第2話 妖狐の陽狐さん

「そういえば爺ちゃん、家具家電はどうしたんだろ。残してんのかな?」


 誰もいない実家に優斗の小さな独り言だけが響く。

 

(昔はこのドア開けると爺ちゃんが飼ってた犬が走り寄って来たっけなあ。なんて名前だったっけか。あの時はまだ爺ちゃんと婆ちゃん、元気だったのに、もう、二人ともいないんだな)


 涙が込み上げてくるのを我慢して、祖父母が大好きだった優斗は二人がよくテレビを見ていたリビングへのドアを開けた。

 しかし、そこに全く記憶にないモノ、いや、人がいて、何やら洗濯物を畳んでいるのが優斗の目に映った。

 それを見て驚き、優斗は目を丸くする。

 

「優斗、さん? もしかして、有坂優斗さん⁉︎」


「すみません! 家間違えました!」


 冷静に考えればそんな事は絶対に無いのだが、そこにいた人、厳密に言えば人の姿形をした別の存在に驚き、思わず優斗は頭を下げて玄関の方に駆け出して、靴の踵を踏んで履くと、玄関から外に出た。


「ん? いやいや。ちゃんと実家だよな」


 玄関横の有坂という表札を確認し、玄関に振り返ると、優斗は腕を組んで首を傾げた。


 狐につままれたような気分になって、もう一度表札を確認し、家を間違えていない事を確認して再び玄関を開けようとしたところ、優斗の意志とは関係なく玄関の引き戸がガラッと音を立てながら勢いよく開く。


 実家にいた謎の人物。

 狐のような耳と尻尾を生やした長袖のブラウスと紺色のロングスカートを着用した二十代前半くらいに見える狐色のミディアムヘアーの女性が玄関を開けたのだ。

 

 何故だろうか、赤面している。


「優斗さん、ですよね? 違ったらすみません、お恥ずかしいです」


「なんで妖狐の方が俺の名前を? 確かに俺は有坂優斗ですけど。いやそれより、ここうちの実家なんですけど、どちら様?」


「覚えていらっしゃいませんか? 昔、子供の頃、結婚しようって約束した妖狐の陽狐です」


「昔、子供の頃?」


「ここからもう少し山の方に行った先にある水汲み場を覚えてらっしゃいますか? その近くの川原で、約束、したんですけど」


 そこまで言われ、優斗はある出来事を思い出していた。

 小学生の低学年の頃だったか、まだ小学生にもなっていなかった時の事だったか。

 なにせ夏の暑い日にここに遊びに来た時の事。

 優斗は祖父の水汲みについて行った。


「すまんな。しばらく待っててくれ。川には近付くなよ? 河童に悪戯されちまうからな」


「河童さんはそんな悪い事しないよ?」


「する奴もいるのさ」


 祖父の言い付けを守り、石がゴロゴロしている河原で、幼い優斗はしばらく大人しくしていたのだが、いかんせん茹だるような暑さだったので、優斗は川に足だけ付けようと思って、川の方にフラフラ向かっていった。


 そんな時だ。


「そっちは危ないよ?」


 と、何処からともなく現れた小さな妖狐の女の子に優斗は服の裾を引っ張られた。


 歳が近しいこともあったのだろう。


 祖父が水汲みに行くたび川原に行くようになった幼い優斗は妖狐の女の子、陽狐とよく会うようになり、遊んでいるうちにすぐに仲良くなり、そしてある約束をする。


「狐さん。大きくなったら結婚してくれる?」


「私でいいの? 私はあやかし、怪異だよ?」


「狐さんがいい。可愛いし、優しいから」


「嬉しい。じゃあ約束ね。大きくなったら結婚しようね」


 二人がそうやって笑い合っているのを、汲んだ水を車に積み込みながら、優斗を連れて来た祖父は困ったように苦笑しつつも眺めていた。


 その時のことを優斗は思い出し、昔の自分の言動と、それを言った相手が美しくも可愛らしく育った目の前の女性だという現実に顔を耳まで赤くしていた。


「あの時の狐の女の子。狐さん、なのか」


「その呼び方。懐かしいですね。お待ちしていました。優斗さん約束通り、結婚しましょう」


「まあ待て、待ってくれちょっと落ち着こう。狐さん。ああいや、陽狐さんはとても魅力的な女性だと思います。美人だし可愛いし、正直好みです」


「では!」


 優斗の言葉にひまわりが咲いたような笑顔を浮かべ、優斗の手を握る陽狐。


 そんな陽狐にドギマギしつつ、優斗は理性を必死に保ちながら「まあまあ、ちょっと落ち着きましょう」と、自分に言い聞かせるように陽狐に言って、深呼吸した。


「はじめまして、ではないんだよな。でもね陽狐さん。俺たちはまだ出会ったばっかりと言ってもいい状態でしょう?」


「構いません。あの頃より私は優斗さんをお慕いしています」


「何故に?」


「一目惚れ、というのでしょうね。あの日あの時、同じ年頃の人間の殿方と初めてお会いして、話して、遊んで、それからずっと貴方の事を思い出すようになって」


「俺もうすぐ二十八になるんだけど、二十年以上ずっと、想ってたって事ですか?」


「はい。一族の掟でしっかり人間社会を学び、色々覚えて人間に混じって暮らせるようになるまで、優斗さんがどうやって暮らして、どうやって成長しているか、そればかりを想像しながら暮らしておりました」


「嬉しい反面ちょっと怖いんだけど。俺のことなんか考えるより趣味持ったほうが」


「優斗さんのことを考えるのが趣味です。こんな私ではダメ、でしょうか」


 優斗の手を握ったまま、陽狐は優斗の顔を見上げて涙目になっていた。

 頭の上の耳も垂れて元気がない。

 先程までブンブン元気よく振られていた尻尾も力無く垂れ下がってしまっている。


「それは狡いよ。陽狐さん」


「狐は狡賢い種族です。ですが、私のこの気持ちは本物です!」


「ああいやごめん。そういうつもりで言ったんじゃなくて」


「分かりました」


「お?」


「私、優斗さんに相応しいお嫁さんになれるように頑張りますので、お側においてください!」


「陽狐さん、家は?」


「優斗さんと添い遂げると誓って里を出る時に、成し遂げるまで帰ってくるなと父に言われております」


「陽狐さん、退路ないじゃん」


 こうなってしまっては仕方ない。


 とはいえ、これからどうすれば良いのか。


 そんな事を考えるが、混乱する頭では考えがまとまらず、とりあえずはお付き合いからということに。

 そして思案の末、優斗は二人で暮らすなら今のアパートよりはマシと考え、実家への引越しを決意する。


 その引越しから、一つ屋根の下で、二人の奇妙な同棲生活が始まるのだった。

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