアも異存はないな」


「もちろんですわ」


「では、それはしゅうと殿に任せるとしよう。ところで——」


 ランデルはカラダールに話しかけながらちらりと母に視線を送った。

 王妃スザンナは息子の意図を察して、モン伯爵夫人カロリーヌに「私の部屋でお茶でもどう?」と声をかけ、ふたりで部屋を出た。


「では、私もお母様たちとお茶を」


 不穏な話になってきたので、モン伯爵に目配せされてババロアも席を立った。自分はまだ謀略には加担できないようだとやや不満げである。

 話の内容が内容なだけに給仕を下げていたので、自分でドアを開けた。

 ちょうど食事のかたづけに入ってこようとしたのか、向こう側にいたメイドにドアがぶつかり、メイドが持っていたトレイが落ちて派手な音を立てた。


「なにやってるのよ、この愚図!」


 ババロアは激しく叱咤した。

 機嫌を損ねていたこともあるが、もともと下の立場の人間には容赦がない。


「も、申し訳ございません! すぐにかたづけます」


 ババロアは、膝をついてかたづけているメイドを見下ろして舌打ちするとさっさとその場を立ち去った。


「父上はなにか食されたか?」


 ランデルはカラダールに視線をもどしてたずねた。


「いえ、あいかわらずご気分がすぐれないとのことで、スープだけしかお口にされませんでした……」


「スープは、いつものスープか?」


「……はい」


「そうか、そろそろゆっくり休んでもらおうか」


 その言葉を聞いて、カラダールの肩がびくんと跳ねた。


「父上にそのような料理を出してくれ」


「は……い、いつ?」


「早いほうがいい。今夜にでも」


「こ……今夜……ですか」


 ランデルは「頼んだぞ」と念を押して、カラダールの肩に手を乗せた。




 リック城の城下町にある東の神殿で聖女ブッシュ・ド・ノエルは、はっとして赤毛の頭を上げた。


「いまのは……?」


 神殿の中で視線をめぐらせる。


「聖霊防壁……?」


 視線が王都の方角に定まる。


「だれかが防壁を張ったの? 王都付近で?」


 聖女が戦時以外でも精霊防壁を張ることはないわけではない。

 いざというときのための訓練のようなものである。しかし、それは事故の無いようにしっかりと日時を決めておこなわれる。いまのように、気まぐれに、しかも国境以外に張ることは許されていなかった。


「ババロア……?」


 おそらくそれができる唯一の人物だろうとノエルは思った。

 ノエルは三十歳。聖女としてはベテランである。彼女はババロアが大聖女でいるうちは引退しないでいようと考えていた。なにかあると予感がするわけではなかったが、やはりそうしたことはまちがいではなかったと確信した。

 念のため神官に声をかけ、王都近辺で戦闘が行われていないか確認してほしいと頼んだ。

 届いた返事は「なんでもないから気にするな」だった。


「気にするなですって?」


 ノエルはこの街に大船団が建造されていることを知っていた。

 良からぬことが起きているのは、聖女のような特殊な能力の持ち主でなくても簡単に想像できた。

 当然、エキドナ側も警戒している。国境のウガイ城は兵力が倍以上に増強されているという。

 王太子ランデルが急進派だということは聞いている。では、そのそばにいるババロアはどうか。

 こうして力を誇示したということは、王太子のサポートをするということなのだろう。


「ババロア……エキドナにはココがいるのよ」


 決して仲が良かったとは言えないが、聖女学校で机を並べて学んだもの同士である。

 それが互いに王太子妃となって戦争をするところなど見たくなかった。

 ノエルは、ココがエキドナの王太子妃になったと聞いて自分のことのように喜んでいたが、浮かれた気分は一気に冷めてしまった。

 その耳にヴァンバルシア王の訃報が入ってきたのは一週間後だった。

 両国の緊張が高まるなかでの、慎重派のヴァンバルシア王の死であった。



 ヴァンバルシア国王ルーヴェンの葬儀は、エキドナ王太子の婚礼にならって各国の王の弔問を辞退した。

 リック城の船団の建造をよそからとやかく言われるのをランデルが嫌ったという理由もある。

 エキドナを攻めるならそれ以外の諸国にはうまいこと言って連携をとっておくべきだという意見はあったが、ランデルは面倒くさがりそれをしなかった。

 圧倒的な力を示せばどうせ黙る、ご機嫌取りのようなまねはしたくないということだった。

 そういう事情で王族こそ来なかったが、王宮には国内外からの弔問客があとを立たなかった。


「私はとんでもないことを……」


 料理長カラダールは王宮のあまり広くない一室で震えていた。

 少人数の談話室か、個人面談でもする応接室か。狭いと言っても王宮である。壁には絵が飾られ、四人掛けのテーブルや椅子、窓にかかるカーテンなど調度品には豪華なものがつかわれていた。

 カラダールは壁の絵を背に立っていた。その絵は、雲の隙間から地上に光が差し、雲上には人か天使のようなものが複数人いるというものだった。


「お前はなにもやっておらん。父は病死だ、そうだろ?」


「は、はい……それはそうですが」


 王太子ランデルとふたりきりだった。


「だったら、お前が気に病むことはなにもない」


 王太子はなだめるようにやさしい声で言った。


「さあ、つぎの仕事だ」


「つぎの仕事? 私はもうこのようなおそろしいことはいくら殿下の命であっても……」


「心配ない。だれも傷つけることのない仕事だ」


「いったいどのような……?」


「その絵だ」


 王太子はカラダールの背後の壁にかかっている絵を指さした。


「この絵がなにか?」


 カラダールが振り向いて絵を覗き込むと、ランデルは腰の細剣レイピアを抜いて背中から料理長の身体を貫いた。


「天国を描いた絵だそうだ。お前はもうだれも傷つけることはない。先にあの世に行って父上に詫びておいてくれ。天国に居ればの話だが」


 剣を抜くとカラダールはうつ伏せに倒れて絶命した。


「誰かある!」


 ランデルが大声を上げるとモン伯爵とふたりの従者が駆けつけた。

 モン伯爵は従者を部屋の外に残し、カラダールの横に片膝をついた。


「死んでおりますな」


「王を毒殺したことを白状したため俺がこの手で殺した!」


 ランデルは外のものたちにも聞こえるようにわざと声を張り上げた。


「王は病死にするはずでは」


 モン伯爵は立ち上がると声をひそめた。


「事情を知るものは少ないほどよい。こいつは気が弱い。いずれだれかに漏らすかもしれん」


「それはわかりますが、彼が王を殺める動機がありません」


「待て、いま考える」


 ランデルは顎に指を当て少し思案した。


「エキドナの指示だ。エキドナはかつてウガイの森で魔物に襲われた。それをヴァンバルシアのせいと逆恨みして、料理長に毒を盛らせていた。これならエキドナを攻める口実にもなるだろう」


「たしかに一挙両得ですが、料理長がエキドナの指示に従う理由は?」


「こいつの妻はエキドナ人だ。王を殺してエキドナにもどれば高い地位を約束されていた」


「なるほど、多少強引かもしれませんが、理屈は合ってますな」


「冤罪だなんだといつまでも騒ぎ立てられるのは面倒だ。こいつの一族も始末しろ」


「かしこまりました」


 王は病死ではなく謀殺ということになった。


「母上は勘付いているかな?」


「ある程度は怪しんでおられるかと」


「……まあいい、なにも言ってこなければこのまま隠居してもらうとしよう」


「はい」


「あと、代わりの料理人をひとり、腕のいいものを」


「早速手配します」


 時を置かずランデルの戴冠式がおこなわれ、彼の号令でエキドナ侵攻が決まった。

 王太子の性急な行動を見て、王の死因に疑いを持ったもののなかには「強引なやり方は舅のモン伯爵そっくりだ」とささやく声もあったが、大声で叫ぶものはこの十年のあいだにいなくなっていた。

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