第9話

 すぐにお盆の時期になった。

 お盆は親戚が来たり、こちらから出向いたりで何かと忙しい。そのことは、この時期に帰省してきている人たちみんなにとって同じことだ。


 俺はこの間仲間が集まったときも、菜穂とはろくに話ができなかったことがずっと気になっていた。

 だからできれば実家にいる間に、もう一度会いたいと思っていた。もちろん関東に戻ればむしろその方が気安くいつでも会えるのだけれど、この間がこの間だけにやはり故郷の地で菜穂と会いたかったのだ。

 でも、菜穂の家でもいろいろと忙しいことは分かっている。そしてお盆が終われば俺は、バイトがあるためとんぼ返りで関東に戻らないといけない。


 俺はもう一度ここで会いたいという旨を菜穂にLINEした。

 予想通りお盆のころは法事とかも入って忙しいけれど、その夕方くらいなら少しの時間会えるとのことだった。

 お盆が終わったら俺がすぐに関東に戻るのは菜穂も知っているから、その前日ということになった。


 夕方ということなら……ということで、俺は湖の夕日を見に行くことを提案した。菜穂もそれでOKだった。


 案の定、お盆は父方の本家のお屋敷のある山奥の方まで行かなければならなかったし、一日中お寺に詰めていた日もあった。

 苦労したのは親戚でもご老人方はうちの祖母と同様で訛りがきつく、ほとんど何を言っているのかわからない。

 そんなふうになんだかんだでようやく実家に戻ってきたその日の夕方が菜穂との約束の時間、そして翌朝には関東に向け出発だからかなりの強行スケジュールだ。


 日没はネットで調べると、夜の七時ちょうどくらいということだ。やはり関東よりも日没は二十分以上も遅い。

 そこで夕方六時半に菜穂とは待ち合わせとなった。駅へ行くバスが通る道すなわち昔の俺の通学路と、湖の方へ行く道との分岐点にあるバス停が待ち合わせ場所だ。

 俺は自転車で行くつもりだったし、菜穂もそうだと言った。


 待ち合わせのバス停の背後に、ちょっとした植え込みのあるスペースもある。

 俺は奥地の本家から父が運転する車で戻ると。すぐに着替えて自転車で出かけた。

 家からバス通りに出るまではかなり長い急な下り坂で、スピードを出し過ぎて道路に飛び出したら危険だ。だが、車はそう頻繁には走っていない。

 高校時代には毎日自転車で通った道をあの頃と同じ自転車で十分くらい走ると、待ち合わせのバス停に着く。

 菜穂はもう、自分の自転車にまたがったまま待っていた。


「こんな夕暮れに呼び出してごめんな」


「いいけど、早く行こう。日が沈んでしまうに」


「だな」


「ここからけやき坂通りを行くんよね?」


「うん。でもまっすぐ行くと乃木坂駅に着いてしまうけん、途中で曲がる」


 菜穂は笑った。


「乃木坂駅は東京の地下鉄の駅だが」


 俺も笑った。


「そげだったな。乃木坂駅じゃなくて乃木駅。でも、それ言うなら菜穂だって、この道はけやき坂通りじゃなくてけやき通り。けやき坂は六本木ヒルズのとこにある坂道!」


「ほんとだ。ひらがなでけやき」


「俺たち二人とも、かなり都会に染まってるな」


 二人して声をあげて笑った後、俺はかつての通学路を離れてけやき通りを走り始めた。菜穂もついてくる。

 自転車に乗っている間は、赤信号で止まっている時以外は互いに話はできない。

 やがて、テレビでCMも盛んにやっているひな人形で有名な店の先の信号を右折だ。

 自転車をこぎながら、そのCMソングが俺の頭の中でヘビロテし始めた。


 テレビCMといえば、たまにこうして帰省してテレビを見ると、地方特有の静止画CMに出くわして懐かしくなる。

 高校時代まではそれが普通だと思っていたけれど、いざ都会に出てから戻るとそれが妙に新鮮で郷愁を誘うのだ。

 ましてや正月とかこのお盆の時期になると「おかえりなさ~い。久々のふるさとはいかがですかぁ~」なんてCMも流れていたりする。


 人形の店の先を右折した後、しばらく行くと道は大きく陸橋となって、小さな川とJRの線路を跨ぐ。

 その陸橋の上から、前方にちらりと湖が見えた。

 すぐに陸橋は終わって道は地上に戻り、しばらく行くと湖沿いに走る国道に出る。

 急に視界が開けて、広々と果てしなく湖は広がる。その湖を左に見ながら少し国道を走ると、すぐにやたら人が湖畔に群れているところに出くわす。

 そこが夕日を見る鑑賞スポットなのだ。

 もちろん湖畔のどこででも夕日は見えるのだがなぜかこの場所が有名で、みんなここに集まってくる。

 みんなといっても地元の人などはいない。そのほとんどすべてが観光客だ。

 外国人の姿も見える。


 俺たちは適当な所に自転車を止め、国道から湖畔へと下った。

 湖畔までは国道に沿って横に長く続く数段の短い階段で、湖の水面ぎりぎりの高さのわずかだが平らなスペースにまで降りられる。


 湖はかなり広い。

 東西に長い湖だから、西の方は水平線のようにかすんでいる。果てしなく広い湖面の、ここからわりと近くの沖合に松の木が数本生えている小さな小さな島が浮かんでいる。

 そのちょっと右の方角の、湖のはるか向こうの低い山々の上に、今にも夕日が沈もうとしていた。


「間に合ったね」


 菜穂の顔は耀いていた。

 俺たちは夕日目当ての観光客に混ざって、夕日を見つめた。日没時間まではあと十分くらいありそうだ。


 湖畔のスペースに降りる階段の一部に、二段ずつが合わさって座れるようになっている箇所があった。

 もうかなりの観光客が座っていたけれど、俺たちはなんとかいているところを見つけ、湖に向かって横に並んで座った。

 今日も昼間は猛暑だったけれど今はもう暑くはなく、湖の方からは涼しい風が吹いてくる。


「高校を卒業をした三月にも、あのメンバーでここに来たが」


 俺は湖の遠くの景色を見ながら言った。


「うん、来た来た。みんなそれぞれの大学のある町に出発する前の最後の名残とか言ってね」


「普段は地元の人でここで夕日見る人なんかおらんし、今みたく観光客しかおらんけど、あの時ばかりは地元の、しかも高校生って感じの人が多かったよな」


「うん、たしかに」


「みんな俺たちと同じ、高校を卒業してこの町を離れるっていう高校三年生ばっかりだったな」


「なんでわかるん?」


「見てりゃ分かるよ」


「みんな考えることは同じなんね」


 菜穂は一度俺を見て、またその笑顔を湖に戻して言った。


「明日戻るんよね」


「いや、そのつもりだったけどなんか明日関東を台風が直撃みたいだけん、一日延期」


「そうだね。新幹線泊まる守って言ってるしね」


 俺はうなずいてから、菜穂を見た。菜穂もまた笑顔をこちらに向けた。


「菜穂はいつまでおるん?」


「私もすぐ戻るよ」


「ゆっくりしていかんの?」


「だって……」


 菜穂は笑顔ではあるものの、何か言いにくそうにしていた。そして、遠くの景色を見て俺を見ずに行った。


「横井さんと会う約束してるけん」


「横井さんって、あの夢の国でのツーショットの人?」


「うん」


「また会うんかよ」


「こっち戻ってきてからも、毎日のようにLINEくる。で、会うことになって早々に田舎は引き揚げることにした」


 もしかしてあのカラオケの後での女子会で、何も知らない優美とこころが何かたきつけたのかもしれないなとも思うけれど、それは本人には聞けない。


「その人、どこの大学?」


 大学名を聞くと、都内のわりと有名な大学だ。


「彼女とかおらんのか?」


「なんかおることはおるみたいだけどもうお互いだめになってて、別れるのは時間の問題だって」


「まじか。なんかひっかかるなあ」


「まあ、横井さんにとって私はまだ友だちだから」


「まだ?」


「うん、まだ」


「どげな意味かね?」


「別に意味なんかなあが」


「まあ、がんばれば」


「うん、がんばるぅ。ひろくんも彼女とがんばんな」


「彼女? 彼女ってどのじょ?」


 俺は菜穂を見た。菜穂は笑っている。


「ほら、亜美さんとか里香さんとか久実さんとか。さんざん話聞かされたやん」


「それ全部ただの友だち。大学の友だちとか旅行先で知り合った人とか幼なじみとか」


「私もその中のひとりだがね」


 俺は少し黙った。そして、湖を見ながら言った。


「なあ、菜穂」


 それから菜穂を直視した。菜穂もこっちを見る。


「俺たち、そろそろ付き合おう」


 ところが菜穂はまた吹いた。


「だーめ! 笑笑わらわら、草生える。大草原!」


「もう茶化さんでこせ」


「ねえ、私たちの」


 菜穂はまた前方の湖の景色に目を戻して続けた。


「グループLINEの名前は”ずっ友”でしょ。それってずっと友だちって意味だが」


「ああ」


「だから私たちもずっと友だち、ずっ友」


「あのなあ」


 俺は苦笑した。

 あのLINEグループ名を考えた時は、たとえ卒業してばらばらになってもこの仲間はいつまでもずっと友だちでいようという意味でつけたのだ。

 それなのにここで菜穂は、その「ずっ友」の意味を微妙にすり替えている

 だから俺は苦笑するしかなかったのだ。


「あ、ほら、おひさま、沈んじゃう」


 周りの人たちも立ち上がって、思い思いに夕日にスマホのカメラを向け始めている。

 あたり一面オレンジ色に染まる。

 俺たちも立ち上がった。

 遥かな湖面の向こうに横たわる対岸の山並みの一角に、周りの空を真っ赤に染めながらも夕日が沈もうとしていた。

 その光が湖水にも反射して、赤とオレンジの世界は限りなく幻想的だった。


「めっちゃきれい」


 美穂は嬉しそうに、そしてスマホで写真を撮るのさえ忘れているようにその夕日を見つめていた。

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