第2話
俺と菜穂が歩いているハイキングコースには、この先に行ったら何があるかというような道標がところどころにある。そしてこのハイキングコースの名称を記した看板もあって、菜穂はそれを見た。
「へえ、ここって天国ハイキングコースっていうんだ。山の上だから天国? なんかめっちゃエモくない?」
「あのなあ」
俺は鼻で笑った。
「看板の字、よく見てみ」
「え?」
菜穂は看板に顔を近づけた。
「あ、国じゃなくて
はっきりいってなんと読むのか俺も知らない。だからいいにして再び歩きだした。
ずっと森の中をハイキングコースは続く。時々左手は木々が少しだけ途切れて、遠い景色が見える場所もある。
もはや町も遠くになって、ずっと眩しい緑に覆われたいくつもの丘が波を打つように広がって見えた。
「クマが出たらどうしよう」
菜穂が言う。
「さすがにこの辺にはおらんだろう」
俺が笑う。
でも菜穂がそう言うのも無理はない。なにしろ本当に深い山の中にいるという感じなのだった。
もう一時間くらい歩いただろうか、道の先の下の方、山の中腹に小さなお寺の屋根が見えた。道はそのお寺の方へと階段状になって下っていく。
そっちから多くのハイカーが登ってきているから、そっちへ行って間違いがないようだ。
やがてお寺の入り口に着いた。
本当に小さなお堂だ。それなのにちょっとした門があって、その上に拝観料が五百円と書いてる。
「こんな小さなお寺でも拝観料とるん?」
小声で菜穂が言ったつもりらしいが、拝観券を売っている窓口の中のお坊さんに聞こえてしまったようだ。
「ここからは下の大きなお寺さんの境内なんですよ。だからここで拝観料を頂戴したら、下のお寺さんもお参りできますんで」
「はあ」
俺は納得していた。それで、菜穂と二人分で千円を払って拝観券を二枚買った。だがすぐに、菜穂は自分の財布から五百円玉を一枚出して俺に渡す。
「私の分」
「いいから」
俺は手で拒もうとしたけれど、菜穂は強引に五百円玉を渡してくる。
「彼女ってわけでもないのに、なんか悪いから」
「いいって!」
「いいから」
ここは結局俺が負けた。
入るとすぐに右側が小さな本堂だ。その近くには、座って休憩できるところもあった。
その前が斜面に張り出す形で人工のバルコニーとなっていて、見晴らし台と書いてある。
小さな見晴らし台だけど、そこそこに人は多い。
「めっちゃきれい!」
ハイキングコースをずっと歩いてきた俺たちは少し座って休んでから、見晴らし台で景色を見た。
菜穂が石造りの手すりから身を乗り出す。
ここでも夏の明るい日陽ざしの中、緑に覆われた多くの山々が波打つ光景が広がり、その向こうに遥かに海が光っている。そんなパノラマが一望できる見晴らし台だ。
高さはそれほどでもないだけに、完全に風景の中に溶け込んで見えた。
そして近くの眼下には、緑に埋もれてしっかりと拝観料を取られた有名なお寺の大きな屋根がいくつも見えた。
菜穂はポケットからスマホを取り出し、まずはその景色をスマホのカメラに収めた。それからくるりと風景に背を向け、スマホを前面カメラにして自撮りをしようとした。
俺はその菜穂の隣に入って、一緒に映り込もうとした。
「だめぇ! インスタにアップするんだから入らないで」
笑ながらも菜穂は拒絶する。
そこで菜穂が数枚自撮りするのを脇で見てから、タイミングを見計らってもう一度画面に入った。
「しかたないなあ」
菜穂は笑いながらもシャッターボタンをタップした。
そして俺は何気に菜穂の肩に手をまわした。
「めっ!」
菜穂は俺を見てやはり笑いながら叱るようなそぶりをして、肩を揺らして俺の手を払いのけた。
見晴らし台の
そしてここから道は整備されたアスファルトの階段となって下に続いている。スロープの下には、大きなお寺の屋根の方へと続く道が見える。
「あ、天使!」
その見晴らし台のすぐ下のスロープに、たしかに背中に羽の生えた天使の像がこちらに背を向けて立っていた。
「本当だ、天使だ。でもなんで? なんでお寺に天使?」
「見に行こう」
「あの階段を降りるんだよな。どっちみち拝観料払っちょうけん、大きなお寺も見ないとだし」
見晴らし台の脇に、本堂に背を向ける形で下に降りる階段があった。天使象はその脇にあるので、階段を降りれば天使像の前面に出ることができる。
俺たちは階段を降りて、その天使の顔を振りかえって見た。俺は吹き出した。
「なんだ! 天狗だったのか」
「なんなんだい」
菜穂も笑っている。後ろから見ると天使に見えるけれど、顔を見たらくちばしのあるからす天狗だった。
「それならお寺にあってもおかしくないし、それにこんな黒い天使像ってのもおかしいなっとは思っちょった」
「ほんとう? ひろくんだって天使だって思ってたでしょ」
菜穂は容赦なく笑顔攻撃を浴びせてくる。俺は笑ってごまかした。
天狗像はスロープのところどころの植え込みの中にあと数体あって、その下を通る形で道は続く。
やがてまた下りの階段となった。
あとはずっと階段が折れ曲がって続き、一気に下へと下っていった。ハイキングコースの土の道と違い、やはり歩きやすい。しかも下りとあって俺たちは結構スピードを出して下っていった。
階段を降りて少し行くと、小さな鳥居があった。
「なんでお寺に鳥居?」
俺は不思議そうな顔をしたが、菜穂は微笑んでいる。
「え? なんでって、へん? 別に普通じゃない?」
「まあ、お寺に天使よりかはいいけれど」
菜穂は笑って、俺を軽くはたくまねをした。
「私たちのふるさとって神社ばかりやたらあるけれど、お寺は少ないもんね」
「まあ、ないことはないけど、有名なのは全部神社だよな」
すぐにまた短い階段があって、その下にも鳥居がある。
そこから道は平坦になる。もう完全に下りきったようだ。道の先にまた次の鳥居が見えるが、もう階段ではない。
「競争!」
そう言って菜穂は、向こうの鳥居まで走り出した。
「元気だなあ」
俺は苦笑しながらも、なんとか追いかけた。道は石畳でまっすぐだ。左右には灯篭などがある。
次の鳥居のところで、俺はなんと菜穂に追いついた。そして鳥居の柱に背もたれして立った。
菜穂もその隣に、やはり鳥居の柱を背にもたれかかっている。柱はそんなに太くはないから、俺たちは直角に背を合わせる形となった。
「疲れたね、今日」
前方を見て、菜穂が言う。
「ずいぶん歩いたよな」
「この後は?」
「どうしよう?」
「そろそろ帰ろう。もうすぐ日も暮れるし」
俺は息をひとつついた。
「今日も楽しかったな」
「うん」
「おまえと二人きりでデートするようになって、もう一年半だな」
「こっち来てからだもんね……って、待って! 別にデートじゃないし。私たち、付き合ってるわけじゃないんだから」
「だからぁ、付き合ってくれって言うたがね、一年も前に」
「だからぁ」
菜穂も俺の口まねをしてくる
「付き合えないって言ったでしょ。私たちは幼馴染ってわけじゃないけどそれに近い感じがあるから、そんな気にはなれないって。たまたま同じ高校だってだけの連帯感しかないじゃない、今は」
「じゃあ、いつになったら彼女になってくれるん?」
「八十歳過ぎたら」
菜穂は俺を見てけらけら笑う。
「ひろくんはお友だち!」
俺は菜穂の方に向きを変えた。そして向かい合って立った。そして菜穂の背後の鳥居の柱に、壁ドンならぬ柱ドンをした。菜穂は一瞬顔がこわばり、身を固くしていた。
俺は菜穂のあご舌をくすぐるような仕草をした。
「はい、猫ちゃん、ごろごろして」
菜穂の笑顔が戻った。そして爪を立てた猫の手のようにして俺の顔の前をはらった。
「シャーッ!」
そして猫が威嚇する時の声まねをする。そしてまたけらけら笑うのだった。
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