第20話 天才だから下を向く

「エレナ」


 ビクリ、とエレナの肩が揺れる。だけど顔は膝に埋めたままだ。

 また途中で止まった歌声は最初から歌いだす。


「エレナ、具合悪いのか?」

「…………ううん」


 弱々しく呟かれた返事に俺は視線を合わせるようにしゃがんでエレナの頭を見る。

 何かあったのだろう。いや、これだけ真剣な声を聞いていれば疲弊してしまうのは分かる。

 エレナは一昨日までいつもの笑顔で俺に状況を話してくれていた。だけど、心の部分まで俺は見れていなかった。もっとエレナと向き合うべきだったのだ。

 今からでも安心させるように、エレナの頭に軽く手を添える。


「……ッ!」


 勢いよく上げられた顔は今にも泣きそうで。唇を噛んで耐えている姿を見ているだけなんてできない。

 だから、エレナの頭を優しく撫でる。

 頬に垂れた雫をもう片方の手で拭ってやる。

 手が足りないな。ハンカチなんて今は持っていないし、俺の汗を拭いたタオルでは嫌がられてしまう。

 それでも、手を止めることはできない。


「……っ、メルル……壊れそうで……怖いの……」


 頬に触れる俺の手を掴んでエレナは小さく呟いていく。


「ドア、開かなくてっ、……私の声が届いてるか、分からなくてっ……私になにがっ、できるんだろうって……っ」


 涙と一緒に零れる言葉は、メルルのことをとても心配しているのだと伝わってくる。

 コフィンの容体も、メルルの状況も変わらなくて、人間には耐えるだけの力がない。

 特にエレナはお人好しだ。他人のことを自分より気にかける。


「コフィンは悪魔だ。まだ危険な状態じゃないってデスも言っていた。メルルも天使だから、寝なくても大丈夫なんだと思う。だから少し離れて様子を見よ、」

「……どうして、そんなに冷静なのっ?」


 エレナの揺れる瞳を真っ直ぐに受け止める。


「今は焦るのが1番危険だ。変わるのは少しずつでいい。焦って俺たちまで足を踏み外したら誰がコフィンを助けるんだ?」

「……わかんないよっ」

「エレナッ、落ち着け!」


 エレナは俺の手を振りほどいて立ち上がる。俺も立ち上がってエレナを見るが、俯いていて表情はわからない。

 今にもどこかへ飛んで行ってしまう気がして、俺はそっとエレナの肩に手を添える。


「どうしてっいつもそうなの!? 私は人間だし、テオと違って天才じゃないの! だから焦るんだよっ! 怖いんだよ! テオには絶対わからないッッ!!」

「エレナッ待てッ」


 また俺の手を振りほどいて、エレナは走って逃げて行く。

 俺には追いかける資格がない気がして、ただエレナの走って行く後姿が消えるまで見続けた。


「天才なんて、いいもんじゃない……」


 大切な子を守れないのなら、天才になんてならなくていい。

 それよりもっとエレナの気持を理解したい。

 だけど俺たちは人間で、他人だ。

 心の中を覗けたとしても、そこにあるものの本質を見抜くことは人間にはできない。


「久々だな……喧嘩するの」


 俺はエレナと喧嘩するのが苦手だ。

 いつも隣にいるべき存在がいないってことに耐えられない。

 俺はどうすれば、エレナの気持を理解できるだろうか。


「綺麗な歌だな」


 扉の向こうにある声はとても力強くて、だけど儚いもののように聴こえる。

 どうすることもできないまま、気が付けば俺は歩いていた。

 トレーニングルームに戻るとラズが椅子に座っているのを捉える。

 俺をじっと見つめる視線を感じたまま、視線を合わせずに椅子へ向かった。


「なにかあったんでしょ?」

「いや……」

「テオさんって、感情が態度にでるからすぐにわかるんだよ」

「そうか……」


 よく人のことを見ているなと感心しながら、俺はラズの隣に腰かける。


「なにがあったの?」

「なんだろうな……」

「……ぼくは吐き出したんだ。今度はテオさんの番だとおもう」


 床に向いていた視線をラズに向ければ、どこか悲しそうな、だけど強い眼差しと交わった。

 隣にいるのだと主張する瞳は子供には見えない。

 いつの間にラズは大人になったのだろうか。


「……エレナと、喧嘩した」

「2人ってケンカするんだ……」

「前にしたのがいつだったかは覚えてないがな」

「ふぅん、そっか」


 俺は再び視線を床に向けて小さくため息を吐く。


「ぼくはケンカってしたことない。メルルに怒ることはよくあるけど、でもいつもメルルが受け流すから。だからテオさんの気持はわからない。でもつらいんだって顔でわかるよ」

「そうか……」

「でも、ぼくも今メルルの気持がわからないし、メルルにぼくの声がとどかない。だからなんとなくわかる気がする」


 横目でラズを見ると天井を見上げながら少し嬉しそうな表情をしている。


「なんだが、嬉しそうだな?」

「うれしいのかな? ただ、人とかかわると新しい感情を知れるからかもしれない。それにテオさんとおなじ気持ちになれてる気がするからかな」

「変わってるな」

「テオさんにいわれたくない」


 ラズは視線だけを向ける俺を見て面白そうに笑っている。

 無邪気な笑顔は子供らしさを感じて、俺もしっかりしなければと、背筋を伸ばして天井を見る。汚れ1つない白い天井はぼんやり見つめるには丁度いい。

 眺めていると扉が開いた音がして、視線を向ける。


「イリス……? どうしたんだ?」

「ちとお主の顔を見たくなってのぅ」


 俺の前に来たイリスは背が低く、座っている俺と目線が合わせやすい。


「ぼくはメルルの様子をみてくるよ」

「ああ」

「すまんのぅ。あやつは嬉しいじゃろな」

「わかんない。けど、ぼくはメルルのそばにいたいんだ」


 ラズは立ち上がって振り返らずに扉へ歩いて行く。

 ラズが座っていたところにイリスは腰かけた。イリスは態度や言葉遣いに反して見た目は子供なので、足が床についていない。それでも圧倒的な存在感を纏っている。


「なんとなくお主の元気がない予感がしたのじゃ」

「イリスは勘が鋭いんだな」

「そうでない。お主の声が聞こえたからのぅ」


 そう言ってイリスは俺を見つめる。強い眼差しは俺の心の中を見ているような感覚に陥るほどだ。

だから俺は視線を床に下げた。

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