第13話(最終話)
新社会人になってから、あっという間に一ヶ月が過ぎようとしていた。
まだまだ学生の名残りが残っている。
名残りならまだいいが、どちらかというと哀惜に近い。いつまでもしがみついていたいのに強引に剥がされたという感じだ。
俺は今、大学受験用の教材を作る会社に就職している。
結局、あの久実という女の子とは半年くらい付き合ったけど、いくらSNSやLINEとかが発達しているとはいっても遠距離恋愛には限界があった。
そのことを菜穂に告げたら当然そのままよったんの耳にも入って、「なんか話聞いてびっくりしちゃってさあ」って心配の電話がよったんから来たりもした。
そのよったんと菜穂は、もう付き合い始めて二年半になる。
もう一年ほど前に、互いに大学を卒業して就職したらすぐに結婚しようという話になっていたようで、俺もずいぶん相談に乗った。
菜穂の親は、せめて就職してから二、三年くらいたってからにしなさいということだったらしいが、その双方の親同士はその時点ですでにもう会って話をしていたようだ。
菜穂の両親がわざわざ田舎から、よったんの両親に会うために出てきたのだ。
それからは遠距離ではあるけれど家族ぐるみの付き合いだそうだ。
そんな、五月の連休も終わったころに菜穂からLINRが来て、あらたまって二人で会いたいと言ってきた。
考えてみれば菜穂がよったんと付き合い始めてからは、三人もしくはそれ以上で会うことはわりと頻繁にあったけれど、菜穂と二人きりで会うことはほとんどなくなっていた。
俺は何げなく、菜穂のアパートのいちばん近い公園を指定した。
俺は就職と同時に学生時代のアパートは引き払って、少しアップグレードしてワンルームマンションに引っ越したが、菜穂はどうせ住むのもあとちょっとだからと学生時代から引き続き同じアパートにいる。
俺の仕事が終わって急いで駆けつけてももう暗くなっているころだし、わざわざ菜穂に食事をしたりお茶を飲むような店がある所まで出てきてもらうのもなんだかなと思って、菜穂のアパートのすぐ隣の公園にした。
実はここは昔、菜穂とまだ二人きりで遊びに行っていた頃に、帰りが遅くなったら菜穂のアパートの近くまで送っていき、最後にこの公園で語らって別れたそんな思い出の公園なのだ。
ターミナル駅から俺は乗ってきた私鉄とは別の私鉄に乗り換えて、各駅停車でひと駅目で降りた。各駅停車しか止まらない駅だ。
そこから最初は片側二車線の大通りの右側の歩道を進み、すぐにそれて細い道へ入ると、その公園はある。周りは閑静な住宅街で背の高いマンションなどもあるが、一戸建ての家も多い。
菜穂のアパートはその公園の際の、三階建ての鉄筋の建物だった。
ここなら長いこと菜穂を待たせなくても俺が駅に着いた時点で連絡を入れれば、菜穂は俺が着く頃を見計らって自分の部屋から出てくるだろう。
駅から歩いて八分くらいだった。
俺がちょうど公園に着くと、菜穂はアパートから出てきた。公園に入ったところに、簡単な屋根のついたベンチがある。
俺たちはいつもここで語り合ったものだ。今日もそのベンチに座った。
公園はそれほど広くはない。
すぐそばに子供の遊具なども街灯に照らされて見える。昼間は児童公園なのだ。もちろんこの時間、もう子供などはいない。
子供どころか誰もいなかった。
「今日はもう仕事、早く終わったのか?」
俺はベンチで、隣の菜穂に聞く。
「ううん。今日はね、有給とった」
「そんな入ってすぐの新人が有給とれるんか?」
俺の会社では考えられない。
「うん、うちはわりとホワイトだから」
菜穂は医療器具販売の会社で働いている。
「それでね、今日は朝早くから結婚式の打ち合わせのためによったんと二人で挙式するホテルに行ったり、美容院に行ったり、新生活のための買い物に行ったりとか、いろいろ歩き回ってた」
「そうなんだ」
「疲れたよ」
そう言って菜穂は笑った。昔と変わらない笑顔だ。
「で、司会の人との打ち合わせもあったし。でも、今日はひろくんと約束があったから急いで帰ってきた」
「そっか。でも、いよいよ結婚か。彼との付き合いも、もう二年半だもんな」
「でも、ひろくんとの付き合いの方がもっとはるかに長いじゃん。もう八年目? 長い付き合いだね」
「だな」
「今までいろんなことがあったね」
菜穂は目の前の児童公園の方を見て言った。
「私、わがままだから、私に合わせるの大変だったでしょ?」
「そんなことないけど」
「でも今は、その大変な役割をよったんがしてるけどね」
そう言ってクスッと笑った後、菜穂は俺の方を見た。
「本当に今まで、どうもありがとうね。それが言いたくて呼び出した」
「そんなわざわざ。俺、何もしてないじゃん」
「ううん。去年の今ごろ、よったんと私が落ち込んでた時には、お世話になったじゃない」
「そんなこともあったかな」
「あの時はピーピー泣いてばかりでごめんね。でも、ひろくんと会ってから、落ち込み、直ったもんね。ひろくんがいなかったら、私とよったん、今いっしょにいなかったかもしれない」
「おおげさだろ」
俺は少し笑った。菜穂はまた正面を見て話しだした。
「本当に感謝してる。よったんのことだけじゃなくて、ほかの人のことでもいろいろ心配かけたし、相談に乗ってくれたり、いろいろあったね」
「たいしたことしてないよ」
「今までの想い出、いつまでも永遠に忘れないから、ひろくんも忘れないでね」
「もちろんだよ。でももう、こうして二人きりで会うこともないだろうね。なんだか、ますます菜穂が遠くに行ってしまうような気がする」
「え? これからも変わらないよ。これからも今までと同じように私とよったんのいいい友だちでいてね。私たちの家にも遊びに来て」
「そう。ずっ友だもんな」
「そう、ずっ友」
俺は少し言葉を途切れさせた。
もうほとんど忘れていたけれど、俺はどうしても菜穂と付き合いたくて何度もモーションかけて、そのたびに断られていた。
そんなことが突然頭に甦る。
それで黙って菜穂を見つめた。
「なあに?」
いつもの笑顔で菜穂も俺を見て聞く。
俺は言いたかった。
最初で最後になるけれど、一度だけ菜穂をきつく抱きしめさせてほしいと。
もちろん……そんなことは言えなかった。
だから、黙って手を差し伸べた。菜穂は笑顔で握手に応じてくれた。
「幸せになれよ」
「うん、ありがとう」
「おめでとう」
その時、菜穂の目に光るものを見た。そしてそれは一筋の流れとなって菜穂の頬に伝わった。それでも菜穂は笑っていた。
「それで、結婚式の招待状、返事も出してなくてごめん。でも」
「ん?」
「やっぱ披露宴は遠慮するよ。親戚とか仕事の人とかたくさん来るんだろ?」
「うん」
「その代わり、日を変えてでも二次会やろう。あの連中に来てもらって」
「え? 田舎のあのメンバー? でも、遠くまで来てくれるかなあ?」
「俺が集める。旅費とかを出してやることはできないから自費で来てもらうけど、でもみんな来るよ、きっと」
「そう、ずっ友だものね」
「ずっ友エイト!」
菜穂は声をあげて笑った。俺はさらに言った。
「でも今は、ずっ友エイト
「
菜穂は親指を立てた。俺も同じポーズをした。
「じゃあ、これで私の独身最後の挨拶は終わり。次に会うときは藤原菜穂じゃなくて横井菜穂」
「おお」
そして俺は、昔と同じように、菜穂をアパートの入り口まで送っていった。
にこやかな笑顔で手を振って、菜穂は階段を上がっていった。
<永遠ラプソディー おわり>
永遠ラプソディー John B. Rabitan @Rabitan
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