第10話

 二日後の朝、俺は実家を後にした。

 たしかに当初の予定通りその前の日に帰ったら、台風のせいで新幹線は運休だったので途中で足止めを食らうところだった。

 Uターンラッシュのピークのはずだったけど、指定券の変更は難なくできた。おそらくキャンセルがけっこう出たのだろう。

 

 関東に向けての出発の日は、父も兄も仕事があるので送れないというから、母が運転する車で駅に向かった。


「なんもこげに早よ戻らんでも、竹下さんのお祭りまでおったらいいがね」


「そげゆっくりしてられんが」


 竹下さんのお祭りとは、この町の東の郊外にある竹下神社の祭礼だ。

 この町の大きな夏祭りは二つあって、一つは七月の天神さんのお祭り、そしてもう一つが竹下神社のお祭りだ。

 高校時代は天神さんのお祭りを喜びの祭り、竹下神社のお祭りを悲しみの祭りとか言っていた。

 天神さんのお祭りは7月25日、つまりこの日から夏休みが始まるということで喜びの祭り、そして竹下神社のお祭りは8月31日で、この日で夏休みが終わるという日なので悲しみの祭りなのだ。

 もちろんこんなのは高校生たちが勝手に言っていることで、公式のものではない。


 そんな話をしながらすぐに駅に着き、母と別れて俺は指定券を取っていた特急に乗り込んだ。

 故郷を離れる時は、やはりため息が出てしまう。

 この夏のひと時を共に過ごしたメンバーも、早かれ遅かれ散り散りにこの町を後にして、お互いの知らないそれぞれの世界へと帰っていくだろう。

 俺を乗せた特急電車も、俺自身の日常の現実世界へと俺を運んでいった。



 その日常が始まった。

 バイトに明け暮れる毎日だ。バイトは中学生相手の塾の夏期講習で、普段も週三くらいでその塾で講師のバイトをしている。

 夏期講習はお盆休みをはさんで前期と後期があったのだが、俺は帰省を理由に前期は休ませてもらった。


 そうして夏期講習も終わると、八月も終わる。

 高校時代と違ってそれで夏休みが終わるわけではなく、夏休みはまだちょうど半分だ。

 菜穂からはぷっつりと連絡は来なくなったので、どうしているか気にはなっていた。あの時の話では、もうとっくにこっちに戻ってきているはずだ。

 だが、夏期講習は夜だけの普段の授業と違って朝から深夜まで続くので、下宿のアパートに戻ったら疲れ果ててすぐに寝てしまい、こちらからの連絡もなかなかできずにいた。


 やっと夏期講習も終わって少し心に余裕ができたので、俺は菜穂にLINEしてみた。


――[塾のバイトひと段落着いたからどこか遊びに行こう]


 そんな意味の内容を送った。「いいよ」と、軽い返事だ。菜穂はLINEではいつもそっけないのは今までもそうだったので気にしなかった。

 そして菜穂の住んでいる場所からも近い、大きな水族館に行こうと決まった。


 ところが当日は雨だった。それほど激しくはない。だが、朝に菜穂からLINEが来た。


――[雨だよ、行くの?]


      ――[小雨だから大丈夫]


      ――[水族館は屋内だし]


――[でもアトラクションとかは無理でしょ]


      ――[たしかに]


――[そうか、ひろくん、絶叫系はダメだもんね]


      ――[絶叫系もあるけれどそればかりじゃない]


――[また今度にしよう]


――[あの水族館ならいつでも行ける]


 菜穂の文字を見ながら考えた。今度というあいまいな概念は俺は好きではないし、いつでも行けるというのはいつまでたっても行けないと同義語だと思っている。


      ――[いいから、行こう]


 気の抜けた「は~い」という文字の入ったスタンプが来た。


 待ち合わせは私鉄駅から水族館の最寄り駅に向かう新交通システムとの乗換駅だった。

 私鉄の駅を降りて改札を出てからエスカレーターを上ると、高架駅である新交通システムの駅の改札に向かう。その改札の前が待ち合わせ場所だった。


 菜穂はもう来ていた。手には水色の傘を持っている。いつものトレードマークのツインテールではなく、今日は珍しく髪をおろしていた。

 俺の顔を見ると、いつもの眩しい笑顔を見せた。


「やっぱり行くんだ」


「行くよ。雨、たいしたことないが」


「でも、濡れるかもよ」


「いいから行こう」


 なだめるように俺は言うと、新交通システムの改札を入った。

 目的の駅まで五駅、乗車時間はほんの七分くらいだ。車窓からは海が見えた。だが、港となっているコンクリートで固められたような都会の海だ。

 水族館はその海に突き出た島にある。つまり、島全体が水族館をメインとしたテーマパークだ。

 駅からは徒歩で島へと続く橋を渡る。

 二人はそれぞれの傘をさして歩いた。雨のお蔭でかなり涼しい。

 こんな雨の日に来る人なんていないだろうと思ったけれど、晴れている時ほどではないにしろそこそこ人はいた。


 橋を渡るとまずはメリーゴーランドがあり、その向こうが庭園となっていてゴーカートなどがある。


「ほらやっぱり、雨だからゴーカートとかもお休み」


「水族館は雨、関係ないし」


「まあ、そうだけど」


 歩きながら菜穂は、クスッと笑った。


「私たち、田舎で会っている時ほど訛ってないね」


「たしかにな」


 俺も笑った。


「不思議だよな。周りに左右されるんかな? こっちに戻ったら訛りが出ないわけじゃないけど、少なくなる」


「でも私なんか、今朝起きてカーテン明けて雨降ってるの見て、あ、雨降っちょうなんてつぶやいたよ」


「そういえば、田舎以来だものな、俺たち会うの」


 水族館まではかなり歩く。島自体がけっこう大きな島なのだ。

 やがてやっと水族館の巨大な建物が見えてきた。

 傘をたたんで冷房の効いた館内に入ると、そのあとの菜穂のはしゃぎようはすさまじかった。

 サンゴ礁の海の水槽やアザラシ、ホッキョクグマなどを見て喜ぶ菜穂は、まるで子供だった。

 深海コーナーやサメの水槽、五万尾のイワシの大水槽などあっという間に時間は過ぎる。

 そしてイルカのショーのプールスタジアムは屋根があるので雨も気にせず楽しむことができた。


 外に出ると、雨もあがっていた。

 水族館の前が入り江のような港になっていて、遊覧船が発着したりしている。

 そしての港沿いの木材張りの広場を進むと港に突き出た形で、六角形の二階建てのレストランがあった。どうも中華料理の店のようだが、ちょうど昼時だったのでここで食事をすることにした。

 もう少し向こうの二階建ての建物にもレストランが詰まっているようだけど、菜穂はここがいいと言った。


「海の上のレストランなんて、なんかエモいじゃん」


 たしかに、水面に柱を立てて建っている海上レストランだ。しかも、けっこう有名な店の支店だそうだ。


 俺たちは二階に席を取った。学生には少し高かったけれどいいにして、マリーナの光景を見ながらの食事を楽しんだ。

 しばらくは故郷で菜穂たちが女子だけでスイーツを食べに行った後の飲み会の話や運転代行のこと、そしてお盆の親戚の集まりの話などした。


「それで、こっちに帰ってきてからは毎日バイト」


「そう言ってたね」


「菜穂は?」


「うん。前に言った通りに横井さんと会った。映画見た」


「何の映画?」


「夢の国プロダクションの最新作」


「ああ、あれか。前にやってたコンピューター3Dアニメの続編ね」


「今やってるのは続編の2なんだけど、1を見てなくてね私。それで映画館行く前に慌てて『夢の国プラス』で前作見てから行った」


「なにそれ?」


 俺は笑った。だが、食事をしながらでも菜穂の話は止まらない。


「それでね、そのあと横井さんの家まで行っちゃった」


「家? 映画見たあと?」


「ううん、別の日」


「でも、家って……」


 俺は驚いて、箸を止めてしまった。


「家っていっても、横井さん実家暮らしだけんお父さんもお母さんもいて、お母さんの手料理ごちそうになったに」


「まじかよ。でもその横井さんって人、彼女いるって言ってたが?」


「あ、それね。私が帰省している間に別れたって」


「え? まじ?」


「前から別れるのは時間の問題だって言ってたけど、私がいない間に彼女に呼び出されて、彼女の方から正式に別れを告げられたって。で、彼、今フリーだし」


「フリーだしって……それですっかり菜穂と友だちになったってことか」


「うん」


 菜穂は目を伏せ、少し考えているようだったけどすぐにいつもの笑顔で目を挙げた。


「なんとなくそれだけで終わらん予感がする」


「ちょっと待って」


 俺はそのあと、何を言っていいかわからなくなった。だから、シュウマイをひとつ口に入れた。それから、顔を挙げた。


「俺とはずっと友だちって言っておきながら、そいつとは予感?」


「うん、ひろくんはずっとお友だちよ、これからも。いろんなこと相談できる男性の友だちって他にいないから、ひろくんは大切な存在」


「大切なのはありがたいけど」


「これからもずっと仲良くしてね」


「うん」


 気のない返事をして、とりあえず俺はうなずいた。

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