第19話 見えないキミ
「……ラズ?」
ラズは叫んだあと俯いてしまった。拳を握って何かに耐えているようにも見える。
「ラズ、お前には周りが見えているか? 周りが見えない状態で飛んだらどうなるか分かるか?」
「……わかんないよ。ぼくはテオさんじゃないから」
「お前はラズだろう。だからラズが俺を見つけられるように、俺はそばにいる」
「……テオ、さん……」
俺はちゃんとラズを見ている。ラズが抱えている不安も感じている。
不安な気持ちがあるなら、吐き出すべきだと思う。
吐き出す相手がいることを教えるように、俺はラズを見続ける。
赤と青の瞳は俺がいることに驚いたようにも見えて、そのあと悲しそうに目を細められた。
「……メルルが、きのうからずっと部屋にこもってるんだ」
ラズはゆっくりと俺に不安を吐き出してくれた。
「部屋にカギがかかってて、ドアをたたいても返事がなくて……ううん、ずっと歌っているんだ」
「歌?」
「メルルの歌には魔法があるって知ってるでしょ? あたらしい歌を練習してるんだ」
「それは何故だ?」
「わからない……。ただ寝てないとおもう。ずっと聴こえるから」
ラズとメルルの部屋は隣同士だ。
このトレーニングルームもそうだが、各部屋の防音性は高い。声や歌程度なら隣に聴こえることはないはずだ。
だけどラズとメルルは姉弟である。本能とでもいうのか、直感とでもいうのか、ラズにはメルルの声が聞こえるのだろう。
「ラズは寝れたか?」
「……すこし、ね」
昨日の今日で熟睡できるわけでもないだろうし、俺も寝つきが悪かったし朝起きるのが辛かった。
それでも俺とラズは身体を鍛えにこの部屋に来た。
俺の場合は半分ほど趣味なんだが、ラズは今の状態でトレーニングをするべきではない。
「ラズ、言い忘れていたが、しっかり寝ないと身体は鍛えられないんだ。だから今のラズがいくら鍛えたところで何も変わらない」
「え……そうなのっ」
少しだけ嘘を混ぜながら、俺はラズに豆知識を教える。
俺の言うことを素直に聞いてくれるラズは、子供のように好奇心のある瞳で俺を見つめた。
「だから今日は眠れるようにするのがトレーニングだな。身体を鍛えるのは規則正しい生活をすることでもあるんだ」
「そっか……。テオさんはいろんなこと知ってるね」
「ラズも俺と同い年になる頃には俺を超えるくらいの知識が身につくだろ」
素直な感想を述べると、ラズは目を丸くして照れくさそうに視線を逸らした。
ラズには褒めて伸ばすスタイルの方がよさそうだな。
「でも……少しだけ、見ていてもいい?」
「ちゃんと寝るトレーニングをするなら、な?」
「うんっ」
ラズのわがままに応えるとラズは嬉しそうに椅子に座って俺のトレーニングを見学していく。
俺はいつものようにトレーニングに集中していると、30分ほどで満足したのか、ラズは静かに部屋を出て行った。
集中しながらも、ラズが心配していたメルルの件を考える。
俺がメルルに話を聞きに行くのは難しいだろう。ラズでさえダメなのだから当然だ。なら、1人心当たりはある。
集中していればまたお昼ご飯を持ってきてくれるだろう。だってそいつはお節介なのだから。
それまでは頭を空にする時間になりそうだ。
トレーニングの台の音を耳にしながら、俺は趣味に没頭する。
「……いつまで夢中になってるの?」
頭を空にしていたから、扉が開いたことに気付かなかった。
エレナはテーブルにおにぎりを置いて俺を眺めている。どこか不機嫌そうに。そもそもいつからいたのだろうか。
キリがいいので台から降りてタオルで汗を拭きながら椅子に座っているエレナの隣に腰かける。
「声かけてくれればよかったんだが」
「かけましたよーっ。いつにも増して集中してたね」
「すまない」
「集中できるところはテオの長所だよ。でも集中すると周りを見えなくなるのは短所」
「よく見てるな」
「どれだけ一緒にいると思ってるの?」
楽しそうな表情を浮かべながらエレナは笑った。隣にいるのが当然だと言うように。
おにぎりを手に取ると冷え切っていた。掛け時計を見ると正午を2/3過ぎていて、ずいぶん長いあいだ俺のことを待ってくれていたらしい。
やはりエレナには勝てないな。
「そんな俺の短所をエレナに補ってほしいんだが」
「どうしたの?」
冷え切ったおにぎりを一口食べたあと、エレナに視線を向ける。
俺がこれから大事な話をするのを分かっているようで、真剣な目で見つめられた。
「メルルが部屋にこもっているみたいなんだ。力になってあげてほしい」
「私も心配してたし、声をかけてみるね」
当然のように笑顔で引き受けてくれたエレナはお人好しだ。昔から変わらないエレナの優しさを俺はおにぎりを食べて噛みしめる。
「大丈夫そうでよかった。ずっと気付いてくれないのかと思ったもん」
「もっと積極的に視界に入るとかしてくれればよかったんだが?」
「だって、集中しているテオの邪魔はしたくなかったの」
「そうか?」
「うん。じゃあメルルの様子見にいってくるね」
照れ隠しのようにエレナは駆け足で部屋を出て行った。その後姿をおにぎりを食べながら見つめる。
エレナの背中から天使の羽が生えているように見えるくらい、エレナは天使のような存在だ。
天使のような、と言うには語弊があるかもしれない。天使と悪魔は実際同じような存在であったのだから。
今まで抱いていた天使のイメージが変わったのも事実だ。
でも人間の中の一般的な意味での天使のような存在。
メルルのことはエレナに任せて、俺は俺のできることを変わらずやるだけだ。
今はそれしか、方法は見つからないのだから。
◆◇◆
コフィンが意識を失ってから5日が経った。
人間であれば大分危うい状況だが、悪魔にとっては生命維持の魔法がかかった棺に入っていれば数ヶ月でも存在できるとデスが言っていた。
だがそれは棺に入った悪魔は、だが。
昨日からエレナの様子がおかしい。昼になればいつもトレーニングルームに来ていたのだが、昨日は来なく夕食も別に摂った。
もう昼になるが、今日はエレナの姿を見かけていない。
メルルはまだ部屋から出てこないまま歌の練習を続けているらしい。トレーニングルームに来たエレナは毎日状況を話してくれていた。
少し話して出て行ってしまうから、エレナはメルルに付き切りなのだろう。
俺はエレナとメルルが心配になって、トレーニングを中断して様子を見にメルルの部屋へ向かう。
部屋が近付いていく度にメルルの歌が聴こえてくる。
防音設備を超えるほどに熱心な歌声。そして心地よく綺麗な歌声だ。
途中で止まって、また最初から歌いだした声を聴きながら、メルルの部屋の扉を視界に入れる。
扉に寄り掛かるように体育座りをしているエレナは、膝に顔を埋めていてどんな気分なのか分からない。
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