第13話 優斗は早く帰りたい

  楽しかった休日も終わってしまい、優斗は翌朝目覚めると準備を済ませると陽狐に見送られて仕事に向かった。

 もう何年も働いている職場だ。

 慣れた手つきで機械の部品を組み上げて、次工程に預ける作業を淡々とこなしていく。


「(あ、これ不具合だな)秋山さん! すみません、ちょっと確認お願いします」


「お? どうした有坂。ん〜? ああ〜。こりゃあ駄目だな寸法ミスだわ。すぐ連絡する、有坂は作業に戻ってくれ。ありがとう、良く見つけてくれたな」


「秋さんの指導のおかげっすよ」


「言ってろ」


 職場で仲の良い上司と軽口を叩き合いながら作業をこなし、その日の作業が落ち着いてくると、優斗の脳裏には昨日の陽狐とのデートの光景が過ぎっていた。

 

 唐突な出会いと成り行きで始まった同棲生活が、今や優斗のモチベーション維持に欠かせない物になっていたのだ。


「ああ〜。早く帰りてえ」


「ならさっさと手を動かせ有坂。ボケっとしてると怪我するぞ?」


「うっす」


「まあ、俺も早く帰りたいってのには同意だがな」


 仕事も終盤に差し掛かるにつれ集中力が切れてくる。

 しかし製品に不具合を出すわけにはいかない。

 優斗は上司の言葉に気を入れ直し作業を完遂。

 帰宅前に仕事に使った工具を片付け始めた。


「有坂。このあと何人かで飲みに行くんだが。ああいやすまん、お前通勤は車だったな」


「ああはい。すみません秋山さん」


「いや気にすんな。またラーメンでも食いに行こうぜ」


「秋山さんの奢りなら喜んで」


「誘っておいて部下に金払わせるかよ。じゃあ、帰り道気をつけてな」


「はい。お疲れ様です」


「お疲れ〜」


 こうして優斗は本日の作業を終了すると、事務所に設置されている出退勤の為のタイムカード代わりに導入された網膜認識を済ませ、作業着のまま愛車が待つ駐車場に向かう。


 そして優斗は車に乗り込むと、スマホを操作して動画配信サイトを開き、お気に入りの動画配信者の配信アーカイブを再生するとスマホをドリンクホルダーに放り込んで車を発進させた。


「どうせ今日も渋滞してんだろうなあ」


 そんな事をぼやいて車を走らせていると、優斗の前方の空を鞄を持ち、スーツを着た男性が黒い翼を羽ばたかせて飛び去っていった。


「良いなあ。俺も鴉天狗からすてんぐみたいに飛べたらなあ」


 願ったところで翼を授かるわけもなく、愛車が空を飛ぶようになるわけでもない。

 優斗はいつも通り、いつもの道を、いつものように渋滞に巻き込まれながら帰っていく。

 しかし、その帰り道が、一人暮らしの時よりも楽しく感じられたのは他でもない、陽狐のおかげだ。


 疲れて帰った自分を優しく迎え、温かい食事を用意してくれる彼女。

 いや、たとえ陽狐が食事を用意していなくても、優斗は陽狐が迎えてくれるだけで満足だった。

 

 お気に入りの動画配信者がカバーした曲を聴いて帰る、田舎までの高速道路。

 焦る事はない、安全運転で帰って遅くなっても陽狐は自宅で待っている。

 それは夢や幻、思い込みの妄想ではないのだ。


 とは言えそれはそれ。

 優斗の早く帰りたいいう願いは本物だ。


 「今日は事故はしてないか。電話はしなくて大丈夫そうかな?」


 昨日契約したスマホを持つ陽狐と電話してみたい気持ちはあるが、運転中にそれをするわけにもいかない。

 優斗は渋滞を抜けると、いつも寄るコンビニがあるパーキングエリアに向かい、トイレ休憩のついでに陽狐に電話を掛けようと考えた。


 コンビニで微糖のコーヒーを買い、車に戻って一口飲んで一息つきながら優斗はスマホを操作。陽狐の電話番号を選び、通話ボタンをタップした。


「は、はい! 優斗さん、ですよね⁉︎」


「はっや。今ワンコールじゃなかった? 俺だよ〜。今帰り道なんだけど、ちょっと声が聞きたくなっちゃってね」


「運転中ですか⁉︎ それって駄目なんじゃ」


「大丈夫大丈夫。ちゃんとパーキングで休憩中だから」


 通話ボタンをタップして、スマホを耳に当てた瞬間聞こえてきた陽狐の声に苦笑しながら優斗は返答しつつコーヒーを口に運んだ。


「もしかして、遅くなりそうなんですか?」


「いや。渋滞はしてるけどいつもの時間には帰るよ」


「でしたらあと三十分くらいでしょうか。わかりました。お待ちしてます」

 

「いや、先に食べてて良いよ? お腹空いてるでしょ?」


「優斗さんと一緒じゃないとご飯が美味しくないので嫌です」


「そ、そう? 分かった、じゃあまあ事故しないように気をつけて帰るよ」


「はい! ご無事のお帰りをお待ちしています」


「うん。じゃあ、またあとでね」


「あ、はい。ではまた」


 陽狐の最後の返事があまりにも寂しそうに聞こえてしまい、通話を切ることを激しく躊躇う優斗だったが、通話しながらの運転は危険が伴うため、しかたなく通話を切って優斗は残ったコーヒーを一気に飲み干すと、愛車のエンジンを始動。


 カーレースの漫画やアニメに出てくる登場人物よろしく、アクセルをベタ踏みしたい衝動を抑えに抑えてパーキングエリアを出ると、再び渋滞に合流。


 優斗は自身と同じく、早く帰宅したいと願っているであろう車列に飲み込まれ、高速道路を田舎へと、恋人が待つ我が家へと向けて進んでいくのだった。

 

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