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第74話への応援コメント
ー神道とキリスト教が結びついたの物はあるのでしょうかー
結びついたものって称する宗教は無いでしょう。
というか今世界中で流行ってるキリスト教って各地の土着宗教を吸収した結果という気もするし(黒い聖母なんてまさにそうみたいだし)、今現在生き残ってる宗教が今さらキリスト教と結びついたなんて言わないでしょ。
ただ国家神道って、付喪神とかの思想からはかけ離れて、外国の政治家があやかる一神教に良く似てる気がしますけど
追
黒人云々は…
クレオパトラを黒人に変えてぶっ叩かれた会社もあったし、イエスキリストを黒人とするならユダヤ人に黒人種がいるのか?って話にもなる。(ユダヤ人=コーカソイド=白人種ってのが昔の慣習)
作者からの返信
コメありがとうございます。
キリストは黒人だったって説もあります。
だから若しかするとマリア様が黒人であった可能性は無きにしも非ず!
キリスト事態を白人種にしたこと自体が「白人至上主義だ」と言う方も居る様で、肖像画を元の黒人に戻しましょうと唱えるかったもいるらしいですけど・・・
宗教は根深いので戻す戻さない以前にどっちと解らないように仏像とと同じく金色にでもするとかしたらとか思っちゃいます。
それはそれで不敬?
追記です。
アフリカ系でなくアラブ系の黒人種ではないかと言う説あるようですね。
場所的に言えば中東なのでアジア人と言う説もありますね。
事実は闇の中ですけどね。
信仰対象が自分とルーツが同じというのは誇りでもあるから色々言われるんでしょうね。
また、聖母マリアが処女受胎したから言われるんでしょう。
聖母マリアがアブダクションされたと言う者も居ますしね・・・
他の宗教には見られない特徴で興味深く面白くもありますけどね。
だって、仏陀が白人種とか聞いたことも無いですしね~
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第73話への応援コメント
さすがに昭和後期は早すぎな気が……と思ったのですが、主人公の前世の世界線だとクマモンだから昭和後期からの可能性もあるんですね。群馬県のゆるキャラ「ぐんまちゃん」は二代目ですけど初代はもっと古い(80年代には既にテレビ番組があると少年ジャンプの投稿ページで読んだおぼえあり)んで。
ところで気になった表記があるのでお知らせします。
>オレオ見詰めているあいつ
これはカクヨム初期に燦然と一瞬の光芒を放って流星のように消えていった超大人気SF短編『オレオ』へのオマージュ! ……でないのでしたら「俺を」かなと。
※なお、もし『オレオ』をご存じないのでしたら、以下をご覧下さい(ダイマ)。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882731123/episodes/1177354054882731282
>多分は椎茸売れよ!! → 多分、
>黒い熊跨り! → 熊に
作者からの返信
コメありがとうございます。
誤字脱字報告感謝です!!
くまモンは2010年(平成22年)に誕生ですね。
特にクマモンは何時という感じで書いて無いですね~
昭和後期からじわじわとゆるキャラはブームしだして、平成28年位がピークらしいですね~
語源は2004年(平成16年)らしいですけど、1980年代に地方博覧会でマスコットキャラが作られてからじわじわとブームになったと調べた際に知りましたが、それが元ネタですね~
すみません「オレオ」は誤字です^^;
しかし、後学の為にご紹介のHPは読ませて頂きますね~
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第66話への応援コメント
トランペッター=羽の生えた骸骨(遠いゲームの記憶)
あと、ガブリエルといえば、主人公の神父っぽい人に黄金色のナックルダスターで殴られてるイメージ(題名は忘れた、洋画)
そしてその映画の最後あたりでミシェルだかマイケルだかなんだかいうアフリカ系アメリカ人の子供が出てきたな…
追
ざあーっと記憶の中の役者さんを追いかけて発見しました
キアヌ・リーヴスのコンスタンチンでした。
多分、ユダヤ教関連(キリスト教他含む)の人が観ると怒る映画です。
作者からの返信
コメありがとうございます。
ガブリエル、神父、洋画と言ったら「ミッション」、ロバート・デ・ニーロですかね?
ストーリーも南米の奥地にガブリエルと言う名の神父が布教行く話ですし。
観たけど昔過ぎて今一内容が・・・20年か30年位前の作品じゃないですかね?確か・・・
追記です。
あ~言われれば「コンスタンティン」・・・神父でしたっけ?キアヌは探偵だった気が知るけど・・・大分前の映画ですよね?
20年位?・・・観たけど微妙に覚えてない・・・
編集済
第56話への応援コメント
私は個人的に最強の「兵法家」は柳生宗矩だと思っています。
前に兵法家は軍師じゃなくて剣術家だと書かれていましたが、私はそうしたのが柳生宗矩で、その前はまだ軍師(軍略家)の要素を濃厚に含んでいたと思います。
宮本武蔵が禄高2000石に固執してたこととか、『五輪書』が剣術技術書じゃなくて軍略も含んでることとか。
そのことからすると「勝つために手段を選ばない」武蔵は、軍略家としては正しいんですよ。
で、そこで最強だったのが柳生宗矩じゃないかと。『孫子の兵法』でも、最上は「戦わずして勝つ」。
そして、柳生宗矩は「将軍家御指南役」、つまり、この上が無い最強のポジションです。
そこで戦いの無い時代に対応して「剣禅一如」「精神修養の剣」とかに衣替えし、「御留流」とか言って「戦わない」ことで至高の座を守ることに成功したと、そういう意味で、最強の「兵法家」かなと思うのです。
まあ、自分で衣替えした「剣術家」としては大したこと無さそうなのが、ご愛嬌なんですが(笑)。
作者からの返信
コメありがとうございます。
面白い考察です!!
確かにそう言える側面強いと思いますが宗矩は意外と強かったようですよ?
ただし、それより強い人間がゴロゴロいましたけど・・・
その一人が丸目蔵人佐ですね~
丸目蔵人佐との逸話はまさに宗矩の戦略勝ちでしょうしね。
追記です。
多分、かなり先になりますが武蔵、宗矩はうんちくで取り上げる予定だし登場します!!
第54話への応援コメント
右府は右大臣の方ではないでしょうか?
左大臣藤原頼長の渾名が悪左府、徳川家康が内大臣自体に内府呼びだったので。
右近衛大将は単に右大将呼びが多いかなと。右大将道綱の母とか。
作者からの返信
コメありがとうございます。
右府と言うのは右近衛大将でも間違いないです。
理由としては大臣・納言が兼務する官位だったのでそう呼ばれます。
それに、府を設けることが出来る立場は全ての者が「〇府」を使えるのです。
基本は三位以上の官位となります。
右大臣だけだと右丞相(うじょうしょう)、右相国(うしょうこく)と呼ばれることが多いです。
まぁ権力者が早々軍権を手放すとも考え辛いので・・・兼任はよくあること。
しかし、他にも右大臣を右僕射(うぼくや)とも呼ばれます。
右僕射は例の大坂冬の陣の原因となった方広寺鐘銘事件の文言ですね~
いちゃもんですが林羅山が「右僕射源朝臣」を「源朝臣(徳川家康)を射る」と言ったそうです・・・無理くり過ぎて(笑)ですが、戦争仕掛けようとする者は無茶苦茶な因縁から仕掛けますからね~
信長は右府が好みだったんでしょうね~
結構自分の好みで使い分けたようですから。
信長は権大納言・右近衛大将兼務で「上様」呼びに、右大臣・右近衛大将で「右府」呼びにしたようですね~
時代とかでも少し違うかもですが、調べた限りではそんな感じでした。
それと、時の権力者が好んだ呼び方を使うと固定される側面があるので・・・信長が「右府」を使っているのに同じ使える立場の人間が使うかと言うと・・・
正直言えば官位面倒!!本当に官位面倒臭い!!
歴史もので嫌になるのが多分官位!!
追記です。
再度調べてみると私の知識が中国の律令も混じっていたようです。
日本の場合は本文でも書きましたが右近衛大将は府を持てません。
何故ならば、天皇の近衛なので宮中に常駐することになり尚、兼務で三位以上の者が就くので遠征などしないので日本の場合は府を開くことが出来ないので日本の律令制では〇府を使えるのは太政・右・左・内大臣と征夷大将軍のみとなります。
太政大臣は日本特有の大臣の様で〇府とは該当が無く使わないようです。
という事は残り4職ですが征夷大将軍はそもそも唐名が幕府と言うようです。
簡単に言うと日本では右府は右大臣のみでした。
回りくどく言いましたが結城藍人さんのおっしゃる通りでした。
少し本文を修正しました。
第50話への応援コメント
三好長慶と大内義隆と長宗我部元親は跡取り息子を亡くしておかしくなったと思います。それまでは3人とも有能なのに。
戦国が終わってたから息子の盛親の方が家潰した扱いで元親の評価そんなに悪くないですけど、実際は晩年の元親の駄目さ加減で長宗我部は潰れたようなモンですし。
作者からの返信
コメありがとうございます。
多分同じような理由で武田信玄もかな~と思います。
普通に考えて跡取りを死に追いやってしまった自分の行動で少しおかしくなってしまい勝頼への継承がお座成りになったのかな~と思います。
勿論、自分があんな死に方すると思っていなかった部分もあると思いますが、用意周到な信玄らしからぬ感じですしね~
第60話への応援コメント
朝日将軍の称号
刑事ドラマで言うところの部長刑事みたいなもんでは?あれも、実際の役職は巡査部長だし。
クランドって、クロウドが訛っただけだと思ってました(^o^;)
作者からの返信
コメありがとうございます。
朝日将軍は本文で説明したとおりで朝廷はそういう前例に無いことはしないので平家物語の後付けかな~とは思います。
何方かと言えば渥美清さんが寅さん演じて普通の時でも寅さん呼びされたに近いかな~
実際には木曽義仲は征夷大将軍になってます。
その後すぐに頼朝に負けたので平家物語ではそこら辺も闇に葬られてずっと朝日将軍ですけどね~
蔵人の「くらんど」読みは仮名となり、武官職ではそう読みますが、本当の官職は「くろうど」となります。
実際に官職の「くろうどのすけ」の「すけ」は「介」という文字となります。
蔵人佐と言うのは本当の官職では無いようです。
蔵人自体が秘書官の様な職なので実働の官職の為、武士が貰う官職では無かったようです。
武士の秘書官的役職は右筆(ゆうひつ)と言いますから「くらんど」は本当に仮名だけで使った読みみたいです。
編集済
第56話への応援コメント
大和の、氏素性がはっきりしてる豪族柳生の坊っちゃんと、今一素性のしれない宮本武蔵が仲良く出来るわけがないという気もする(^o^;)
一刀流の伊藤一刀斎の後継者小野某さんも柳生と比べると小身の出もあって石高に恵まれてないことを考えれば、宮本武蔵も決して冷遇とまでは言えないような。
まあ、刀の刃渡りにまで制限がかかり、槍の街中での所持もままならない平和を目指した時代に、法の網をくぐるかの様な、短めの刀での二刀流の開祖ってのは好かれるはずがないとは思う。
作者からの返信
コメありがとうございます。
戦国の香残す大名からは好まれたみたいで武蔵はお客様扱いでしたからね~
柳生家は徳川が安定するほどに役割を終えて行きますけど、宗矩が亡くなるまでは可成り凄いことになってましたしね~
しかし、明治維新まで柳生藩は残ったし、華族となり子爵になって陸軍の軍人になったそうですからなんやかんやで勝ち組?でしょうね~
第44話への応援コメント
奥平信昌の信は長篠の戦いのあとで信長からもらった偏諱でしたよね。元は貞昌だったはず。
ところで、何で定国さんは「おくひら」を名乗ってるんでしょう?
作者からの返信
コメありがとうございます。
メインが鳥居強右衛門と大般若長光だったので奥平信昌の偏諱は端折りました^^;
奥山休賀斎は元々は奥平貞久の七男として生まれましたので苗字は奥平となります。
しかし、奥山郷と言うところで奥山明神と言う神様に祈願し続けある日神託を受けて奥義を会得したらしいですが、その際に奥山流を名乗り苗字も奥山に変更したようです。
多分、飛騨高山の修行で新陰流の教えを知り奥山郷に籠っている時に頭で整理され奥義を開眼したんじゃないかな~と思っております。
下地は飛騨高山で出来ていたのかな~と私は考察しております。
編集済
第42話への応援コメント
ささやかな誤字を発見したのでお知らせまで。
>この武田信繁をリスペクとしていて
孫次郎さんは家康公、秀忠公のお師匠様では?
隆慶一郎『捨て童子 松平忠輝』でも忠輝の師匠役やってたような。
弟四天王の残り3枠
豊臣秀長(弟と聞いてこの人を忘れるなかれ)
香曽我部親泰(この人も有能で忠実な弟)
残り1人が迷うのですが、既に登場した北条氏照かなあ。
島津義弘は兄の後を継いじゃった(そうじゃない説も最近あるらしいですが)ので、毛利両川は父と甥は助けたものの兄とは仲があんまり良くなかった説(そうでないと元就が三本の矢の説教をしない)があるので除外。
作者からの返信
コメありがとうございます。
誤字報告ありがとうございます。
早速修正させて頂きました。
『捨て童子 松平忠輝』懐かしいです。
私も昔読みましたが、面白い作品ですよね~
結城藍人さんの弟四天王、中々興味深いですね~
人により違いがあると思いますよ~
元就の3本の矢は創作らしいですね~
元就は死に際に1本なら折れる矢が束になれば折れにくいと言ったようですが、死に際?そんな余裕ないよね~ってことで三子教訓状と言う元就が3人の息子に書いた書状が元と言われています。
と言うより3本位だと折れます!!
1本ならこのように折れる!バキ!!2本も少し力を入れるとこの通り!バキ!!しかし、3本なら力を入れようと!バキ!!あ・・・
て展開しか目に浮かびません!!
兄弟仲は悪くなかったようですが、領土が一気に増えたことと、大内の内紛を見て仲間内での争いの愚を元就が感じ子供たちにその愚を犯さないようにと説くためとか、下剋上を禁止し長男の家督相続を確定し毛利家本家の権威を守る為とか言われますね~
毛利隆元・吉川元春・小早川隆景の3人の連名と花押まで押させたと言うからかなりの念の入れようですね~元就らしいと言えばらしいですが。
編集済
第54話への応援コメント
>簡単に言えば色々な呼び方があるんですがどれかを言えば良くて、間違いなければ問題無いんです。
蔵人が、またやらかす振りですね。
多分、きっと。
作者からの返信
コメありがとうございます。
ふふふふ~それは内緒です!!
一応は立場によって言い方を気を付けないといけないんですけどね~
官職名の別称で言えば基本的には失礼に当たらないのは間違いないですから・・・ただ、立場によってはほんの少しだけ失礼に当たりますね~・・・それにわざと侮蔑的な別称もありますが・・・
あ~文章確認したらうんちくの所でそれ書いてます!!
今から書き換えて文章変えるの面倒だからこのままに・・・て、これ言ったら伏線に使う案バレて~ら・・・まぁ使うかどうかは今後次第ですね~・・・もっといい案あればこっそりと小人さんが文章を書き替えます!!
無くても書き換えかな~・・・時間ある時この件は考えます!!
ご指摘感謝です!!
追記です。
忘れそうなので文章削っときます!!
決して考えるのが面倒になった・・・続きもお楽しみください!!
第30話への応援コメント
三河も一向一揆が勢力強いところですからね。
にしても渡辺守綱を一捻りですか。やっぱり武力80台は違う!(←烈風な頃)
作者からの返信
コメありがとうございます。
正月のNEWSで当初計画がぶっ飛びましたが、本当に急遽書いた割には中々良い感じかな?とか思います。
震災無ければ渡辺守綱が登場したのは京都行く道中だったかも?
基本的に構想段階では上泉と会うまでを考えていて、それ以降は10個ほど色々案があってどう盛り込むか考えていた程度なので未定でしたけどその1つが役立ちました!!
家康と会う時に主人公に絡んで来る役として渡辺守綱は最有力候補だったのでこうなりました。
渡辺守綱もこの頃は若造ですけどね~
主人公は将来的に西国最強と呼ばれる剣豪の肉体と現代の洗練されたタイ捨流を学んでいるのでナチュラルにチートなんです!!
しかし、あまり剣術使うシーンが書いてる本人としては少ないような気もしますが・・・これから増える?・・・
編集済
第19話への応援コメント
うち、真言宗なんで仏前で唱えるのが「南無大師遍照金剛」だったりします。
>「仏とは人救い上げて助け悟りに導くものぞ!その仏様が罰など与えるものか!!」
これを読んだとき、昔読んだことがある逸話で、『影武者徳川家康』を書いた(というか『花の慶次』の原作者)隆慶一郎が、『風の呪殺陣』(未完)を書くときの取材で「坊主が信長を呪い殺そうとする話」というのを取材していた偉いお坊さんに説明したら「仏が人を殺すか!」と大喝されたという話を思い出しました。
作者からの返信
コメありがとうございます。
あ~真言宗なら「仏とは人救い上げて助け悟りに導くものぞ!その仏様が罰など与えるものか!!」と言うのは理解できる?
私は(真言宗の)仏道修行する必要があり行ったことがあるのですが、あまりにもキツイので、「罰ゲームや~」とぼやきましたが、その時に「仏さまは罰は与えない、その人に必要だから与えているだけ」とある方に言われました。
神罰はあるけど仏罰は無いそうですよ!
罰に感じるのは導きに抗っているかららしいですが・・・
第10話への応援コメント
返信ありがとうございました。
また気になったのですが、110はローマ数字だとCXなんで、ここはアラビア数字ではないかと。
立花宗茂って丸目長恵の弟子だったんですね。初めて知りました。さすがにまだどちらも生まれてないにせよ弟子の嫁をNTRするわけにはいきませんよね(笑)。
作者からの返信
コメありがとうございます。
そうですよね~なんかテンション上がると忘れて思い付きのまま書いてしまって・・・後で気が付く?・・・いや!自分で気が付かない!!
考えてみたらそう言うのが勢いなんでしょうね~自分でも意外と気が付かずに後で冷静になって気が付くこともあるんですけど、殆ど気が付きませんのでご指摘有難いです。
何故間違えたのかも解らず、その時は勘違いしているようで、指摘されて「あ!」ってなるので本当に助かります!!
そうですね~立花宗茂以外も丸目蔵人佐の弟子は九州の有名武将に多いですよ~
例えば、漫画のドリフターズの島津豊久は多分タイ捨流の門人だと思われますね~
理由は示現流の祖、東郷重位は島津家の剣術指南役(タイ捨流)を御前試合で破り島津家の剣法師範になったと言われていますが、これ関ケ原以降の話!!
関ケ原少し前位には庄内の乱と言う反乱が起こり門人の多かった東郷が危険要注意人物として目を付けられてその後関ケ原以降にその御前試合で東郷は潔白を示す意味でも戦ったとかなんとかと昔聞きましたが、そこら辺は詳しく調べてないので何ともはやですが、示現流は関ケ原以降に勃興し、島津豊久は関ケ原で死亡ですから・・・
またおかしいところあればご指摘ください!!
第53話への応援コメント
面白みは欠片もありませんが、福岡一文字、延寿、同田貫、辺りが適切では無いでしょうか?
基本的に刀は生産地の近くで出回りますから著名な鍛冶ならこのあたりかと。
まあ、旅をして関東まで向かったのですから途次で名刀を贖っていてもおかしく無いですが…
作者からの返信
コメありがとうございます。
同田貫が肥後国菊池なので丸目蔵人佐の地元とも近いので第一候補ですね。
でも同田貫は延寿派の分派でこの頃は延寿派全盛期だったような・・・
延寿も熊本の菊池なので同じ熊本!!
福岡一文字は福岡とありますが実は備前(今の岡山県)の福岡なので少し遠いですかね~
一応将来的にはネタ装備の予定なのでそれまでは何がいいのか・・・備前長船兼光も良いかな~と思ってます。
雷切またの名を千鳥(戸次道雪の愛刀)は立花家資料館(福岡県柳川)で見たことあるし、戸次道雪好きな武将の1人なのでそれもありかな~とかも思ってます。
何にするかも考えるの楽しいですね~
第8話への応援コメント
試しに読んでみたら面白かったので、ここまで読み進めてしまいました。
ところで、ひとつ気になったのですが、教えているのはローマ数字(I、II、III、IV……)ではなく、計算しやすいアラビア数字(1、2、3、4……)ではないでしょうか? もっとも、ローマ数字も南蛮交易では役に立つかもしれませんが。
ともあれ、続きもじっくり読ませていただこうと思います。どんな展開になるのか楽しみです。
作者からの返信
コメありがとうございます。
中二心が疼き、全く知らない者にどうせ教えるならローマ数字でしょ!とか書いてるときは思っちゃったんでローマ数字としておりましたが、改めて冷静な今ご指摘されると利便性から考えてアラビアだよね~って私自身思っちゃったので、アラビア数字に変更しました^^;
中二病は業が深い!テンション上がると急に顔を出しますね~
ご指摘感謝です!!
またありましたら宜しくです。
あ~でもそうなると、先取り?アラビア数字って西洋で導入されたのは1600年代?確か印刷技術が上がってそれ位から完全に置き換わったとかなんとか昔何処かで見た気がします。
第52話への応援コメント
武蔵と戦い疲弊し断絶と記述されておりますが、かなり怪しい話しです。
断絶というよりも剣術を廃業したのは恐らく染屋を専業にしたためでしょう。
直綱が四代目憲法だと言われ吉岡家はこの頃は既に家伝の染色を行っていたようです。
室町幕府の兵法指南役ではありましたが、幕府自体に役料を支払う能力が無いため、道場経営と共に染色を行い生活費を賄っていたのではないでしょうか。
憲法染や憲法黒は吉岡一門が開発した染の技術。
京都の西洞院辺りに多かった染屋さんは吉岡姓が多く、暖簾分けなどで名乗ったものらしいです。
作者からの返信
コメありがとうございます。
確かに武蔵との戦いで剣術の方は可成り評判を落とした可能性はありますが、両方の言い分が食い違うのでどちらが正しいかは不明ですね~
しかし、調べると京都所司代の屋敷で武蔵と吉岡直綱が立合っている記録が残っているようです。
引き分けだったとかなんとか、しかし、この頃の武蔵に引き分けは吉岡側からすると負けと一緒ですね。
評判を落としたのは間違いないかな~と考察しております。
そして、大坂の陣で豊臣方に味方した様で、それが決め手で大阪城落城後は染物に専念したようですね。
この2つの出来事が大きかったんでしょうかね。
ちなみに武蔵は徳川方に味方しているのが因縁めいてて面白いですね。
少し端折り過ぎておりましたので修正入れました。
ご指摘ありがとうございます。
編集済
第52話への応援コメント
>今の所解っていませんが、高師直ではないかと言われています。
北畠顕家や楠木正行など南朝方の人気武将を討ち、
家格や身分が重視された時代で実力主義を体現、
それ故に、太平記随一の悪役と化した人物ですね。
美少年・北畠顕家が歴史的快進撃して呪術的な強さを得つつある中、烏合の衆だろうと看破して撃破とか、
楠木正行が高師直本陣に向けて(桶狭間時の信長の如き)決死の突撃を繰り出してきた際に、こんな事もあろうかと伏兵を用いて速攻潰す辺り、
時代の空気を読まない感じで、転生モノの当事者に向いているかも?
出来れば、調子こいて滅亡の憂き目に遭うところまで含めて、誰か書いて暮れないかなと(文才無いので他力本願で)思っていたりします。
後ついでに、肖像画でモデルが異なりそうなのだと、神護寺三像の『伝源頼朝像』と『伝平重盛像』ですが、
『伝源頼朝像』→足利直義
『伝平重盛像』→足利尊氏
の兄弟説がある様ですね。
「征夷将軍と自分の影像を安置する」といった趣旨の事が記された、足利直義が神護寺に向けて出した願文があること、
2人の肖像が並立する場合『右に上位者・左に下位者』を配置する当時の作法と、上記の両像の向きが合致していること、
などなど数多な理由から提唱されている様です。
地道な研究から定説が覆されるのは、端から見てて面白いですね。
受験生とかにとっては、『答え』がコロコロ覆されるのは、迷惑な事でしょうが。
作者からの返信
コメありがとうございます。
確かに!!高師直は中々に面白い人物ですよね~
やったことも中々のエキセントリック!!
高師直と言えば御所巻ですね~!!
最初に御所巻した人でしたっけ?
次の歴史もの書くなら「一休宗純」とか戦とかあんまり関係ないけどやったことが面白い人のこと書きたいんですよね~
私は書くにしても今年は無理かな~少し手広げ過ぎちゃいましたし^^;
受験生にとっては逆に美味しいです!!
そこは出る可能性がUPするので本当に美味しいです!!
と、私は自分が受験生の時は考えてましたよ~
追記です。
業が深いと書いたのはそれを勉強して卒業した人に対してですね~
例えば!子供や甥っ子とかが勉強していて「いいはこ作ろう鎌倉幕府」って言ってるの聞いて「違う違う!いいくに作ろう鎌倉幕府だよ!!」て胸張って言ったらどうなります?
実に業が深い科目です!!
第52話への応援コメント
武田信玄肖像画って寺だか神社だかから出てきた、線の細い爺さんの絵が現代でのFAでは?(ハゲギョロ目は畠山何とかさんで)
作者からの返信
コメありがとうございます。
高野山持明院が所蔵している「武田晴信 座像」と言うのがありますが、一般的な武田信玄より痩せているようですね~
同じく高野山成慶院にも武田信玄像(重要文化財)があるようです。
こちらはよく見る武田信玄の肖像画で、ふくよか。
高野山に二幅(2ふく)の違う容姿の信玄がいると言うのが面白いですね~
昔の肖像画はデフォルメされている感じなので今一容姿は解り辛いですけど、特徴がここまで違うと言うのが実にミステリーで面白いと思っています。
編集済
第50話への応援コメント
>運さえもう少しだけ良ければ天下人は三好だったのは間違いない。
この時代だと『天下』は近畿一円を指す単語の様だし、
1718~1720年に発刊されたシャトランの『歴史地図帳』などに見られる様に、
三好長慶→織田信長→豊臣秀吉→徳川家康の四人が天下人の系譜扱いで、
江戸初期位までは三好長慶の評価も高めだったかと。
江戸中期以降だと三好長慶の評価は低下した様ですが、
それは、『秩序の破壊者』の側面が嫌われたのかな?、と予想しています。
(無能な働き者)足利義輝とのタッグによる部分はあるけど、足利幕府体制の『家格と身分による秩序』を崩し、実力主義の台頭を招いた訳だから。
主人公の『三好長慶』評が同時代のそれより低そうなのは、
江戸中期以降に形成された『三好長慶』評に引っ張られたのだろうな、と解釈しています。
作者からの返信
コメありがとうございます。
御詳しいですね~
基本的に現代の一般常識を基軸として考えておりますので、主人公が低いと言うより現代における一般的な三好長慶の評価が低い事を言っておりますのでご意見の通りですね。
私の見解では三好長慶は信長以降の3人と違い自分がトップに立って政権運営をしていなかったことが現代で天下人と思われなかった要因かな~とか思ってます。
信長も将軍家を傀儡として使っていましたが、足利義昭を京都から追放してからは完全に新しい仕組みを構築していましたし、長慶には「日本の副王」と言う異名が付くのに信長には副王とか付かないことを考えてもそうじゃないかな~とか思ってます。
長慶は旧来の仕組みを上手く利用したけどそれ以上が無かったので王ではなく副王なんだろうな~と思ってます。
歴史談義大好きなのでまたコメントお待ちしております!!
第8話への応援コメント
コメント失礼します、きやとです。
歴史物は詳しくありませんが面白いですね。
主人公と金蔵さんとのやり取りは生虎様の別作品「社長を出せ!!(仮)」をなんとなく思い起こされ、笑ってしまいました。
そして今年に入ってからの作品なんですね。怒涛の執筆速度に驚かされます。
応援しています。
作者からの返信
コメありがとうございます。
きやとさん!別作もお読み頂きありがとうございます。
「社長を出せ!!(仮)」は作者の私が実際にコールセンター勤務した時に経験した事なんですがそれをコミカルにしただけですね~お恥ずかしい限りです。
作品はどれも思いついたこと書き殴っているだけなので楽しんで頂ければ幸いです。
第47話への応援コメント
望月千代女じゃなく望月千代某の娘がいたんじゃないかな(無責任なヲタ的発想)。
ナンノナニガシ女(ムスメ)って教科書にたまに出てくるし
作者からの返信
コメありがとうございます。
第四次川中島の戦死者の中に望月盛時と言う人物が居たそうです。
その人物の奥さんが千代と言う名前で望月千代女房の房の字が外れてと言う説があります。
@poolさんが言う説は多分これですかね~
また、他にも説がありますが、実は望月千代女を有名にしたのは1990年代に発売された本に忍者を特集した物があり、その中に紹介された上忍に千代女と言う者がいたとかなんとか・・・それと結びついたとか何とか・・・そしてそれが有名になり望月千代女が一般化したらしいです。
その前にもそういう説を唱えた方が居ましたが実際一般化したのは1990年代と意外と近年なんですよ~
武田の歩き巫女のドンとして実際に居たかどうかは確実な資料が未だ見つかっていないようです。
女忍者の女首領ってエロカッコいいから時代にマッチしたんでしょうね~
編集済
第45話への応援コメント
真田家が中核に座れるってことは、武田家ってのは皆にチャンスがあるアットホームな(ブラック企業な)集団なんだろうなw
どう考えても信濃の余所者なんだし
織田信長のとこと似たようなもんか
(本当に明智?な人とか、結局苗字は何?な藤吉郎のいる)
作者からの返信
コメありがとうございます。
信長や長慶はある種成り上がり者なので、実力主義な所が大きいですね~長慶も松永兄弟とか重用してますしね。
ただし、武田信玄の凄いな~と思えるのが名門の甲斐武田家なのに山本勘助とか真田家とか自分の陣営では元々無かった者も重用したところですね。
勘助なんて氏素性が怪しいこと怪しいことそれに身体障害を持つってこの時代だと相当なハンデですしね。
なのに武田五名臣の1人に挙げられるほど重用。
これは結構凄いことで、今川は山本勘助を下賤な者・使えない者として扱いましたし、朝倉家は明智光秀を下の者としてしか見ませんでしたからね。
でも、真田家はマジで優秀ですね~武田家滅んでも関係なく大名になりあり続けた家ですしね。
序に、信長・長慶と同じ成り上がり者の毛利(毛利十八将)とか徳川(徳川十六神将)見てみると氏素性の本当に怪しい物は居ないので信長と長慶もただ者では無いですね。
編集済
第42話への応援コメント
北関東の人が京に行くのに甲州に出るのは当然レベルだけど、そっから信濃、美濃か。道が悪そう(・・;)))
作者からの返信
コメありがとうございます。
史実では上泉信綱は甲斐の後は信濃を通って飛騨行ったみたいですよ~
ただし、色々な説があるのでどれが本当かもわけワカメですけどね。
でも1年ちょっと飛騨の高山に居たみたいで、そこで修行したようです。
奥平さんはそこで一緒に修行して上泉去る時に別れてある場所で修行して主人公では無いですが神託受けて奥義を極め、流派立ち上げたらしいです!!
まぁ戦国時代も古い歴史なので曖昧な部分が多いんですよね~そこが面白くもあるとは思いますけどね。
第42話への応援コメント
最新資料によると箕輪落城は永禄9年です。
柳生宗厳の印可状は永禄8年。
言継卿記での記載が永禄12年から。
上記から類推すると上泉武蔵守一行は、箕輪落城前に関西方面に移動はしているけれども京都には到着していない事となります。
今回書かれた内容ですと箕輪落城が永禄6年と言われていた過去の文献の記載のように思われます。
作者からの返信
コメありがとうございます。
お目が高い!
都合のいい様にしているのであまり史実と照らし合わせると齟齬が出ると思いますよ~
書く前に文献漁ってみたんですけど1566年(永禄9年)箕輪城が落城と言う説が正しい様に感じますが、それだと上泉信綱を色んな所に引っ張り回せないので落城を速めております。
仕えている所がピンチなのにフラフラと何処かを回ること難しいですからね~
それに、余り遅いと色々な戦国イベントに乗っかれないのである程度都合の良いように弄っているので史実の年表を追うと混乱すると思います。
あくまでも創作なので史実に合わせるより面白いと考えたものを採用してます。
それを踏まえてお読み頂ければと存じます。
ストーリーの現在の年代は1560年位なので、大体そろそろ桶狭間ですね~一応歴史的大事件は出来るだけ史実通りの年代に持ってこようとは思ってます。
追記です。
一応書いてはいませんが主人公が北条に行ったことで北条の上野攻略の本気度がUPして歴史が変わったて感じで私の中で勝手な言い訳をして箕輪城の落城を速めてます。
加賀ルートだと少し違う形で上泉と会うまでは書く予定だったのでお許しを!
編集済
第39話への応援コメント
関東在住の自称武蔵守に伊勢守殿と言ったら…大変かな(・・;)))
追
まさかあwと思いながらwikiを見たら…自称じゃなかった( ゚д゚)ポカーン
従四位下って、言っちゃ悪いが田舎の一豪族が着ける官位じゃ無いんじゃ(・・;)))
作者からの返信
コメありがとうございます。
今も昔も無礼千万な事ですね~今だと山田さんに山本さんて、桃太郎に金太郎って言うレベルですね~
一応は上泉信綱の官職名は現代で知られているのは伊勢守の方が有名ではありますが、昔、調べたのものでは山科言継の日記に1570年頃までは普通に武蔵守が使われていたようですね~
ただし、丸目蔵人佐に与えた印可(卒業証書)とかには「上泉伊勢守藤原信綱」と記載があったようです。
この印可の発行は1567年なので伊勢守名義は兵法者としての今風に言えばハンドルネームだったのかもしれませんね~
ただし、柳生家に残る印可目録には「伊勢守、後に武蔵守に改める」って記載もあるとか何とか・・・
ややこしいし整合性取るのめんど・・・大変なので武蔵守で統一で・・・後はどうなるかお楽しみください。
追記です
1529年に家督を継いだ時に「従五品と伊勢守」の官位を継いだと言う説と、1570年に剣術好き正親町天皇が信綱の剣技が見たいと言い御天覧を望まれ庭先でお見せしたそうです。
その際に「従四品と伊勢守」を賜ったと言う説があるようですが・・・官位の勅許は前例に倣いますのであり得ないと思いますので詐称だろうな~と思います。
(この時代は武官位の詐称は罪ではないです)
実際はこの時代は官位は詐称が多いのでただ名乗っていただけだと思います。
少しネタバレになりますが、作中では本当に官位を授けたいかな~と・・・42話位にはさわりが出て来るかな?
何故そうするかをお楽しみください。
第35話への応援コメント
昭和の大手ゼネコンの社長は知らないが、元就や霜台爺さんや義元とはまた違うベクトルの貫禄、ということは大親分(菱の組とか何とか会の両雄)には及ばない、或いは荒事が苦手な金持ちって感じ?
byゼネコン嫌い
作者からの返信
コメありがとうございます。
そうですね~氏康のエピソードの1つに戦いで出来た傷は多数あるのに背中には全く無かったそうです。
そんな傷の一つで顔にある向う傷は「氏康傷」と言われるほどで貫禄の様にも見えたそうです。
後北条五代では早雲を差し置いて一番の名君と言われるほどの人物が北条氏康です。
要は親分肌で強面なんだけど領民・家臣に愛される経営者?
昭和の創業し始めた大手ゼネコン社長の逸話とか見るとヤクザと遣り合うわ、政治家とバチバチだわ、パワフルなカリスマ振りが伺えます。
勿論、社員にも愛されていたのだと思うような逸話ありますのでそんな感じのイメージです。
今はどうだか・・・ゼネコンに限らず今の経営者の方々で凄いと思う人減った気がします。
回答になっているでしょうか?
編集済
第33話への応援コメント
上杉謙信と武田信玄は二次創作では触れちゃいけない存在だと社会の先生が言ってた。
追
史実という一次からの派生である二次は不可であっても、完全オリジナル(例えば女体化)なら良いとも逝ってました( >Д<;)
作者からの返信
コメありがとうございます。
ほ~中々面白いこと言われる先生ですね。
どうしてその2人だけが駄目なのか・・・是非意見聞きたいところですね~
追記です。
本当に面白い先生ですね。
女体化と言えば謙信にはそんな都市伝説的な話ありましたね~
後、信長も!信長は実は途中で暗殺されていて奥さんの帰蝶が信長を演じていたのでは?とか言う説もあるそうです。
確かに途中から性格が少し変わったような行動も取るのでその定説は面白いな~と思ったものでした。
肖像画が女性的なのはそれでとか言う説もありますが、織田家は市含めて美人揃いなのでDNAかもですけどね~
第2話への応援コメント
コメント失礼いたします。
新作、おめでとうございます。
輪作とかはなかなか設定が難しいですね。ノーフォーク式を知らべたとき「あ、こりゃ日本には向かない」とガックシしたことがあります。
やっぱりちゃんと調べないといけないんですね。
chatgpt4を使うとその点をきちんと調べてくれそうです(^^♪
作者からの返信
コメありがとうございます。
初コメも感謝です。
色々考えましたが最初にあまり色々農業書くと晩年如何するとか思って三毛作とかで止めました。
実は史実では丸目さんは晩年は開墾に勤しんだらしいので・・・
でも史実なぞるかどうかもまだ考えてません!!
少しだけ既に史実と違う事になってますが・・・
ノーフォーク農法は広大な土地無いと中々収入的に難しい農法ですよね~
この時代でクローバー作れとか言ったら一揆起きそうです。
そんな感じで戦国期の日本には合わないですね~九州ならギリこの時代でも方法知ってれば三毛作可能なので入れましたが・・・まぁある程度ご都合主義重要ですね~
第53話への応援コメント
ちなみに日本における今のような拍手は明治以降の習慣であり、江戸時代以前には存在していません、というウンチク返し。
作者からの返信
コメありがとうございます。
昔は拍手は無く掛け声だったみたいですね。
その名残が歌舞伎で「よ〇〇!」とか花火で「たまや~!」とかの掛け声らしいですね、けれど、それも江戸時代ですね。
平安~室町時代は身分の高い者が感情を表に出すのは下品な行為として取られた様で、実際は「見事」とぼそっと言ったりする感じなんでしょうかね。
一応作中では将軍様だけが拍手で他の者は掛け声だけにしております。
感情をどう表現しようかと思った時に現代で解り易いのってスタンディングオベーションだと思ったので作中では取り入れてみました。