第4話 アーダルベルト伯爵の誤算 後編(三人称)
だが国王の視線はヘンドリックにも厳しい。
「アーダルベルト伯爵に問う。クリスティアナがニーナを虐げていたというのは本当か?」
今まで可もなく不可もない王と呼ばれていたとは思えない威圧に、ヘンドリックは縮み上がる。
それでもきちんと弁明しなくてはまずいと思い、カラカラに乾いた喉から声を振り絞った。
「はい。恐れながらその通りでございます。クリスティアナはニーナの美しさを妬み、茶会などへ招かれても一度も連れていかず無視をしておりました」
国王が「本当か」と重ねて問うのに、ヘンドリックは何度も首を縦に振る。
少し考えこんだ王の様子に、納得して頂いたのだと気を緩めたが、背後から呆れたような声がかかった。
「当たり前ではないですか。茶会に招かれたのはクリスティアナ様のみで、ニーナ嬢は招かれていなかったと聞きます」
現れたのは凡庸な国王の代わりに国政を取り仕切っていると言われている宰相のスコピオ侯爵だ。
国王よりもいくつか年上だが、声に力がある。
宰相の息子であるジャクソンは、父の声を聞いて気まずそうに視線を落とす。
宰相は息子であるジャクソンには一瞥もくれないまま、跪いているヘンドリックたちの横を通ると、玉座の国王の隣に控えた。
「先ほどのデイモンド王子の戯言を小耳に挟みましたので、実際にそのような事実があったのか聞いてまいりました。ですが、茶会の作法も知らないニーナ嬢を茶会に招いたというご令嬢は、一人もいらっしゃいませんでしたよ」
銀縁の眼鏡の奥から冷たい視線がニーナに注がれる。
部屋中の人々から注目されたニーナは、大きな青い瞳に涙を浮かべながら否定した。
「皆様、私が庶子であるからといって意地悪をしているのです。お姉様はお茶会に呼ぶのに、私には招待状をもらえません。それに社交界でも無視されていました」
そう訴える姿は、思わず信じたくなる可憐さであった。
しかし切れ者と評判の宰相は、息子と違ってニーナの涙に惑わされない。
「招かれもしないのに厚顔にも茶会に乱入するものを、誰がまともに相手をすると思いますか?」
宰相は息子が傾倒しているニーナのことをよく調べているようだった。
父であるヘンドリックすら知らなかったニーナの行状を、次から次へと暴露する。
「しかも婚約者がいる相手にも馴れ馴れしく接するとなれば、ご令嬢方が警戒して親しく付き合うはずがないでしょう。万が一友人と目されては、同じようにふしだらな娘だと思われてしまう」
「ふしだらなどと、そんな――」
思わず抗議したヘンドリックに、宰相は冷たい目を向ける。
「噂は噂に過ぎないとは思っていましたけれどね。先ほどのドラゴラムの皇太子殿下の言葉で確信しましたよ」
竜人は番を見つけて求婚する際に、番に他の異性の匂いがついていないかどうかを知るため、最も匂いに敏感になる。
番の匂いだけが過敏になるのなら良いのだが、弊害としてすべての匂いを嗅ぎ取ってしまう。
そしてクリスティアナを番と認識したばかりのシリウスは、あの場で最も匂いに敏感だった。
そのシリウスがニーナにはデイモンド王子の他に二人の男の匂いがすると言っていた。
つまり、ニーナは四人の男と関係があるということだ。
これをふしだらと言わずして、何と言うのか。
説明されたヘンドリックも、さすがにニーナを擁護できない。
それどころか溺愛していた娘にまで裏切られた気持ちでいた。
「ニーナ、それは本当か?」
デイモンド王子が信じられないという表情でニーナと、そして側近のガレンス・ボームスとジャクソン・スコピオの方へ向く。
さすがに誤魔化せないのかニーナは視線をさまよわせた。
そして助けを求めるようにガレンスを見る。
ガレンスは分かった、というように一つ頷くと、口を開いた。
「いや、待ってください。ニーナはふしだらな訳ではございません。王子であるデイモンド殿下の求婚を断り切れなかっただけなんです。本当はこの俺を愛してくれているのです」
「は? ガレンスは何を言っているんだ?」
胸に手を当てるガレンスは、愛する人を守るのだという気分に酔っているかのようだった。
デイモンド王子は将来の近衛に、と考えていたガレンスの裏切りに唖然とする。
「殿下、申し訳ありません。殿下のお気持ちは分かっておりますが、やはり俺はニーナを愛しているのです」
「ガレンス、お前――!」
立ち上がったデイモンドがガレンスにつかみかかろうとしたが、周りにいる衛兵に止められた。
宰相は額に手を当てながら、頭を振る。
「とにかくニーナ嬢の訴えが見当違いであることは分かりましたね? つまり殿下がクリスティアナ様に向けた暴言には、なんの信ぴょう性もなかったということです。そして盗まれたアキテーヌの星の件ですが」
宰相は一度言葉を切って王子たちを見回した。
気のせいか、ヘンドリックには部屋の温度が下がったように思った。
「私は盗んではおりません。お母様から頂いたのです」
ここで抗議をしないと自分がすべての悪者にされてしまうと焦ったのか、ニーナが震えるような声を上げて抗議する。
目元にうっすら涙を浮かべる様子は、デイモンドたちを手玉に取ったとは思えないほど、はかなげで美しい。
「何を言うの、ニーナ」
名指しされた母のノーラが顔色を変える。
子供がいるとは思えないほど美しいと賛美されていた顔は、醜悪なほどに歪んでいた。
「だってお母様が、私に似合う素晴らしい宝石をお姉様から譲ってもらったっておっしゃっていたではないですか」
ほろりと、まろやかな頬に真珠のような涙が零れ落ちる。
聖女のようなたたずまいに、一同が飲まれそうになった。
「馬鹿馬鹿しい。誰が相手であっても、実の娘以外のものにアキテーヌの星を譲るはずがないでしょう」
その雰囲気を、宰相は一刀両断にする。
「この際、どちらがアキテーヌの星を奪ったかなど問題ではない。二人とも、アーダルベルト伯爵の妻子なのだから」
そう言った宰相は鋭い目でヘンドリックを見た。
玉座に座る国王も忌々し気な顔を隠さない。
ヘンドリックは、ずん、とその場が重くなったような錯覚を覚えた。
「後妻が先妻の子を良く思わないのは世の常とはいえ、それを放置せず対処するのが当主の役目ではないですか?」
宰相の言葉はもっともだと思う。
だがそもそも恋人同士だった自分たちの間に割り込んできたのはガーベラのほうだ。
それにアキテーヌの女王だったならば、夫であるヘンドリックに打ち明けて、その恩恵をアーダルベルト伯爵家にもたらすべきだったはずだ。
それもせずに、男児も産まないまま死んだガーベラの娘など、大切に思えるはずなどないではないか。
生まれたクリスティナを見てがっかりしたヘンドリックとは逆に、やけに嬉しそうな態度に腹が立った。
跡継ぎも満足に産めなかったくせに、と。
それを不満に思ってどこが悪いと、ヘンドリックは心の中で悪態をつく。
そもそも王家だとて、せっかくアキテーヌの星を持つクリスティアナが婚約者だったのに、みすみす逃しているではないか。
自分一人が非難される謂れはない。
だからヘンドリックは「しかしながら」と反論した。
「しかしながらデイモンド殿下もクリスティアナをないがしろにしていたではないですか。我が家だけが悪いのではありません」
「それもお前の娘が原因だろうが」
自分の事を棚に上げて王家を批判するヘンドリックに、宰相にすべてを任せて黙っていた国王が嫌悪感をにじませる。
「いずれにしても、アキテーヌの女王がドラゴラム帝国の皇妃になると、我が国はもちろん、他種族はすべて竜人に頭を下げなくてはいけなくなる。なんと厄介なことだ」
ヘンドリックは反論したかったが、さすがに国王に向かってそれはできない。
あまりの理不尽さに、握りしめた拳に力をこめた。
「家族としてクリスティアナを引き止める理由になればと思ったが、これでは無理だな」
「陛下。そのことですが、クリスティアナ様はまだ番になるとは限りません」
宰相の言葉に、国王は目を瞬く。
「しかしシリウス皇太子は番だと言っておったぞ」
「それはシリウス皇太子から見ての話でございましょう。クリスティアナ様は仮にも王子妃として学んできたお方。であるならば容易く婚約者以外の男になびくとは思えませぬ」
「ふむ。そこの娘とは違うということか」
国王は軽蔑したような目でニーナを見る。
ニーナは青い顔をして唇をかみしめていた。
「ですから婚約者だったデイモンド殿下が、クリスティアナ様にもう一度婚約を申しこむというのはいかがでしょう。あの皇太子に対抗できる美貌の持ち主は、殿下しかいらっしゃいません」
ここにはいないもう一人の兄王子は、王妃ではなく国王に似ていて、がっしりとした体つきだった。
それに既に公爵家の娘と婚約をしているから、たとえアキテーヌの女王との婚姻のためだとしても、婚約をなかったことにはできない。
あの舞踏会でデイモンドが婚約破棄を宣言したのでなければ水面下で動けたかもしれないが、ほぼすべての貴族があれを見ている。
もし公爵令嬢との婚約をなくしてクリスティアナと結婚すれば、諸国の王にはなれても、国内で内乱が起きるだろう。
であれば、再びデイモンドと婚約させる以外にない。
「ふむ。長年婚約していたのだしな。どうだ、デイモンド。クリスティアナはお前が言えば再び婚約すると思うか?」
「お任せください!」
国王に問われたデイモンドは、うつむきがちだった顔を上げて勢いよく返事をした。
それに慌てたのはニーナたちアーダルベルトの一家だ。
クリスティアナが再びデイモンドの婚約者になったとしても、アキテーヌの星を奪ったノーラとニーナを許すことはないだろう。
王家もアーダルベルトを切り捨てることをためらわないに違いない。
どうしてこんなことに……。
両手をついてうなだれるヘンドリックに注目するものは誰一人としていない。
ヘンドリックが知らずに手にしていた栄光は、いつの間にかその手からこぼれ落ちてしまった。
二度と、取り戻すことはできない。
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