そういえば江戸時代も女子供と言うくらい、女性は半人前扱いだったとか聞きましたが。別に悪いことはなかったようですね。
未亡人、あるいは女子は、家督相続が出来ないため入婿を迎えるしかないけれど、戸主(家長)にはなれる。
あ、これ。中村主水さんのお家ですね。お姑さんが一番偉いというやつ。
正妻ではない妾にも、金子や家の相続が出来た。たとえ旦那が急死しても、ある程度の保証があり、路頭に迷わない。
これ明治には改正されて、出来なくなっています。そりゃ、気の強いお妾さんなら、乗り込んで来ますわ。
三行半を製作する義務が夫にはあり、妻がそれを受理しなければ離婚は出来ず、夫が正式に離婚せずに再婚した場合は重婚となって、追放刑になる。
逆に問題のある夫には、妻が離縁状を書かせておいて、突きつけて別れることもあったとか。
他にも罪を犯したときの罪状も、男性よりも減免等があって、けっこう優遇されていたようです
作者からの返信
コメありがとうございます。
徳川幕府も女性の権限に制限を掛けた以上違う部分で優遇しないと不満が出ることは解り切っていたのでそう言う面での優遇ですね~
しかし、相続関連は可成り男性有利に変更された時代でそれが原因で初期に大名家が可成り数改易となっています。
作中の保科正之の事書いた行があるのですが、そこで少しそれに触れましたが、保科正之が意見して改定する前に凄く改易が多かったようです。
色々なロンダリングして何とか存続させて家もしばしばです。
明治は更に男女差が生まれた時代と言われています。
西洋が男性社会なのでそれを模倣したので仕方ないのですけどね~
歴史の事を話すの大好きなのでまた何かありましたらどんどん意見ください!!
適正→適性
俺に師事されるなら→師事するなら
ですよー
作者からの返信
コメありがとうございます。
誤字報告、訂正感謝です!!
早速修正します。
日本での『男尊女卑』については、儒教の影響も大きいかも。
儒教の祖・孔子は、周公旦を理想の聖人と崇め、周の秩序体系を受け継ぎ発展させたとされてます。
その周は、台頭する際に前王朝の殷を否定する訳ですが、
生贄の儀式を取りやめ社会改革を進めた紂王が悪逆非道な王として描かれ、
その紂王を討ち生贄の儀式を復活させた武王や周公旦は聖人君子扱いです。
勝てば官軍、の類いですかね?
その殷には女性将軍がいた様に、何気に女性の社会的地位が高めな様です。
儒教の女性蔑視は、周を神聖視して殷を否定する所から始まっているのでは?、などと空想しています。
目を日本に向けると、
平安時代のように、支配者層で『母系の血統』が重視された時代が結構後々まで続きますし、
父系社会の武士階層でも、夫が戦死した後を妻が切り盛りする関係なのか、女性の領主権・地主権・財産権などはこれまた結構後々まで維持されてた様です。
女城主は、珍しくはありますが、戦国時代でも幾人か存在する訳ですし。
江戸時代は、戦が無くなった後の父系社会ゆえ元々女性の出番が減り易い所に、
しかも社会維持のために儒教が台頭した事で、女性の社会的地位低下に拍車が掛かり、やがて男尊女卑が定着したのだろう、
などと解釈しいます。
作者からの返信
コメありがとうございます。
日本での支配者階級の武士の男尊女卑は武家諸法度が施行後からかな~と思っています。
この法令は儒教の価値観をふんだんに取り入れているのでそうなるよね~と私も思っております。
@tegetegemk2さんのご意見、全くその通りと思います!!
レディースデイ等は男女の賃金格差が大きかったり、女の子の隣に座り妙な事をするオッサンが居たりした故の施策ですね。
実はメンズデイも作られたのですけど、利用率が悪くて廃止された経緯があります。
まあ、作中の人物による「個人の感想」ですから、そう感じていたのならしょうがないですけれど。
作者からの返信
コメありがとうございます。
そこら辺は理解してますが、特にそこをクローズアップしたかった訳ではなく、戦国時代が如何に過酷だったのかの一例として出したのですが、捉え方人それぞれなので仕方ないですね。
次回作などではもっと解り易い例えなども考慮していきたいと思います。
ご意見ありがとうござます。