第22話 罠

 翌朝。

 陽光が窓辺に差し込む中、私はテーブルに置かれた手紙をじっと見つめていた。


 指先が無意識に手紙の端を折り曲げてしまう。

 封を切った跡の不格好な切れ目が、自分の心の乱れをそのまま映しているようだった。


『母の形見をお返ししたい』――その一文が目に入るたびに、胸の中にざわめきが広がる。

 あれは貸したのではない、無理矢理奪われたのだ。


 勝ち誇ったような笑みを浮かべたニーナが、まるで当然の権利であるかのようにお母様の形見を持ち去っていった。


 返して欲しいと訴えても、なぜ貸してやらないのかと父に頬を叩かれた。


 そして奪われたもののうち、価値のあるものはニーナの宝石箱の奥にしまわれ、お母様の温もりを残すショールなどはゴミとして処分されてしまった。


 あの時感じた屈辱と悔しさは、今でも心の奥で燻っている。


 手紙を読み返すたび、悔しさが胸を締め付ける。借りた、だなんて書かれているけれど、あれは決して貸したものではない。


 あの日、無理矢理奪われたのだ。


 それをまるで返却という善意のように装われることが、さらに私を苛立たせる。


 私は深く息を吐き、指先で手紙の文字をなぞった。気づけばその動きに苛立ちが混じっていた。


「……どうすればいいの……」


 思わず呟いた言葉が、静かな部屋に溶けて消えていく。


 形見を返してほしい。どうしても取り戻したい。

 でも、これが罠である可能性も捨てきれない。


 ニーナが純粋な善意だけでこんな手紙を送るとは、とても思えなかった。

 眉間に皺を寄せながら、視線をテーブルの上に彷徨わせる。まるでそこに答えがあるかのように。


 胸に沸き起こる感情は交錯し、思考は堂々巡りを始める。


 形見を取り戻したい気持ちは抑えられない。けれど、この誘いに応じるべきなのかどうか……。


 私はそっと手紙を折り直し、テーブルの上に置いた。


 そのまま椅子の背もたれに身を預け、窓の外を見やる。

 窓から見る空は雲一つない晴天なのに、私の胸中は嵐のように荒れていた。


「……きっと、罠、よね」


 問いかける声に、テーブルの向こうでシリウスが顔を上げた。その紫色の瞳には、私を労わる色が浮かんでいる。


「おそらく。でも、君がその形見を取り戻したいなら、私たちも一緒に行こう。君を一人にはしない。」


 落ち着いたシリウスの声に、少しだけ胸の中の嵐が静まった気がした。


「ありがとう、シリウス」


 私はシリウスの言葉に心が落ち着くのを感じながら、シャロンに目を向けた。

 届いた手紙は既にシャロンが検分してくれているから、わざわざ内容を伝えることはない。


「きっとこれは罠だわ。それでも――」

「まあまあ、そんな不安な顔をなさらないで。クリスティアナ様はただこう命令すればよろしいのよ。一緒に来て、って」


 シャロンは後ろを振り向いて、アダムに「ねえ、そうでしょう?」と同意を求める。

 無口なアダムはしっかりと頷いた。


「ありがとう、二人とも……シリウスも。一緒に来てもらえるなら、きっと大丈夫。」


その言葉とともに、私はニーナの誘いに応じ、四人で王宮へ向かう決心を固めた。






 

 王宮への道は、まるで王家の権威そのものを誇示するかのように整えられていた。

 馬車の車輪が石畳を軽やかに進む音が響き、やがて壮麗な王宮がその姿を現す。


 白い大理石で作られた王宮は、光沢を放ちながら太陽の光を反射して眩しく輝いていて、金色の装飾が施された塔は、王家の権威を象徴するかのように天にそびえ立っていた。


 庭園には季節の花々が咲き乱れ、色とりどりの花びらが風に揺れていた。


「豪華だな……」


 アダムの呟きが、静かな車内に響いた。その言葉にシャロンが窓の外を見やりながら、小さく笑う。


「あら、帝国の王宮はもっと壮麗よ」


 彼女の軽口に、私は思わず小さく息を吐いた。


 この王宮は私にとってかつての居場所で、誰にも顧みられなかった場所だ。

 その記憶が、胸の奥に沈んだまま決して消え去ることのない鈍い痛みを伴って蘇る。


 母が亡くなった後、私はいてもいなくても同じ、ただの影のような存在だった。

 周囲の人々は形式的な言葉を投げかけるだけで、心の底から私に手を差し伸べてくれる者など一人もいなかった。


 昨夜の舞踏会で、シリウスが私を見つけてくれるまでは。


 胸が締め付けられる感覚に、私は思わず手を軽く握り締める。


 もう私は一人じゃない。

 シリウスに……シャロンとアダムもいる。


 だから、前を向いて生きよう。

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