第3話 卵の殻を割るように
会計を済まして店の外に出ると、エレナがいない。辺りを見渡して店から少し離れたところにいるのを見つける。
「……エレナ?」
空を見上げるエレナの髪とスカートが風で揺れていた。
まるで天使のように見えてしまって、俺は瞬きをしてからエレナの隣に立つ。
「食べ過ぎて腹壊すなよ?」
「これくらい朝飯前だよ」
嬉しそうに笑いながら、エレナはパンを受け取って歩き出す。
少しだけ後姿を眺めていたくなって、俺は立ち止まったままエレナの背中を見つめる。
「テオ? 置いてっちゃうよ?」
「待っててくれるくせに」
「今日は早くパンが食べたいから待たないかもしれないよ?」
意地悪に笑われても、それは冗談なのだとすぐに分かる。
俺はエレナの隣に追いつくと一緒に家まで帰って行く。
横目でエレナを見るとパンの袋を漁って1つ手にとっていた。
本当に好きなんだなと、俺は口角を上げて前を見た。
幸せそうにパンをかじる声が聞こえて、俺は笑い声が漏れないように小さく笑う。
そうしていると家に着いて、エレナが家の前で止まった。
「またね」
「おう」
パンを手に持ったまま反対側の手を小さく振ってエレナは家に入る。
エレナが入ったのを見届けてから、俺も自分の家に入る。
荷物を部屋に置いてから、俺は店に行く。
俺が学校に行っているあいだは親父が店番をしていて、俺と交代した親父は家に帰って仕事をする。
俺はまだ店番をすることしか教わっていないが、色々やることが多いのだと親父を見ていると感じられる。
商店の手伝いは嫌いじゃないし、跡を継ぐことに異論はない。
それに店から見える町は結構楽しいもんだ。
いつものように接客し、夕方になって店を閉めて、家に帰る。
お袋が用意してくれた夕食を食べてから自室で日課の筋トレをしている。今は腕立て伏せのターンだ。
「44、45、46……、……っ?」
腕立て伏せをしていると、窓に何かが当たる音がした。
気のせいだろうかと思ったが、腕立て伏せをしながら視線を窓に向ける。
「ノックくらいしてほしいんだが?」
いつも窓を開けているからそこから幼馴染が入ってくることに不思議はない。
なぜなら俺とエレナの部屋は偶然にも隣り合っているから。
窓の位置も一緒で、家の間隔は少しあるが大人であれば簡単に部屋に入れてしまう。
「したよ。テオが気付かなかっただけでしょ?」
当然のようにエレナは窓に乗って勢いよく俺の部屋にジャンプした。
「わ……っ」
着地に失敗したエレナは俺に向かって倒れてくる。
「ちょッ! ……考えて倒れてくれないか?」
エレナは腕立て伏せをしている俺に乗るように倒れて来た。反動で重くて、俺も床に突っ伏す事になる。
(ああ、またこのパターンか)なんて思いながら、頭に当たる柔らかいもので起き上がれずに、エレナが無事なのか確認できない。
「は、はわわっ!?」
俺の上に倒れていたエレナは慌てて起き上がって胸を隠す。
とりあえず怪我はないらしいが、顔が真っ赤だ。
俺から触ったわけじゃないから睨まれても困るんだが。
「で? なにしに来たんだ?」
「……あ、宿題! 宿題教えてほしかったの!」
エレナは忘れるように持ってきた教材を机に広げる。
何かをブツブツと呟いているけど、いつものことなので気にしない。
学年は一緒だが、俺の方が9ヶ月年上なのだ。
だから、ちょっとした先輩を気取ってもいいかもしれない。
「ってか親に聞けばいいじゃん。校長なんだし」
エレナはこの町の学校長の一人娘である。
だけど校長である父親に教われない理由を俺は知っている。
「だ、だって……私の成績知ってるでしょ?」
「赤点しか取ったことがないということ?」
「赤点しかとれないから、天才のテオに教えてもらいたいの」
ようするに父親に教わるのが恥ずかしいのだ。
エレナは校長の娘である自分が赤点しか取れないことを昔から気にしている。
俺はエレナが言うには天才らしい。テストは毎回満点取れるし、なんとなくやってみたことは大体できる。
それが当たり前だからそういうものなのだろうと思っていたのだが、なんでもできるということはすごいことらしい。よく分からないけど。
「それで、分からないところは?」
「こことね、ここと、あとここ!」
全部だと言った方が早いな。
でも天使のように笑われてしまったら、断ることは俺にはできない。
深夜になりかけたところで宿題を終えたエレナは持ってきた教材を片付け始める。
エレナは何度もあくびをしていて、窓から帰る時に落ちないか心配だ。
「いつもありがと~。じゃあ帰るね」
「落ちるなよ?」
「大丈夫だよ~」
窓を開けて外へ向いたエレナの後姿を見守っているが、エレナは窓の前から動かない。寝てしまったのだろうか?
「あ、あのね、テオ」
どこか緊張したような素振りで振り向いたエレナは、教材を抱えたまま俺を見上げた。
「私ね、テオが幼馴染でうれしいの」
「うん、俺も」
「だ、だけど……ね、もう幼馴染はいやなの」
「うん?」
どういうことだろうと首を傾げる俺は、俯いてしまったエレナを見つめる。
「私……、私ねっ」
勢いよく見上げられた顔はどこか緊張していて、そしてどこか温かかった。
エレナが不安な時は頭を撫でていれば大体落ち着くのだ。だからエレナの頭を撫でようと手を上げる。
――バサッドササッ
エレナの持っていた教材が床に落ちて、反射で手を引っ込めた。
「どうした!?」
うつむいて息を荒くし始めたエレナの肩を慌てて掴む。
「い、いた……ぃ」
「痛い!? 医者を呼んでくるから少し待っ」
「いたいいタイぃタイィたぃいぃィイィイイ!!」
どこが痛いのか分からないけれど、俺を振り払って悶えるくらいに痛いのだと理解する。
振り払う力はエレナなのかと疑ってしまうほどに強くて、俺は尻餅をついてエレナを見上げる。
窓の前にうずくまって、自分を抱きしめるように手を背中に向けている。
服が破けてしまうのではないかというくらいに服を引っ張って痛みに耐えている。
いや耐えているなんて表現は間違っているのかもしれない。
それくらいエレナが何をしているのか、何が起きているのか理解できない。
「ぁあアッ」
背中の服が破けた。
いや『貫いた』が正しい。
破けた服のあいだから、宝石のような何かが床に落ちる。
「なんで、羽……?」
エレナの背中から羽の先端が生えてきている。
「あぁあァあぁ゛ァ゛あ゛ア゛アアアアアア」
まるでお産のようにも感じて、エレナから叫び声が出続ける。
エレナなのか魔物なのか分からない叫び声は部屋中に広がる。
声は目に見えないはずなのに、視界を邪魔してエレナの姿を認識できない。身動きすら封じられた。
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