第2話 後編

 アキテーヌというのは、今は滅んだ神族の国の名前だ。


 代々女王が治めていたのだけれど、ある時、偽王(ぎおう)が即位した。


 追放した姉ではなく、自分こそが正しい血筋であると主張した偽王だったが、王の証であるアキテーヌの星は赤く染まらなかった。


 アキテーヌの星は、資格を持たないものが持つと、赤から青へと色を変える。

 怒った偽王は、この指輪は偽物だと言って、指輪を中庭に放り投げた。


 しかし偽物だったのは王のほうだ。


 偽王の即位は神の怒りに触れ、一晩のうちにアキテーヌは滅びたと伝えられている。


 残された人々は神性を失い、女王の血族の中から、竜人や獣人、そして人族が生まれた。

 アキテーヌの星もその時に失われたはずだった。


 だがアキテーヌが滅んでしばらくすると、廃墟を訪れた一人の人族の娘が埋もれていたスターサファイアの指輪を発見した。


 娘がそれを指にはめると、指輪は赤く輝くスタールビーになった。

 彼女は、偽王に追放された正当なる女王の末裔だったのである。


 大陸のすべての国の源であるアキテーヌ。


 その末裔は国こそ持っていなかったけれど、すべての国の王位継承権を持つ。


 だからこそ、王族たちはアキテーヌの女王を求めた。


 アキテーヌの星は、持ち主が死ぬと青に戻る。

 そして次の資格あるものが手にするまで、赤く染まることはない。


 まあ、つまり、現在のアキテーヌの女王は私ってわけ。


 で、私を手に入れれば、他の国の王位継承権を請求できる。


 もちろん実際にそうするかどうかは別の話だけど、他国に取られるよりも自国に取りこみたいのは確か。

 だから次の結婚相手はどうにかなるとは思うんだけど……。


 私は目の前の美しすぎる竜人を見る。


 隣に立つのが嫌になるくらい綺麗だから凄くモテるだろうけど、竜人は一度番だと認めたら、その相手を一生愛するから浮気の心配はないのよね。


 でもいずれ帝国の皇帝になるのだけがネックだわ。


 だって皇后とかめんどうじゃない?


 第二王子の王子妃としての教育も大変だったのに、皇后になるんだったらもっと大変だと思うの。


「私はドラゴラム帝国の皇太子シリウス。愛しい人、どうかあなたの名前を呼ぶ栄誉を私に授けて頂けませんか」

「お会いできて光栄です、殿下。私はアーダルベルト伯爵家の長女、クリスティアナと申します」


 手を取られたままなのでどうしようと思ったけれど、王子妃になるべく学んだ成果の美しいお辞儀をしながら答える。


 足がグラつかなくて良かったわ。


 それにしても、この手はいつ離してもらえるのかしら……。


 悩んでいるうちに、なぜか義妹のニーナが横から口を出してきた。


「あ、あのっ。姉は私を虐げるような、ひどい性格なんです。ドラゴラム帝国のお妃にはふさわしくないと思います」


 ニーナは胸の前で手を組んでうるんだ瞳で訴えかける。

 そうすると胸が強調されるのを良く分かっているポーズだわね。下品だわ。


「無礼だな。私がいつお前に話しかけてくる事を許した」


 シリウスは、私に向けるまなざしと打って変わった氷のような視線でニーナを見る。


 さすがのニーナも一瞬固まったが、懲りずに再び口を開いた。


「でも、私はシリウス様のためを思って――」

「黙れ。お前に名を呼ぶ許しを与えたことはない」


 怒りを抑えることもなく、シリウス皇太子がニーナを叱責する。

 声に威圧が乗ったのかニーナの体が後ろによろめくのを、デイモンドが支えた。


「お前の番であるならきちんと手綱を取っておけ」


 シリウス皇太子はデイモンドにも厳しい目を向ける。

 デイモンドも威圧されたのか、ニーナと一緒に後ろに下がった。


 確かに竜人の威圧は凄いけど、これでも抑えているほうだと思うし、王族なら耐えられないほどではないんじゃないかしら。


 現に、高位貴族たちは顔色を悪くしてはいるものの、倒れるまでには至っていない。


 きっと怒っていても絶妙な威圧にしているのね。

 シリウス皇太子、さすがだわ。


「いや、番ではないのか……? 臭くて分からぬ」


 ニーナが臭いって、どういう事?


 あ、もしかして……。


 竜人は番を決めるまでは、他の異性の匂いがする相手を忌避するって聞いたことがあるわ。


 えっ。

 という事は……。


 私と同じように、それに気づいた何人かが、信じられないものを見るようにニーナを見る。


 だってニーナはすでにデイモンドと関係を持っているって事でしょう?

 しかも、シリウス皇太子の言葉を信じると、それ以外の人とも。


 私は思わずデイモンドの後ろにいる三馬鹿……じゃない、側近たちを見た。


 デイモンドの護衛騎士のガレンス・ボームス。

 宰相の息子のジャクソン・スコピオ。

 ニーナと同じ母を持つ義弟のポール・アーダルベルト。


 さすがに義弟のポールは除外するとしても、ニーナとの距離が不自然なほどに近いのはガレンスとジャクソンよね。


「ああ、後ろの二人か。三人で一人の女を共有するのは、ハレムと言うのだったか。人族の習慣は我ら竜人には分からぬな」


 うわぁ。

 爆弾発言きましたー!


 っていうか、ただれた異性関係を暴露されたニーナは顔色を赤くしたり青くしたりと凄い感じになっている。


「どういう事だ、ニーナ!」


 まったく気づいてなかったらしいデイモンドがニーナに詰め寄る。

 でもニーナはうるうるとした目で口元に手を当てた。


「誤解ですわ。私はデイモンド様だけを愛しておりますもの。私よりも他人をお信じになるのですか」


 かぼそく震える声は、とても庇護欲をそそる。

 デイモンドもほだされそうになっているのが良く分かる。


「愛しき人、我ら竜族は人族の風習とは違い、ただ一人のみを伴侶とする。どうかあなたに私のただ一人の伴侶となって欲しい」


 跪いて愛を乞う美貌の竜人。


 デイモンドもニーナもポールも、そして母をないがしろにした父もこの王国も、正直言って好きじゃない。


 前世の記憶を取り戻す前だったら、この国の貴族としての生き方に縛られていたかもしれない。


 でも今の私は、世界がもっと広いことも、家族がクズなことも分かっている。


 だったら、この手を取ってみるのもいいんじゃないかしら。


 そうね、今はまだ知り合ったばかりだから分からないけど、それでも一途に愛してくれるなら、私も愛を返せるようになりそうな気がする。


 だから――。


「お友達からでもよろしいですか? あなたをもっと知りたいです」

「もちろんです、愛しい人」


 紫の瞳がとろりと熱をはらむ。


 ……予感がする。

 きっといつか、私はこの人に恋をする。


「クリスティアナと、どうか、呼んでくださいませ」


 そう告げると、形の良い唇が震えながら私の名前を呼ぶ。


 あら、ちょっとかわいらしいかも。


「クリスティアナ……。ああ、なんと美しい名前だろう。美しいあなたにふさわしい」


 私の手を取ったまま立ち上がったシリウスは、その瞳に私だけを映して微笑む。


「私もあなたの名前を呼んでも?」


 断られる事はないと知っていながら聞くと、アメジストのような瞳が歓喜に輝く。


「もちろん。それほど喜ばしい事はない」


「では、シリウス殿下。これからお友達としてよろしくお願いしますね」

「どうか、シリウス、と」


 まだ婚約者ではないのだから、こんな風に手を握られたままではいけないのだけれど、でもこの手を放したくないと思っている私がいる。


「シリウス様」


 そう、名前を呼んだだけで、シリウス様は全身を喜びで震わせた。

 人ならざる美貌が、さらに凄みを増す。


 私の横でニーナがきいきい喚いているけど、そんな事は気にならないほど見とれてしまった。


「ああ、クリスティアナ。この喜びをどう表せばいいのだろう。もう私はあなたを知らなかった頃には戻れそうにない。このままずっとあなたの側にいたい」


「陛下、それはなりません!……アーダルベルト伯爵令嬢、ぜひあなたにはドラゴラム帝国へお越し頂きたく……もちろん、観光で! 観光で構いませんので!」


 シリウス様の側近らしき竜人の方が、焦ったように口をはさんだ。


 番を一番に考える竜人は、番を見つけたら二度と離れようとしないんだっけ……。


 うーん。

 王国に未練はないし、ドラゴラム帝国へ行くのもいいかしら。


 そうね。

 きっとそれはそれで楽しそう。


「ドラゴラム帝国の美しい場所を見てみたいです」

「ならばこのまま連れていきたい。必要なものは後で用意しよう」


 どうせ父は私にロクな旅支度など用意してくれないだろうし、もしかしたらドラゴラム帝国へ行くのを妨害するかもしれない。


 最悪、あまり良い評判のない貴族に嫁がせるかも……。

 それくらい、私の父に対する評価は低い。


 だったらこのまま、友達と言わず結婚を考えてもいいのかもしれない。

 そんな風に思っていたのだけど。


「アキテーヌの女王の伴侶の座を改めて決めるのであれば、俺も立候補するぞ」


 と、獣人国の王が宣言し。


「アキテーヌの星を頂く方は聖女にふさわしい。ぜひわが聖王国にいらして頂きたい」


 と聖王国の聖女の座を提示され。


「ならん! クリスティアナは私の番だ!」


 と、シリウス様が私を抱えこみ、と。


 舞踏会場は我が国の国王が来る前に大混乱に陥った。







 そして私は予感の通りにシリウスに恋をして――。

 溺れそうなほどの愛を受けて、まさに言葉通りに溺愛された。


 これは、そんな私の、婚約破棄からの溺愛生活の始まりのお話。

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