3 聖女追放

 隣国からの侵略の脅威が去り、軍が平時の配置にもどって一週間後、論功行賞と祝勝会がおこなわれた。

 いちばん大きな戦功を挙げたのは、攻めてきた六国のうちの二国を撃破した軍の司令官だった。敵を撃破するというのはやはり戦果として華々しい。

 それとはべつに、今回臨時で大聖女に抜擢された少女のことも話題になっていた。

 聖女は防壁を張るという重要な役目を負いながらも、功を論じられることはほとんどない。もともと国によって衣食住は保障されているし、部下をねぎらう必要もない。あまり私財を持たないものとされていた。

 しかし、大聖女候補は王太子と同世代である。今度の恩賞とともに婚約の話も出るのではないかと噂されていた。


「この功績でナタ・デ・ココの王妃の座は揺るぎないものになった」


 モン伯爵のことをよく思っていないものからはそんな言葉がささやかれた。「どんなに娘を王妃にしたくとも、さすがにこの偉業を越えることはできないだろう」と。

 ナタ・デ・ココが宮廷に入ってきた。

 まだ体調がもどらないのか、車椅子に座らされていた。

 かつて、ここで大聖女の儀式に立ち会ったものなら、その変わりように驚いただろう。きらびやかだった金髪は真っ白になり、大人っぽい知性と子どもっぽい好奇心を混ぜ合わせた宝石のような碧い瞳は、紅く虚ろでなんの感情の光も宿っていなかった。

 車椅子を押しているのは現大聖女だった。そのふたりの姿を見れば、少女が代償として失ったもの、そして、その功績に対し敬意を払わねばならないことはだれの目にもあきらかだった。

 しかし、ナタ・デ・ココに対し発表された論功行賞は真逆のものだった。


「ナタ・デ・ココは大聖女としての重大な責務を負いながら聖霊防壁に綻びを生じさせ、結果、多くの戦死者を出すこととなった。大聖女の責任を果たさなかったことは極刑に値する。しかし、まだ候補者であったことによる情状酌量の余地ありとし、これらを鑑みて国外追放とする」


 宮廷内にざわめきが起こった。

 読み上げられた文言にはだれもが耳を疑った。

 聖女には褒賞がないのがあたりまえにしても、今回は将来の王妃となるかもしれない人物である。格付けのためにもなんらかの名誉があたえられると思っていた。それが、あたえるどころか追放とは。

 聴衆の視線は、車椅子に乗って前に出たココ、それを押している驚愕の表情の大聖女、無表情の国王、そして大臣たちのなかに並ぶモン伯爵のあいだを行き来した。

 モン伯爵の娘が聖女候補になっていることは、列席しているものたちには周知のことである。ナタ・デ・ココは目の上のたんこぶであるが、まさかこのようにあからさまに排除にかかるとはだれも予想していなかった。

 当のココは聞こえているのかいないのか表情に変化はなかった。


「待ってください!」


 代わりに、後ろにいた現大聖女が声を上げた。


「おそれながら申し上げます! この子は……ナタ・デ・ココは、かつてない未曾有の国難をたったひとりで救いました」


 大聖女は「ご覧ください」とココの白髪をすくい上げた。


「美しく輝いていた金髪は過労のあまりこのようになってしまいました。各地の聖女たちが倒れるなか、この子は己が身体を限界まで消耗させて責務を果たしたのです! これまでの歴史で国中に防壁を張れた聖女などおりません。彼女はそれをやり遂げました。罰するなら現役の大聖女である私を罰してください! この子は英雄として賞賛されこそすれ、罪人として扱われるいわれはひとかけらもございません!」


 大聖女は涙ながらに訴えた。


「たったひとりで救ったなどと、戦死者たちに対する冒涜だぞ!」


 だれもが大聖女の演説に心を打たれているなか、王太子ランデルが野次を飛ばした。

 そして、となりに座る大臣に「とっととあのクソ女を黙らせろ」とささやいた。


「はい……えー」


 声をかけられた大臣はしかたなく立ち上がった。


「勲功調査はわれわれ調査委員が熟慮したうえ、国王陛下によって裁定が下されました。くつがえることは……」


 そこまで言って大臣はチラリと国王のほうを向いた。

 王は黙って首を横に振った。

 それを受けて大臣は「ありません」ときっぱりと言って座った。


「そんな……そんな……あまりにもひどい……」


 大聖女は車椅子を握った手を震わせ、うつむいて涙をこぼした。

 それまで無反応だったココが顔を真上に起こして大聖女のほうを見た。そして、ゆっくり手を伸ばし、涙が伝う彼女の頬に触れた。

 まだ言葉を発することはできなかった。




「次期大聖女はおまえだ」


 モン伯爵は自宅の執務室の椅子に座り、前に立つ娘に言った。


「はい」


 ババロアは緊張した面持ちで答えた。

 大聖女候補になれなかったという自分の失態を、父親に——まわりから非難されるというリスクを覚悟して力技で——補ってもらったのである。大きな恩と借りを受けたと感じていた。当然、あとで返すことを期待されている。


「いろいろと根まわしはしたが、思ったよりすんなりといった。まだ先のことだが、伯爵家との婚姻なら王子も乗り気だ。まあ野良犬を妻とするよりは貴族であればだれでもよいのだろうがな」


「殿下に気に入られるよう、全力を尽くします」


「ああ、そうしてくれ」


 モン伯爵は手の甲を前後に振り、娘に退室をうながした。

 一礼をして娘が出て行く。

 ひとりになったモン伯爵は椅子に身体をあずけて腹の上で両手の指を組んだ。

 べつの娘が大聖女候補に選ばれたときは、どうするべきか手を打ちあぐねていたが、皮肉にも戦争が幸運を運んできた。強引なやり方にはなったが、大聖女候補というもっとも邪魔な存在を排除できたのだから。国家の危機ではあったものの、大聖女候補がそれを救い、そして消えていった。


「果報は寝て待て、か」


 娘が王妃になれば、モン家はますます安泰である。

 モン伯爵は目をつむってほくそ笑んだ。




 ココは東の国境地帯にある「ウガイの森」へ追放されることになった。

 ウガイの森の向こうにはエキドナ王国という小国がある。森は広大なうえに川が入り組んでおり、進軍にまったく適していないだけでなく、魔物まで出ると言われているため、先の戦争でもエキドナ王国は積極的に攻めてこなかった。この森が緩衝地帯となってこれまでも軍事衝突はほとんど起きていない。

 ココの追放には時間的猶予があたえられた。

 終戦直後は歩くことはおろか話すこともできなかったのである。それを魔物が棲むともいわれる森のなかに放り込めば、一日も生きながらえることはできないだろう。

 ウガイの森にたったひとりでは、どちらにせよ長くはもたないだろうと思われるが、直接的に死に追いやることは女神の罰が当たりそうでだれもやりたがらなかった。

 結局、体力が回復するまで刑の執行は保留ということになった。

 そのあいだ、大聖女が自分の娘のように甲斐甲斐かいがいしく世話をした。




 ナタ・デ・ココがもとの知性と好奇心のかたまりにもどるまでに二年の歳月を要した。

 ただし、髪の色、瞳の色、そして色素が抜けたような白い肌はもとにもどらなかった。大聖女に歴代最高と称えられた霊力もほとんど回復していない。

 それだけではない。彼女の身体は二年経っても成長していなかった。

 十二歳から十四歳、本来なら育ち盛りであるはずなのに、身体にはなんの変化も見られなかった。


「こんなふうになるなんて……」


 大聖女はココを見るたび涙ぐんだ。生き物が成長するための力までも、すべて国を守るために捧げたのだ。それなのにこの仕打ちとは。

 やがて、ココの回復を知り、国外追放の刑を執行するため国の役人たちが神殿にやってきた。

 くり上げで次期大聖女候補になったモン・ザ・ババロアも一緒だった。


「無様ね。霊力をつかい果たしてすっかり『出涸らし』状態じゃないの」


 二年で順当に成長したババロアは、長い艶のある黒髪をこれ見よがしにかき上げながら、白い髪、紅い瞳、変わらぬ背丈のココを見下ろして馬鹿にしたように鼻を鳴らした。とくに用事があったわけではなく、最後にココをあざ笑いに来ただけのようだ。


「ババロア。あなたの傲慢なところは鼻についたけど、才能は素晴らしいと思っていたのよ、いわれのない暴力さえ振るわなければ。もっと謙虚で良家にふさわしい振る舞いをしていれば、お互い切磋琢磨できる良いライバルになれたのに」


 ココはいたって平静に語りかけた。「いわれのない暴力」とはノエルに振るったものであるが、それ以外にもちょくちょく暴力沙汰を起こしては親の権力で不問にされていたのを知っていた。


「この期におよんでなんで上から目線なのよ!」


 絶望しているだろうと思っていたココにたしなめられて、ババロアは顔を真っ赤にした。


「そういうところが気に入らないのよ。浮浪者のガキのくせにあたしと対等に話せると思うな、野良犬が!」


「その浮浪者のガキに失望されているあなたはなんなの?」


 ババロアは歯ぎしりしながら両拳を握りしめて肩を震わせていた。

 ひっぱたいてやりたいが衆目の前なので我慢しているのだった。


「こいつは罪人よ! 民衆にわからせるため囚人服を着せて、逃げ出さないように縄で縛りなさい!」


 ババロアはココを指差すと役人たちに向かって吠えた。

 いまココが着ているワンピースは、大聖女が自身の着ていた服を仕立て直してくれたもので、高価な素材でできていた。


「仮にも一度は大聖女としての務めを果たした者です。おろそかなあつかいをすると女神の罰がくだりますよ」


 役人たちはモン家の子女の言葉に従おうとしたが、大聖女に言われて思いとどまった。だれでも女神の罰は怖いのである。

 ババロアは舌打ちすると、役人たちに「役立たずが」と吐き捨てるように言って神殿から出ていった。


 ——もう二度と会わないだろう。

 このときはふたりともそう思っていた。


「大聖女様、お世話になりました」


 ババロアの後ろ姿を見送ると、ココは吹っ切れたような笑顔を大聖女に向けた。


「ココ……」


 大聖女のほうはこらえきれずにココを抱きしめて涙を流した。


「大聖女様、あなたのおかげで肉親の情というものがわかったような気がします。これからはそれを糧に生きていきます。ありがとうございました」


 ココはそう言うと役人にいざなわれて神殿をあとにした。

 大聖女のほかに見送るものはいなかった。聖女学校で一緒だったいちばんの友人のブッシュ・ド・ノエルは数ヶ月前に任地である地方の神殿へ旅立っていた。

 大聖女は役人たちにすがって泣いたが、懇願も虚しくナタ・デ・ココはウガイの森へ追放となった。

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