第3話 新生活

 実家への引っ越し前日。


 引っ越し手続きのために市役所へ行った帰りに、優斗は陽狐を連れて両親の自宅へと向かった。

 一応の事情は電話して話したが、紹介しないわけにもいかないと思ったのだ。


「優斗さん、私変じゃないですか?」


「陽狐さんが変なら世の女の人は全員変ですよ」


 少なくとも、優斗は今まで出会ってきた女性の中では陽狐のことを一番綺麗で可愛らしいと思っていた。


 緊張して妖狐の特徴である大きな耳と尻尾をピンと伸ばしている陽狐に苦笑するが、優斗はお構いなしに両親宅の扉を開けて「ただいまー」と、玄関で靴を脱ぐ。

 

「お、お邪魔します」


「父さ〜ん。連れて来たよ〜」


 玄関から廊下を進み、二人は普段父がよく漫画や小説を読んでいるリビングへ向かう。


「おー来たかあ。君が陽狐ちゃんか。はじめまして」


「こっち来て座って。お茶出すわ」


 読んでいた流行りの漫画の単行本を座っていたソファの前に置いているローテーブルに置いた父、父の隣でスマホでゲームをしていた母に快く迎えられ、陽狐は安心した様子でL字のソファの端に腰を下ろした。


「緑茶で良かったかな? 烏龍茶も麦茶もあるから言ってね?」


「あ、ありがとうございます。いただきます」


 優斗の母からお茶の入った湯呑みを受け取り、陽狐は頭を下げた。

 そして、優斗の母が父の隣に座るのを待ち、挨拶をする。


「はじめまして。稲荷いなり陽狐と申します。優斗さんとお付き合いさせていただく事になりました」


「へぇ〜。稲荷さんかあ。ん? 稲荷ぃ⁉︎」


 陽狐の苗字を聞いた優斗の父が飛び上がりそうな勢いで叫んだ。

 優斗も初めて陽狐の苗字を聞いた際は驚いて一瞬硬直した。


 それと言うのも、妖狐の一族で稲荷と言えば妖狐の中でも最高位、一族のおさを長年努める名家中の名家なのだ。


「家督は姉が継ぎます。私はただの妖狐なのであまりお気になさらないで頂けますといいのですけど」


「はあ〜。いやあ、まあそれは良いけど。名家は名家、良いのかい? うちの優斗なんかで」


「優斗さんが良いです。他の誰かなんて考えられません」


「そうかあ。あ、母さん。お茶淹れてくれない?」


「自分でどうぞ」


「へい」


 母に言われ、渋々父は立ち上がり、自分のお茶を淹れるためにキッチンへ向かう。

 それを見て優斗は陽狐の方を見ると苦笑を浮かべた。


 このあと優斗と陽狐は両親と食卓を囲み、昼食を食べると実家に帰宅することにした。


「なんだ。もう帰るのか?」

 

「明日引っ越しだからね。早めに帰って準備するよ」


「うちに泊まれば良いじゃないか。ここからアパートに行くほうがゆっくり出来るだろ?」


 帰るために立ち上がった優斗を引き止めようとする父。

 そんな父の口を隣に座っていた母が塞いだ。


「あなたそれは野暮ってものよ? 若い二人が両親宅でゆっくり出来るわけないでしょ?」


 口と鼻を塞がれ、若干苦しそうな父にそう言うと、優斗の母は「帰るならアレ持って帰りなさい」と言って父を解放して立ち上がるとお土産にとキッチンから稲荷寿司を持ってきた。


「安直〜」


「わあ。美味しそう! いいんですか?」


「好きなんだ。覚えとこう」


 こうしてお土産も受け取って、優斗と陽狐は両親に見送られ田舎の実家へと帰っていった。


「優しいご両親でしたねえ」


「そうだろ? ちょっとオタクだけどね。まあそれは俺もそうだけど」


「私も漫画や小説は読みますよ?」

 

「へぇ〜。何読むの?」


「えっとですねえ。最近気に入っている漫画はですねえ」


 愛車を運転しながら助手席に座る陽狐と話す。

 普段はカーナビに記録した音楽やスマホから流した音楽を聴きながら運転するのが常だった優斗だが、今日に至っては陽狐との会話が楽しくて音楽をかけていない。


「陽狐さん、そういえばなんで実家にいたんです?」


「優斗さんのお祖父様から手紙を預かりまして『自分が死んだら優斗に家をやるから二人で暮らしてくれ、孫を頼む』って」


「爺ちゃんが手紙を?」


「はい。里と村の境の社にいらしたんです二月ふたつきほど前でしょうか。社の巫女見習いが手紙を受け取りまして。私に」


「二月前。爺ちゃんが倒れる直前くらいか。なんで急にそんな」


「死期を、悟ってらっしゃったのかもしれませんね」


「そう、なのかな。いや、そうかも知れないな」


 爺ちゃんは昔から霊感というか、死に敏感だったからなあ。そんな事を優斗は昔、祖父と一緒にテレビを見ていた時のことを思い出しながら考えていた。


「ああ。この芸能人、永くねえな。若いのにもったいねえ」


 優斗はそんな祖父の言葉を聞くたびに「いやいや流石にないでしょ」とツッコミを入れたりしたが、その芸能人は祖父の言っていたとおり、数日後、事故で亡くなった。


 祖父曰く死期が迫った人間には黒い影が重なって見えるとのことだった。

 そして、その現象の事を優斗は祖父の死後、理解できるようになっていた。

 なってしまっていた。


 道ゆく他人。

 駅のホームに立つ人。

 工事現場で働く作業員。


 時折見える他人に重なる影とは違う黒い影。


「ああ爺ちゃんはコレを見てたのか」


 いつのまにか、それが死そのものの気配だと理解していた。

 しかし、死が見えるといっても何が出来るわけでもない。

 あくまで他人。

 知らない他人に「気を付けないと、あなた死にますよ」などと理由も語れず、何が原因で死ぬかも分からないのに声を掛けられるわけもない。

 

 結局、他人は他人。

 そういう事なのだ。


「優斗さん。大丈夫ですか?」


「うん大丈夫。ちょっと爺ちゃんのこと、思い出してた」


「ごめんなさい私のせいで」


「いやいや。聞いたのは俺だから、気にしないで下さい。あ、コンビニ寄ります? 何か飲み物買いません?」


「あ、じゃあお願いしていいですか?」


 コンビニに寄って優斗はコーヒーを、陽狐は紅茶を買って再び実家を目指す。

 明日は引っ越し。

 本格的に二人の新生活が始まるのだ。

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