第8話 もしかして、やらかしましたか?
用意されていた寝巻はシルクの白いネグリジェだった。
なめらかな手触りに、いつまでも触っていたくなる。
貴族の令嬢としてまったく手をかけられていない髪や肌に、シャロンは言及しなかった。
きっと私の実家での扱いをもう聞いているのだろう。
その心遣いが嬉しい。
乾いた髪の毛を丁寧にブラッシングしてもらうと、さっきよりもかなり艶が出てきた。
「そういえば、暴走した時の魔法の言葉を教えて頂けますか?」
鏡越しに聞いてみると、シャロンは髪をすく手を止めずに教えてくれた。
「そんなことをすると嫌いになる、と言うのですよ」
竜人の場合は番同士なので本気ではないと思われるだろうが、それでもかなりの効果がある。
ましてや、相手が人族の場合は効果抜群らしい。
ただしあまり頻繁にやりすぎると疑い深くなって、下手すると監禁されてしまうので、ほどほどにしないといけないということだ。
つまりそれって、ヤンデレになるってことよね。
前世で読んだ物語であればヤンデレはおいしいかもしれないが、実際に病まれると大変だ。
なにせヤンデレの最終形態は「心中」だからだ。
せっかく虐げてきた実家と離れたというのに、人生を謳歌しないまま心中エンドはお断りしたい。
ヤンデレはNGでお願いします。
あまり嫌いって言わないようにしよう。
私はそう心に決めると、シャロンに「参考になったわ、ありがとう」とお礼を言った。
「私には番というものが良く分からないんだけど、そんなに良いものなの?」
思い切って気になったことは聞いてしまおうと、鏡越しにシャロンを見上げる。
竜人が番を見てどう思ったのか、教えて欲しい。
「竜人は番を認識すると執着してしまうので、ある程度大きくなるまで親族以外の男女は別に育てられます。従兄弟までの親戚であれば、ほぼ番と認識することはありません」
ということは、シリウスとシャロンが番になることはないってことだ。
少しだけホッとしてしまう。
「私がアダムと出会ったのは子供同士の社交が始める八歳の時です。殿下の側近を決める茶会で出会いました」
「一目で番だと分かったのですか?」
「ええ。お互いに目が離せなくなって、魂が震えるのを感じました。見つめられるだけで体中が喜びを伝えてくるのです。心の中の欠けていた部分が満たされたような気持になりましたわ」
シリウスも私と出会った時はそうだったのかしら。
「ですから、もしアダムが私を愛さなかったとしても、きっとアダム以外を番にすることはなかったでしょう」
「え?」
思わず聞き返すと、シャロンは少し眉尻を下げた。
「たまにいるのです。ただ一度の愛に殉じるしかない竜人が」
シャロンはそれ以上何も言わなかった。
どうやら私が思っていた以上に、番というのは厄介なものらしい。
まあ、元はハーレムを作った竜人を改心させるためのシステムだったんだろうから、そういうこともあるのだろう。
神様の行動は、ただの人には理解できないものだしね。
髪の毛をとかし終わったシャロンに手を引かれ、天蓋付きの大きなベッドに案内される。
天蓋には大きな鳥の羽が飾られていて、そこからベージュのカーテンが垂れている。
内側には白いレースのカーテンがかけられていて、この部屋が最高級の部屋であることが分かる。
片側がめくられていたシルクのかけ布団は羽毛で軽く、枕もふかふかだった。
「こちらのカーテンは閉めますか?」
レースのカーテンを閉めた後に聞かれて、私は半分だけ閉めてもらうようにお願いした。
だって全部閉めたら圧迫感がありそうだし、開けたら開けたで、広すぎて落ちつかなそうなんだもの。
「分かりました。ではお休みなさいませ」
「おやすみなさい」
カーテンを半分だけ閉めてシャロンが退出する。
はあ。
今日は色々なことがあったなぁ。
ありすぎたというか。
舞踏会でデイモンド王子から婚約破棄をされたのには驚いたけど、それがきっかけで前世を思い出したんだから、かえって良かったわね。
それに私がアキテーヌの女王であることを知らしめたのも良かった。
これで王家が王族の醜聞を避けるために、私一人を悪役にして処分するなんていうことができなくなったもの。
前世と違って王権の強いこの世界では、影響力のない貴族の娘一人、抹殺するなんて簡単だ。
でもさすがにアキテーヌの女王である私に、すぐに何かしてくるということはないだろう。
ドラゴラム帝国の皇太子の後ろ盾もできたしね。
アキテーヌの女王の称号なんて何の役にも立たないと思っていたけど、それなりに権威はあった。
それをどう使っていくかを考えなければいけないし、シリウスの求婚についても真剣に考えなくてはいけない。
問題は山積みだけれど、アーダルベルト伯爵家で飼い殺しにされる未来はついえたのだ。
それだけでも良かった。
色々考えて眠れなくなるかと思っていたけど、いつの間にか寝てしまっていて、気がついたらだいぶ日差しが明るかった。
私が与えられていた部屋は窓が小さく、いつも薄暗かった。
一応魔道具のランプは与えられていたけれど、明かりを灯すための魔石はもらえなかったから、いつも真っ暗な部屋の中で震えていた。
でも、いつの間にか暗闇でも部屋の中が見えるようになった。
満月の夜だけは、月明かりが部屋の中を明るく照らすのだけど、暗闇に慣れた私の目には昼のように思えたほどだ。
だから顔に朝日が当たった瞬間、あまりの眩しさに飛び起きてしまった。
一瞬、ここがどこか分からなくてパニックになる。
手をついた指先に触れるシーツの滑らかさ。
薄汚れた壁紙とは明らかに違う、白に花柄の壁紙。
ベッドの周りを囲む白いレースのカーテン。
「ここは……」
そうだ、思い出した。
私は昨日、デイモンド王子に婚約破棄をされて、それからシリウスに連れられてこの宿に泊まったのだ。
「クリスティアナ様、お目覚めですか?」
ノックの音がしてシャロンが部屋に入ってくる。
その手にはコップを持っていて、渡される。
起きたばかりの喉に、ほんのりレモンの味がする水が沁みとおった。
「朝食はどうなさいますか? もしよろしければ食堂にご案内します」
顔を洗って支度を整えると、シャロンがわざわざ聞いてきた。
なんとなく、食堂で食べると言って欲しいような雰囲気だ。
あ、もしかして……。
「シリウス様が待っていたりします?」
「ええ。まあ、そうですね」
言葉を濁すような態度を不思議に思いながらも、待っていてくれるなら、と食堂へ向かう。
食堂へ向かったとたん、シリウスにさらわれた。
抱き上げられたまま椅子に座る。
え、これってお膝抱っこでは……。
離してもらおうと横を向くと、熱を帯びた紫に瞳にからめとられる。
「おはよう、クリスティアナ」
「おはようございます、シリウス様。あの」
「あなたに会えない時間のなんと虚しいことか。それだけにこうして美しい顔を見ることができて心からの喜びを感じてしまう。さあ、まずは搾りたてのオレンジのジュースを」
シリウスが差し出したオレンジジュースを飲む。
あの、グラスは自分で持つので離して……もらえませんか。そうですか。
「次はこちらのスクランブルエッグを食べるといい」
止める間もなく、次から次へと食事が口に運ばれてくる。
これがまた、今まで食べたこともないくらいのおいしさで、ついついひな鳥のように口を開けてしまった。
だって、仕方ないじゃない。家では残り物のような食事ばかりで、今までこんなにおいしいものを食べていなかったんだもの。
自分に言い訳しながら、ふと、シリウスはもう食事を終えているのだろうかと疑問に思った。
「シリウス様はもうお食事は終わったんですか?」
「……いや、まだだ」
私はシリウスの持っているフォークを見る。
さすがに私が使っているフォークを使うのは嫌だろう。
私ばっかり食べてるんじゃ申し訳ないから。
そう思って手を伸ばしてフォークを取る。
とりあえずソーセージでいいかな。
肉汁がたっぷりのソーセージを差してシリウスの口元まで運ぶ。
なぜか目元を染めたシリウスの形の良い唇が、食べやすく切られたソーセージを食べる。
すると、ふるふると震えたシリウスが滂沱の涙を流し始めた。
何事!?
「クリスティアナが……食事を私に……」
そしてなぜか周りで給仕していた人たちが拍手をし始めた。
ちょっと待って。
もしかして私、なにかやらかしちゃいましたか!?
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