第9話 手を合わせて「いただきます」

 俺のお茶を拭き終えたリリィはコフィンのお茶を拭きに行ったようで、コフィンの手元に零れた緑茶を拭こうと手を伸ばす。


「リリィちゃんを女としていやらしい目で見たな!?」

「は!?」

「リリィちゃんはコフィンのダーリンものなの! 絶対にあげないんだから!」

「は? はぁ!? え? 男!?」


 緑茶を拭くリリィを抱きしめながら、コフィンはリリィを守っている。

 色々とツッコみたいところはあるが、性別を誤認していたことは正直に謝ろう。いや、一言文句を言っていいのなら、ちゃん付けで呼んでるのも誤解を招いた原因だ。


「はい皆さん、少し落ち着いてください」

「そもそもの発端はお前の悪口なんだがな?」

「本心を当てただけなのですが……」


 子犬が悲しそうにするような顔をされても、言葉にしなくてもいいことだってあるだろうが。

 俺はエレナの幼馴染なんだ。

 俺が状況と気持ちを整理しているあいだに、コフィンに離されたリリィは自分の席に座る。でもまだコフィンからの視線が痛い。


「それでは、エレナさんが天使になったこと……天使病についてお話しますね」


 静寂に包まれた部屋に緊張が走る。

 いや緊張しているのは俺だけだろうが、必要な情報を逃さないように神経を集中させる。


「天使病とは人間が天使になること。天使とは神様の穢れです。だから神様からしか生まれません。そして死神の穢れが悪魔です。悪魔は死神からしか生まれません」


 耳に入った言葉を頭の中で整理していく。


「悪魔は死神へ人間の魂を、天使は神様へ人間の体を運びます。これは死んだ人間限定です。供養と考えていただけると良いかと思います」


 俺がお袋に教わったのは、神様が人間を浄化しているということだった。

 人間の前に現れたことのない神様や天使、死神、悪魔といった存在は、人間が言い伝え続けてきた内容とは違う。人間が正しく伝えられなかったか、そもそも間違って認識していたか、見えない存在が変わったかのどれかだろう。

 張本人が目の前にいるのだから、疑問は解決できる。


「それは昔から変わらないのか?」

「はい。そうして世界はあり続けていますので」


 なら人間の伝達不足だ。

 人間の中で勝手につけた存在理由イメージは、どんな風に感じるのだろうか。俺なら正しく説教してやりたくはなるが。


「死神と神様は水・金・地・火・木・土・天・海の8属性に1人ずつ存在します。それぞれから生まれた穢れはそれぞれへ人間を運んでいるわけですね。ちなみに僕は天属性で、死神と神様は不老不死でもあります」


 言われた情報を受け入れて行って、もうひとつ浮かんだ疑問も解消してもらおう。


「運ばれた人間はどうなる?」

「それは、テオさんも先程見ていたでしょう?」

「……それで料理が趣味だと」

「ふふふっ、採れたてはとても美味しいのです」


 デスは幸せそうに微笑んでお茶を飲んでから、少し考えている。


「死神が魂を、神様が身体を供養することで人間は転生します。それが私たちの役目ですから。だけど最近、天使病が流行り始めたのですよね……。我々は姿を見せることで解決への道を探し始めたのですが……」

「天使病の原因ってのは……天使が人間に何かしたってことなのか?」

「……テオさん、善悪とはなんでしょうか?」

「は?」


 真剣に考えていたら、デスは突然クイズを出してきた。

 呆気にとられたまま優しく微笑むデスを見つめる。


「善悪なんてものはないのだと、僕は思います」

 何を言っているのだろう、という俺の視線が痛いのかデスは困った様に小さく笑う。

「テオさんは僕たちと接してどう思いましたか?」

「……想像と違うくらいには良い奴っぽい?」

「人間にとって僕たちは悪だと認識されているようですが、そもそも人間は細分化しすぎなのです。僕はすべての悪魔を理解することはできませんし、だからこそ断片的な出来事で善悪を判断することはできません」

「なにが言いたいんだ?」


 それは純粋な疑問だった。

 デスの価値観は理解した。俺にはない価値観だ。そういう考えがあることも尊重しよう。だって俺は人間でデスは死神なのだから。人間にとって善悪が無いとは考え辛い。だからデスと俺は違うのだろう。

 ただ本心が見えてこなくて、俺はデスを睨むように見る。

 だから人間は疑うのだ。そして自分の都合で善悪を判断する。


「……僕にも彼女の気持ちが分からないということです」


 やっぱりデスの言いたいことは分からない。

 だけどどこか寂しそうな瞳は、俺を通り越したずっと先に向けられている。


「分からないので、確かめに行きましょうか」

「は? どこに?」


 急に立ち上がって部屋を出て行こうとするデスを俺は椅子に座ったまま視線で追いかける。


「好きな人のところでしょうか」


 ウィンクして俺の心を勝手に表現するデスはやっぱり悪い奴だ。

 でも不思議と安心してしまって、俺は立ち上がる。

 白い天井を見つめて、俺はエレナの無事を祈った。


「ああそうだ、リリィ、貴方はもうすぐ何歳でしたっけ?」

「200歳だよ」

「そうですか。ではそろそろ料理をしましょうか」

「うん」

「えーっコフィンはイヤですよー」


 俺がデスの後ろに追いついた時に、デスとリリィの会話が聞こえた。そのあとコフィンも混ざって他愛無い会話が続く。

 螺旋階段を上って行くと天井が開いて、山の上にでもいるのではないかと思うほどの塔の頂上に出た。高い塔の上から広がる草原を眺める。

 いつの間にか夜になっていて、暗くて遠くがよく見えない。でも真下にある塔の入り口は辛うじて見えた。俺はあんな下から入って来たのかと目を細める。


「ふふふっ、行きますよ」


 デスが面白そうに笑いながら白い翼を広げて飛んでいく。

 絶対俺のことをバカにしたなと睨んでやろうと思ったのに、次の瞬間にはコフィンにお姫様抱っこされていて、抵抗する暇を与えないように空へ飛び出した。ちゃっかりとリリィの隣を飛んでいる。

 俺のポジションはここなのか……。

 すっかりと暗くなってしまった夜の空は、静かで落ち着く。

 嵐の前の静けさ、というやつだろうか。

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