第4話
八月になって夏休みになると、俺は早々に下宿のアパートから出発して故郷の実家に向かった。
いろいろ考えたが急ぐ旅でもなし、飛行機ではなく新幹線と在来線特急を乗り継いで行くことにした。
飛行機は格安航空券の場合、行きの八月は新幹線+特急とほぼ変わらない。だが、帰りはお盆明けということで一万円くらい割高になる。
寝台特急という手もあって、こっちも新幹線+特急と料金はたいして料金は変わらないけれど、ネットで調べるとすでに希望日は行きも帰りも満席だった。
新幹線には行きは始発から乗るしまだお盆ではないから、早めに行って並べば自由席で楽勝だ。その方が安くなる。
だが、帰りはちょうどお盆明けで自由席がなくなって全車指定席になる期間にぶつかるため、ネットで予約した。
こちらはまだ、すんなりと座席の予約はできた。
もう少し長くいれば自由席が連結される時期になるけれど、バイトの関係でどうしてもお盆明けには戻らないといけないのだ。
それに、あの田舎の実家にそんなに長くいてもすることがなく、毎日退屈するに決まっている。
俺は実家に帰るまで、約六時間の時間ができた。半分は新幹線、一度乗り換えて半分は在来線特急だ。
スマホで音楽を聴きつつ、最初はいろいろSNSなどを見ていたけれどそれも飽きた。今朝早かったから少し寝ようかとも思って目を閉じたけれど、すぐに目が覚めてしまう。
そこで、車窓から後ろにどんどん流れる景色を見ながら、菜穂のことを考えていた。
菜穂には今朝出発前にLINEすると、「気をつけてね。私もすぐ帰るから」と速攻で返事が来た。
そして猫が手を振っているLINEスタンプ。俺はスタンプを押されると、もうそれ以上は返信しない主義だ。
ちょうど右側の席だから富士山が見えたら写真撮って送ってやろうかとも思っていたが、あいにく富士山は雲に完全に隠れてわずかにすそ野が見えただけだった。
座席は右側の、二列席の窓際を取った。最初は隣は空席だったが、二つ目の停車駅で会社員の出張ふうのおじさんが座ってきた。
もちろん会話など交わしたりはしない。
そしてまた菜穂のことを考える。
菜穂には気持ちをことあるごとに伝えているのに、どうもいつもうまくはぐらかされてしまう。
高校を卒業してから大学に入って都会に出てきた時、同じクラスから大学は違うが同じ地方に出てきたのが菜穂だけだったから、時々会ったりしていた。
そして大学生になった最初の秋ごろ、思い切って俺は菜穂に付き合ってほしいと言った。
菜穂は爆笑した。冗談としか受け取られていなかった。
仕方がないことだ。俺もだいぶのりで、冗談めかして言ったから。
だが、菜穂はひとしきり笑った後、こう言った。
「たまたま同じ地域の大学に来たのが私たち二人だけだったからって、それだけで付き合うって安易じゃない? 友だちでいいじゃないの。今までそうだったんだし、これからもずっと」
その時俺は、煮え切らないまでもしぶしぶ承諾した形だった。
でも、それからも菜穂とは何回か二人きりで会ったし、いっしょに遊びにも行くようにもなった。
そうやってデートを重ねるうち……いや、表面上はデートに近かったけれど、少なくとも菜穂はデートとは思っていないだろう……最初は軽いのりでコクった俺もだんだんまじになってきた。
一度、強烈にガチになって真剣にコクろうかと思ったこともあったけれど、自分の気持ちがまじになればなるほどかえってそれができなくなる。
まあ、なるようにしかならないかな……今はその結論が精一杯だった。
そうこうしているうち、新幹線に乗ってから一時間半、二時間と過ぎ、大きなターミナル駅に二つばかり停車したころからやはり眠たくなり、俺はリクライニングをさらに深くして眠りについた。
サブスクでランダムに流している音楽だけは、そのままにしておいた。もし音楽も切ってしまって本格的に深い眠りに落ちてしまって、気がつけば玄界灘なんて事態は避けたかったからだ。
なんとか無事に乗換駅の手前で目を覚まし、特急に乗り換えた。
全体的に赤茶色のボディーだが、側面の窓の周りだけクリーム色だ。
新幹線の速さに慣れている目には、特急とはいっても在来線のスピードがまどろかった。
やがて二時間も過ぎたころ、右側の車窓にこの地方のランドーマークともいえる大きな山が見えてきた。この地の地名を冠した富士の異名もある。
たしかに少し形は富士山に似ている。
本物の富士山は見えなかったけれど、この地方の富士は見ることができた。だが、スケールは本物に及ばない。
それでもひときわ威容を誇るその姿が見えた時、俺は「帰ってきた」と思った。
この山が見えたら、もう故郷は近い。
中学校の時は学校のスキー教室で、高校では林間学校の登山で訪れた思い出深い山だ。
たしかに山が見えてから二駅ほど停車した後、俺が降りる駅に特急は滑り込んだ。
急いで降りないといけない。県庁所在地の駅だけど、特急はこの駅が終点ではないのだ。
駅は高架ホームだ。
階段を下っていくと、入れ替わりに女子高校生が一人、昇ってきた。夏休みだけど部活帰りだろうか、そのセーラー服は俺の出身高校の女子の制服だった。
知らない顔だから俺が卒業してから入学してきた子だろうけど、なんだか懐かしくなった。
改札を出ると、見慣れた顔があった。
兄貴だ。
年が離れているので、もうかなりオッサンに近い。紺の開襟シャツにデニム姿だった。
「おお、
「あれ? 兄貴、仕事は?」
「ちょっと早めにあがらせてもらっただ」
兄は役場で働いている。
「なんで?」
「なんでって、おまえを迎えに来っためだが」
「なんでこの時間だってわかったん?」
「夕方着くって電話で言っちょたろうが。なんせ、特急は一時間に一本しかなあけんな、これに乗ってくるみ決まっちょう思っただ」
兄に促されて、俺はコンコースを歩きだした。兄は南口の方へ向かう。本当は北口の方がこの駅のメインの入り口でバスターミナルなどもあるし、ビルなどもそこそこに建っている。
南口ははっきり言って裏口だ。
そんな裏口に向かって、兄はやたら急いでいるから、ついて行くのが必至だった。
出たところに、公共の駐車場がある。兄はそこに車を停めているらしい。
そして、駐車場の中にある小さな時計台を見た。
「間に合った。ここ、10分以内だったらただじゃけんな」
特急が着くよほどぎりぎりに来たらしい。
俺が兄貴のボックスカーに乗ると、兄貴は急いで発進させた。
「どげかね。しばらく帰って来んうちに変わったろうが」
「変わるもなんも、正月に帰ってきたばっかだが」
兄の顔を見て安心したのか、関東では菜穂と話すとき以外はなるべく抑えている地元の訛りがきつくなった。車は南に向かって県道を走る。
菜穂との会話などではよく田舎、田舎というが、一応は県庁所在地である。地方都市といった表現が適切だろう。
決して農村というわけではなく、ビルもあれば車もひっきりなしに走り、カフェもあればコンビニもある。
だが、駅を離れるとすぐに、ビルは少なくなって二階建てくらいの建物が続く。道幅が広い。
時折それでももっと広い何車線ものバイパスとの信号を越えたりした。
やがて、ちょっとした丘が見えてきた。家ももうすぐだ。
車だと駅から10分もかからない。これが路線バスだと二十分くらいかかる。
今来た道を右に折れて少し高台へと登って行った閑静な住宅街に、俺の実家はある。
田舎の家でも何でもない普通の近代住宅だ。
兄貴がガレージに車を入れていると、もう玄関のドアが開いて、母親が顔も出した。
「おかえり。待っちょったよ」
機嫌よく母親は迎えてくれた。俺と同世代の人の親よりも、少し年を取っている。
「暑かろうが。早く入って」
「ああ、ただいま」
俺は荷物を持って、冷房の効いている家の中へと入った。
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