第3話 アーダルベルト伯爵の誤算 前編(三人称)

 ドラゴラム帝国皇太子シリウスが、掌中の珠のように大切にクリスティアナを伴って退出してから、大広間は喧騒に包まれた。


 すぐに現れた国王は騒ぎを収め、舞踏会を中止した。


 そして突然の婚約破棄を宣言したデイモンド王子を筆頭に、王子の側近の三人と、クリスティアナ以外のアーダルベルト伯爵一家を謁見の間に呼び出した。


 玉座に座ってイライラしながら足を踏み鳴らしていた国王は、連れられてきた者たちの姿を見て勢いよく立ち上がった。


「お前たちは何という事をしてくれたのだっ」


 特に優れているわけではないが、穏便に国を治めていた国王のいきなりの叱責に、集まった者たちは足を止める。


 クリスティアナとニーナの父であるヘンドリック・アーダルベルトも、初めて見る王の姿に身をすくめた。


「我が国がどれほどのものを失なったのか、お前たちに分かるかっ」


 怒鳴り声が部屋中に響き渡る。

 玉座の上の天蓋にかけられた幕がビリビリと震えている。


「し、しかし父上。私たちはクリスティアナがアキテーヌとは知らなかったのです」


 知っていれば婚約破棄などしなかったという思いをこめて、デイモンドが訴える。


 亡くなった王妃様に瓜二つのデイモンドを溺愛していた国王だが、さすがにこの時ばかりは声を荒げたまま怒鳴る。


「たとえアキテーヌであろうとなかろうと、あのような場で婚約破棄をする馬鹿がどこにいる!」

「ですがクリスティアナがニーナを傷つけていたのは事実です」

「確かめたのか?」


 今まで聞いたことのない低い声に、デイモンドは間の抜けた風に聞き返した。


「は?」

「事実であるかどうか、確かめたのかと聞いている」


「もちろんニーナだけでなくアーダルベルト伯爵夫妻に尋ねました」

「そうか……」


 ぎろりと睨まれてヘンドリックは視線を逸らした。

 一体なぜ、こんなことになってしまったのだろうと嘆きながら。






 ヘンドリックが先妻のガーベラと結婚したのは、政略によるものだ。


 アーダルベルト伯爵家は王家よりも古い血筋を誇りに思い、その妻となる者も、古い家柄の出身でなければ認めなかった。


 ガーベラの生家は同じ伯爵家で、アーダルベルト家と同じくらい古く、同じくらい伝統を大切にしてきた家だ。


 とはいえ、アーダルベルトが長い年月の間にかつて所有していた広い領地を失ったのに比べ、ガーベラの生家は交易で栄えていた。


 このままでは爵位を売り渡さなくてはいけなくなると案じた先代伯爵が、頭を下げてガーベラとの結婚を願った。


 赤い髪に赤い目できつい面差しのガーベラは、その華やかな容姿とは逆に滅多に社交界には出ておらず、ヘンドリックは婚約して初めてその姿を見た。


 しかし初対面の時から、その気の強そうな容姿が気に入らなかった。


 それにヘンドリックには結婚を誓った相手がいたのである。

 それが今の妻であるノーラだ。


 ノーラが社交界にデビューしたばかりの時に、素行の悪い貴族から助けたのをきっかけに恋仲になった。


 天真爛漫なノーラは他にも多くの貴公子から言い寄られていたが、結果的にはヘンドリックのプロポーズに頷いてくれた。


 思えばヘンドリックにとっては、あの頃が一番幸せな時だった気がする。


 身分の高い貴公子ではなく、平凡な自分の手を取ってくれたノーラは、まさに女神のようだった。


 だがノーラの家もまた貧しい男爵家で、先代のアーダルベルト伯爵は二人の結婚を、認めなかった。


 そしてこのままでは勝手に結婚してしまうだろうと危惧したのか、資産家のガーベラとの結婚を決めてしまった。


 ガーベラの持参金によって伯爵家は何とか持ち直したのだが、ノーラを諦めきれなかったヘンドリックは密かに彼女を囲った。


 その頃には、ノーラに言い寄っていた貴公子たちも既に結婚していたのと、もう男女の関係になっていたからだ。


 ガーベラが女児を産んだ時は、男児であればこれ以上閨を共にしなくてすむのにとがっかりした。


 きつい顔立ちのガーベラは思ったよりも性格は穏やかだったが、やはり好みでないものは仕方がない。


 産後に体調を崩しがちになったのと、ガーベラが不思議と産んだのが跡取りとなる男児ではなく女児で満足している様子なのをこれ幸いと触れなくなったが、それについてガーベラが文句を言う事はなかった。


 むしろこれはノーラに跡取りを産んでもらえば、ガーベラを追い出すのも可能なのではと期待したが、残念ながらノーラの産んだ子もまた女児であった。


 だがガーベラにそっくりなクリスティアナと違って、ノーラの産んだニーナは顔立ちこそ母親に似ていたが、髪の色や目の色はヘンドリックに似て金髪碧眼だ。


 どちらが可愛いといえば、当然ニーナだ。


 ヘンドリックは何としてもノーラと正式に結婚して娘のニーナを手元に置きたいと思ったが、ガーベラを追い出せるほどの理由がない。


 かといって、さすがにガーベラも愛人の子を伯爵家に迎えるというのは認めないだろう。


 しかもなぜかクリスティアナが第二王子の婚約者に選ばれてしまった。


 これではガーベラとの離縁は絶対に不可能だ。


 けなげなノーラは「愛するヘンドリックといられるのなら日陰の身でも構わない」と言ってくれたが、それではヘンドリックの気がすまない。


 どうにかならないだろうかと悩んでいた時に、流行り病であっさりとガーベラが死んだ。


 ヘンドリックはすぐにノーラを後妻に迎えた。

 そして愛娘であるニーナを正式に娘として貴族院に届けた。


 心優しいノーラは、クリスティアナにも優しく接し、その態度を改めるようにと多少の注意をしていたらしい。


 しかしクリスティアナは、ノーラとニーナに反抗的で手がつけられないと聞いた。

 ノーラを無視し、そればかりか、ニーナに対して暴力までふるうと言う。


 ヘンドリックはすぐにクリスティアナを問いただした。

 だが「そんなことはしていない」と言い張るばかりで一向に反省していない。


 婚約者として我が家を訪れていたデイモンド王子も、そんなクリスティアナよりも愛らしく素直なニーナに心ひかれたのだろう。


 ノーラからそれを打ち明けられたヘンドリックは、国王に溺愛されるデイモンド王子の勢力をけん制するためだけにクリスティアナとの婚約が結ばれたのだから、その相手がニーナに代わっても良いのではないかと思った。


 ヘンドリックには、愛し合っているのにそれが許されないデイモンド王子とニーナが、かつての自分とノーラのように思えたのだ。


 だから絶対に反故にできない大舞踏会での婚約破棄に賛成した。

 すべてがうまくいくはずだった。


 なのに、いきなりアキテーヌと言われて青天の霹靂だ。


 あのガーベラがアキテーヌの女王だった。


 ということは、誰も、本人すら知らなかったことではあるが、ヘンドリックは諸国の王になりえたのだ。


 自分が歩み寄ろうとしていなかったのを棚に上げて、ヘンドリックはなぜそれを夫である自分に打ち明けなかったのかと憤った。


 裏切ったのは自分のほうなのに、ヘンドリックはガーベラに裏切られた気持ちになった。

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