第6話 いつもなら憂鬱な平日の朝
風呂での攻防の末に、とくに何も起こることはなく。
行動力の割にどこか踏み込みきれない陽狐と、陽狐の少し重い愛をどうやって受け止めれば彼女にとって一番良いか考え、結局何も出来なかった優斗は少し気まずい空気のまま風呂から上がった。
先に脱衣所に上がった優斗は陽狐が用意してくれた寝巻きの甚平に着替え、リビングへと向かおうとすると不意に後ろの浴室の扉が開いた。
「あ、良かった。ちゃんとサイズ合ってますね。似合ってますよ優斗さん」
「上がってくるのが早いよ陽狐さん! 色々見えちゃうって」
「バスタオル巻いてるから大丈夫ですよ? それに優斗さんになら見られても」
顔を赤くして、バスタオルを外そうとする陽狐の手を掴み、優斗も顔を赤くしながら首を振る。
「そ、そういうのはもう少し仲良くなってからにしよう。ほら、急がなくっても俺は陽狐さんと一緒にいるんだから」
「優斗さん。私のことを気遣ってくださるんですね」
「そりゃあまあ。お付き合いする以上は大事にしたいと思うので」
頬を赤らめながら微笑むと、優斗は陽狐の手を離して後ろを向くと脱衣所をあとにした。
その後ろで、優斗の言葉を脳内で反芻し、陽狐は湯気がのぼりそうなほど顔を赤くする。
なんだかんだで陽狐は純粋なのだ。
このあと、寝巻き浴衣に着替えてきた陽狐と優斗はリビングのソファに座り、しばらくテレビを見ながら話をしていた。
「あ、そろそろ十一時か。明日は仕事だし、俺そろそろ寝ますね」
「優斗さんが寝るなら私も寝ます。明日何時に起きられますか?」
「五時半には起きて六時には出るよ」
「お早いですね」
「いやー。本当はもう少しゆっくりしたいんだけど。そうすると高速道路が渋滞しちゃって最悪遅刻しちゃうんだよねえ。だからちょっと早めに出るんだ」
「優斗さんは真面目ですね」
「そう? 普通だと思うけどなあ」
そんな会話をしながら、二人は寝室にしている和室に向かうとそれぞれの布団に入った。
「じゃあおやすみ陽狐さん」
「はい。おやすみなさい優斗さん」
一人暮らしの頃なら言わなかった挨拶を交わし、目を瞑る陽狐。
しかし、優斗は寝転んだ状態でスマホを覗き始める。
(あ〜。そろそろあのゲームの発売日か。ん? へえ、あの映画続編やるんだ)
と、SNSを眺める優斗は翌朝「さっさと寝てれば良かった」と後悔しながらスマホのアラームを止めた。
のそのそと起き上がり、大きな欠伸をして布団を捲り、フラフラ立ち上がると、優斗はスマホを拾い上げ着替えを置いているリビングに向かおうとする。
その際に、優斗は既に隣で寝ている布団の中に陽狐がいない事に気がついた。
それと同時にキッチンの方からチンとトースターの音が聞こえてくる。
どうやら朝食の用意をしてくれているらしい。
「ありがてえ〜。最高かよ」
トイレに行って用を足し、洗面所で顔を洗うと、優斗はリビングとキッチンに続くドアを開けた。
途端に漂ってくるパンの焼けた良い匂いが優斗の鼻をくすぐる。
「おはようございます優斗さん。ご飯出来てますよ? さっと食べられるようにパンにしました。昨日のお味噌汁もありますよ?」
「ああ女神様」
「私は妖狐ですよ? 姉は確かにほとんど神様みたいなものですけど」
「なにそれ詳しく。いや仕事に遅れるか、また聞かせて下さい」
「もちろんです。さあさあお召し上がり下さい」
寝巻き浴衣にエプロンを付けた陽狐が優斗の手を引く。
今まで憂鬱でしか無かった平日の朝だが、優斗は初めてそんな朝を良いなあとしみじみ感じていた。
いつもはコンビニの菓子パンかサンドイッチを朝食にしていた優斗の喉を温かい食事が通っていく。
それがどれほど嬉しかったのか。
優斗は先程までの眠気を忘れて陽狐と楽しく朝食を楽しんだ。
「あ、そろそろ行かないと」
寝巻きの甚平から作業着に着替え、リビングのソファに腰を掛けようとした瞬間にけたたましく響く、スマホのアラーム。
優斗はそのアラームで気持ちを切り替えると財布の入った肩にかけるサイドポーチを持つと玄関に向かった。
「じゃあ行ってきます」
「優斗さんこれ。初めて作ったんですけど、お弁当です。昨晩の残り物なんですが」
「マジですか⁉︎ ありがとうございます!」
「では優斗さん、いってきますのキスをお願いします」
「くっ。穏便にいかない」
弁当を受け取り、さあ行くかと思ったら、急にそんな事を言われたので、優斗は引きつった苦笑いを浮かべて冷や汗を浮かべる。
しかし、朝食だけに留まらず、自分の為に朝から弁当を用意してくれた恋人に何も無しでは男が廃る、というよりは優斗の気もすまない。
だが気恥ずかしさも間違いなくある。
結果、優斗は陽狐の額に軽くキスをしてその場を濁す事にした。
「ごめん。今はこれで」
「いえ。ありがとうございます。いってらっしゃい優斗さん、お気をつけて」
「うん。じゃあ行ってきます」
こうして優斗は家を出ると、狭い道路の向かうにある空き地に止めている愛車に乗るとボタンを押して車のエンジンをスタートさせる。
そして車を発進させる際に玄関前に立って小さく手を振っている陽狐の姿を見て「絶対定時で帰るぞ」と、決意を固めて陽狐に手を振りかえすと愛車のアクセルを踏んだのだった。
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