第5話 引っ越しが終わった日の夜

 引っ越しを終え、アパートから実家に帰ってきた優斗と陽狐は、ご近所へ引っ越しの挨拶回りをしていた。

 とはいえ昔から付き合いのあるご近所さんだ。幼い頃の優斗の顔も知っている。

 もちろん優斗も面識はあるので「今更挨拶するってのも変な感じだなあ」と、苦笑しながら実家から少し離れた場所にある隣家のインターホンを鳴らした。


「はいはいはい。どちらさんかな?」


 聞き覚えのある、年配の女性の声と共に開かれる玄関の扉。

 現れたのは祖父母と仲が良かったお婆さんだった。


「こんにちは。実家に引っ越してきたんで挨拶に来ました」


「あれまあ〜。優くんがあの家に住むのかい? お父さんとお母さんは?」


「両親は町の方が良いらしくて。まあ色々あって僕が実家を貰う事になりました」


「色々?」


 お婆さんの疑問に答えるように、優斗は横に立っていた陽狐を紹介する。

 

「彼女と、その。付き合うことになって、まあアパートじゃ狭いからってことでね」


「優斗さんとお付き合いすることになりました。櫻井さんのお婆ちゃん。これからもよろしくお願いしますね」


 優斗があとから聞いた話だが、どうやら陽狐とこのお婆ちゃん、櫻井さんは面識があったらしい。

 それというのも陽狐が優斗の実家に来てから優斗と出会うまでのあいだ、なにかと交流があり、よく一緒にお茶を飲んだりしていたそうだ。


「あらあらあら〜。そうかいそうかい。そりゃあ良かった。良かったねえ優くん、陽狐ちゃん。仲良くするんだよ? あ、そうだ。今朝うちの旦那が畑から採ってきた野菜があるでな。持って帰りなあ」


 と、このように、挨拶に行った先々で持って行った引っ越し蕎麦より遥かに多くお返しの野菜やらを貰ってしまい、帰る頃には優斗は野菜を両手で抱えるくらいになっていた。


「たくさん頂きましたねえ」


「しばらく野菜には困らないですね」


 自宅となった実家に帰宅し、野菜を台所に置きながら苦笑する優斗を優しい笑顔で陽狐が見つめている。

 その笑顔に照れくさくなって優斗は「ば、晩御飯どうします?」と、聞きながら冷蔵庫を開けた。


「せっかくお野菜を沢山頂きましたので。今日は私が腕によりをかけて夕食をお作りします」


「陽狐さんの手料理かあ。何か手伝えることあります?」


「いいえ。今日は優斗さんお野菜をたくさん運んでくださったので、夕食はお任せください」


「分かった。じゃあ、お願いします」


「はい!」


 優斗の言葉に満面の笑みを浮かべる陽狐に、優斗は照れ笑いを浮かべると「じゃあ俺は荷解きしとくよ」と、玄関に置きっぱなしにしている段ボール目指して歩き始めた。


 とは言え、小さなアパートの一室に入っていた荷物など、広い平屋の一室に放り込んでしまえば直ぐに片付く。

 優斗は段ボールを開け、普段着や仕事場に来ていく作業着を取り出し、祖父母が残したタンスに片付け、その部屋に愛用のデスクトップパソコンも設置していった。


「マットレスはいいか。陽狐さんと一緒に寝るには邪魔だしなあ」


 アパートで使っていた寝具は別にいいやと、部屋の押し入れに放り込み、しばらく片付けを進め、それがほぼ終わった頃「優斗さーん」と陽狐が優斗を呼んだ。


 どうやら夕食が出来たようだ。

 味噌汁の良い香りが廊下に出た優斗の鼻を刺激して腹の虫を挑発した。


 陽狐の作った夕食を楽しみに、優斗はリビングとキッチンに繋がるドアを開ける。

 すると、優斗の目にソファの前に敷いている絨毯の上で正座している陽狐の姿が映った。


「ああ〜。えっと、どうしたの?」


 正座している陽狐の姿に、優斗も思わず正座して陽狐の前に座る。


「えっと。食事の前に改めて言っておきたいことがありまして」


「言っておきたいこと?」


「はい。お引っ越しが終わって本格的に二人暮らしが始まりますので」


「はい」


「あ、あの。その、ふ、不束者ですが、末永くよろしくお願いいたします」


 突然頭を下げてきた陽狐の姿に「い、いや不束者は俺の方だよ」と焦って返した優斗は陽狐の肩に手を添えて陽狐の頭をあげさせた。


「子供の頃の約束もそうだけど。俺はこうして出会えた陽狐さんのことをちゃんと知って交際して、その上でちゃんと結婚したいから、至らないところはあるだろうけど。俺からも改めてよろしくお願いします」


 その言葉に陽狐は顔を赤くして照れて笑い、ふさふさの尻尾をぶんぶん振る。

 

「じゃあその。夕食にしましょうか」


「ああうん。そうだね」


 こうして食卓を挟んで陽狐が作った夕食に舌鼓を打つ優斗。

 その味付けは祖母や母の物とはまた違うものだったが、優斗は陽狐の手料理を確かに美味だと感じていた。


 夕食を食べ終わり、引っ越しの挨拶回りの時の話を肴に酒ではなく、コーヒーをすする優斗と陽狐。


 キッチンの壁にある、風呂に自動でお湯を張るためのボタンを押し、しばらく腹休めをしていると「お風呂が沸きました」と、機会音声でアナウンスがあったので、明日から仕事という事もあり「先にお風呂もらうね」と、優斗は風呂場に向かった。


 脱衣場で服を脱ぎ、それを洗濯かごに放り込んで、優斗は浴室へ。


 掛け湯をし、湯船に浸かれば至福の時間だ。


「あー。やっぱ実家の風呂は広くて良いなあ」


 優斗が湯船の中で両足を伸ばして、しばらく呆けっとしていると。


「優斗さん? お寝巻き置いておきますね?」


 と、浴室のドアの向こうから陽狐の声が聞こえてきた。


「あ、着替え忘れてた。ごめん、ありがとう陽狐さん」


「いえいえ。こういうのやってみたかったので」


 それは俺もそうかもしれない。

 そんな事を考えつつ、そろそろ体を洗おうとして風呂から出て、椅子に座った直後。


「優斗さん。お、お背中流させてください!」


 と、タオル片手に陽狐が浴室に突撃してきた。

 バスタオルを体に巻いただけの姿で。


「陽狐さん⁉︎ 待って待って! そういうのまだ早いって!」


「そ、そうかも知れませんが! でも、いずれはすることだと思うので!」


 恥ずかしさから拒否した優斗を真っ赤に頬を染めた陽狐がまくしたてる。

 その勢いに負け、優斗は背中だけは流してもらう事にした。

 

「じゃ、じゃあ今度は前を」


「それだけはマジで待って!」


 いくらなんでも恥ずかしいが過ぎるので、それだけは断固阻止。

 本日は優斗は腰にタオルを、陽狐は体にバスタオルをつけたままではあるが、二人で入浴することで手打ちとなった。

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