2 聖霊防壁

 モン・ザ・ババロアは王に謁見したあと、教室にもどると腕を組んでイライラしたように歩きまわっていた。大聖女候補のココと校長はまだ王宮である。


「ココが大聖女に選ばれたおかげでお父様をすっかり失望させてしまったわ!」


 ババロアが大聖女になることで王太子と結婚し、王家との絆は揺るがし難いほど強固なものになるというモン家の計画は、彼女が大聖女になれなかったため崩れ去ってしまった。

 娘に失望した父親は「地方の神殿に行きたくない」というババロアの懇願も蹴ってしまった。


「おかげでこっちは当分田舎暮らしよ!」


 楽しいはずの十代を田舎の神殿にこもって過ごすこととなったのである。


「しかたないわ。だってココは歴代の生徒のなかでもトップと言われるほど頑張ったんですもの」


 脇を通るときに、椅子に座ったブッシュ・ド・ノエルが言った。

 ノエルはココとおなじく孤児で成績はババロアと互角、聖女候補にも選ばれていた。


「うるさいわね!」


 ババロアはノエルの赤毛を掴むと、顔面を机に叩きつけた。


「だれがあなたに意見をたずねたの? 黙ってろ、このうす汚ないドブネズミが!」


 もう一度打ちつける。

 ババロアは、自分よりはるかに成績のいいココの前では激情を抑えていたが、ほかのものたち——とくに孤児には容赦がなかった。

 生徒たちのなかに名門モン家の子女の行為を止められるものはいない。

 教室内に鼻血を出して泣くノエルの声だけが響いていた。




 ココが保健室に行くと、ノエルがベッドに寝ていた。鼻には布を詰めている。


「ノエル、大丈夫?」


「……うん、大丈夫よ。ちょっと鼻血が出ただけ。もう止まったわ」


 ココはベッドの脇の椅子に座ってクラスメイトの顔をのぞき込んだ。目立った外傷は無いが、鼻と額は赤くなっていた。


「クラスの子に聞いたわ、大事ないならよかったけど」


 そう言って立ち上がったココの手首をノエルが掴んだ。


「どこに行くの?」


「ババロアにひと言注意しておこうと思って」


「だめよ。伯爵家と問題を起こせば、せっかく大聖女候補になったのに取り消されるかもしれないわ」


「……でも」


「そうしたらけっきょくババロアが得をするだけでしょ」


「そうだけど……」


 ノエルに説得されてココはまた椅子に腰かけた。


「……ババロアにも困ったものね」


「あの子は気位が高いから……きっと、孤児とおなじ教室で勉強しているというだけでも腹立たしいのよ」


「生まれる家は選べないというのにね」


 逆に言えば、名家に生まれたとしてもそれだけでは自分の功績にはならないということであった。

 王立聖女養成学校は全国から女子を募集している。大聖女は王妃になれる可能性があるし、たとえ聖女でも「家から何人聖女を出した」と家名に箔がつくので、当然生徒には名家の子女が多い。それに加え、この国特有の「女神の慈悲」制度というものにより、少ないが孤児もいる。学校が孤児を引き取るのは建前に近いが、まれに聖女になるほど優秀なものもあらわれるのだった。


「でも、嬉しい。そのババロアを出し抜いてあなたが大聖女に選ばれたんだもの」


「出し抜いてというのは言い方が悪いわね」


「あら、これは失礼しました、大聖女様」


「なによ、あなただって聖女様じゃない」


 ふたりは同時に笑った。


「でも、ココ。大聖女のあとは王妃様よ」


「そうね。今日の王宮の儀式のあとチラッと王太子殿下にもお目にかかったけど……孤児が王妃になるのはとても嫌そうだったわ」


「ババロアみたいだった?」


「ええ、高貴な方というのは、みんなそうなのかもしれないわね」


「そうか……先が思いやられるわね」


「まあ、いまは聖女の務めのことが大事だから。そのことだけ考えるわ」


「聖女になったら、あなたは王都、あたしは地方だから会えなくなるわね。寂しいわ」


「まだまだ先のことよ」


 ノエルが手を伸ばしてきたので、ココはそれを両手でぎゅっと握った。

 まだ先のこと。だれもがそう思っていたが、今日晴れたから明日も晴れるとはかぎらないように、歴史の流れも刻一刻と変化し、いつまでも緩やかとはかぎらないのだった。




 その年、ヴァンバルシア王国を大きな危機が襲った。

 大国の専横に反発した周囲の六国がいっせいに攻めてきたのである。

 遠い昔に、女神と契約したときの戦争の再来であった。

 広大な国土を持つヴァンバルシア王国は、大陸のほぼ中央に位置し、軍事力も経済力も他国を圧倒していた。それでも、六国を一度に迎え撃つには不十分だったが、ヴァンバルシアの強さは軍事力だけではなかった。


「防壁を張れ!」


 ヴァンバルシア王ルーヴェンは命じた。

 鉄壁の守りを誇る『聖霊防壁』が発動した。

 聖霊防壁は各方角に置かれた八つの神殿の聖女と王都にいる大聖女との連携ですべての国境沿いに霊的な防壁を張るというものである。これによって何人たりとも国境を侵すことはできない。

 「霊的な防壁」とは、城壁のように高い光る半透明の壁のことである。外からの物理的な攻撃は受け付けないが、内側からは矢などを射かけることができる。

 この防壁があれば、六国を同時に相手にしなくてもいい。

 なんなら、戦力を一点に集中させて、一国ずつ撃破していくことも可能なのである。

 とはいえ、国土が広大であるため、大軍を南へ北へと行き来させることは現実的ではない。一箇所に集められる軍勢には限りがあった。

 防壁によって進撃の勢いは止められたが、六国はあきらめなかった。

 そのため、戦況は各地で膠着こうちゃく状態となった。

 それが六国の狙いだった。




「このままではらちがあきませんな。やはり防壁を越えるのは不可能なのでは?」


 西から攻めているサイバリア王国の将軍に副官のフーリーがたずねた。

 カダファル・フーリーは三十二歳。やや肥満気味でいつも額の汗をハンカチで拭いている。


「このままでいい、いずれ勝機が訪れる」


 西国の若き将軍シャルマーク・マハドは聖霊防壁を見上げたまま答えた。彼は二十四歳。今回の戦いではじめて将軍に抜擢された。黒い髪と日に焼けた肌、兵たちの先頭に立つにふさわしい精悍な顔立ちをしていた。


「そういう作戦なんですか?」


「ああ、六国の指揮官すべてに通達してある」


 マハドは矢のとどかない距離に陣を敷いてどっしりと構えていた。

 やがて、もともと半透明だった防壁の輪郭がゆらゆらと歪みはじめ、ついには消えてしまった。


「お!」


 座ってぼんやりと眺めていたフーリーが腰を上げた。


「これは、頃合いですかな」


 しかし、将軍はまだ動かなかった。


「もうしばらく待て」


 言い終わらないうちに、ふたたび防壁があらわれた。

 副官は「ふぅ」と息を吐いて、椅子に腰を下ろした。

 なにが起こっているのか。

 聖女とはいえ人間である。二十四時間霊力をつかって防壁を張りつづけることは体力的にも精神力的にも難しい。

 疲弊した聖女のいる場所からつぎつぎと防壁にほころびが生じ、それを大聖女がサポートしているが——大聖女と合わせて聖女は九人いるといえども——今回のように六箇所同時に長時間張りつづけるのは困難だった。

 サイバリア軍の前の防壁がまた揺らいで消えた。今度はなかなか復活しない。

 修復に追われていた大聖女が疲労のためついに倒れたのであった。

 王都の大神殿は大聖女が倒れたため大慌てだった。

 綻びをそのままにしておけば敵の侵入をゆるしてしまう。早急に代理を立てなくてはならない。


「すぐに代わりのものを呼べ!」


 王の命が下ると、近くの宿に待機していた大聖女候補のナタ・デ・ココが呼び出された。

 緊張した面持ちのココが神殿に入る。


「あんな子どもで大丈夫か……」


「この国ももう終わりかもしれん……」


 十二歳の大聖女にだれもが不安を覚えた。




「よし、今だ! 進軍開始!」


 マハドは全軍に号令をかけた。

 兵士たちがいっせいに動き出す。

 ヴァンバルシア側にも国境守備の城はあるが、各地に兵力を分散しているため不利な状況だった。ほかからの援軍も見込めない。

 しかし、前進する西国軍の前にふたたび防壁があらわれた。

 前進は止められた。

 ココが大神殿に着くなり聖霊防壁を張ったのだった。


「まだか……まあいい、時間の問題だ」


 マハドは進軍を取りやめ、待機命令を出した。そう長くはもたないだろうとにらんでいた。

 しかし、防壁は完璧だった。

 各地の聖女が過労で倒れていくなか、ココはほぼひとりで鉄壁の防御をつづけた。




 現役の大聖女が意識を回復したとき、防壁がまだ維持されていたことに驚いた。

 各地もおなじ状況だったが綻びはない。これほどの霊力をつかいつづけることなどできるはずがない。

 神殿に横たえられていた大聖女は医師に支えられてココのもとに行った。


「代わります。少しでも休みなさい。あなたの身体がもたないわ」


 ココはその言葉を聞くと、その場でばたりと倒れ、気絶したように眠りについた。


「代理どの……!」


 神官たちに揺り起こされたのは三時間後だった。

 やはり大聖女は限界だったようで、また意識を失っていた。




「意外とねばるな」


 三日後、西国の将軍シャルマーク・マハドは聖霊防壁を見上げながら言った。もう何度目かの言葉である。


「閣下!」


 そこへ副官のフーリーがやってきた。


「ヴァンバルシア軍が反撃に出ました。北から順に各個撃破されています」


「そうか……では引き上げるとするか」


「よろしいのですか?」


「兵を無駄に消耗させるわけにはいかんからな」


 ヴァンバルシアが戦力を集中させれば一国では太刀打ちできないのはあきらかだった。


「作戦は悪くなかったが、この壁がこんなに長くもつと予測できなかったのが敗因だな」


 マハドはさっさと帰り支度をしながら防壁をふり返ってつぶやいた。


「われわれはもっとあの壁のことを知らねばならん」


 このあと、サイバリア王国だけでなく残りの国もつぎつぎとあきらめて軍を引き上げた。




「よく頑張ってくれました。あなたのおかげで王国は守られましたよ」


 大聖女が声をかけたとき、ココにはほとんど意識がなかった。床に倒れたまま、まだ防壁を張らんと霊気を放っていた。


「もう大丈夫よ」


 大聖女がココの肩に手をおくと、ようやく防壁が解かれた。

 ココは一生分の霊力をつかい果たしたかのように、身体中から血の気が引き、髪は真っ白に、そして瞳は紅くなっていた。


「こんなになってまで……まだ若いのに」


 大聖女は涙ぐんで、ぐったりしたココの身体を抱きしめた。

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