第75話

弟子の娘たちと弟たちに先ず新陰流の鍛錬を積ませることとした。

タイ捨流をベースとしてしまった俺が新陰流を学ぶ時に苦労したので史実の丸目蔵人が辿った様に新陰流から教えることとした。

勿論、ある程度できるようになって来たらタイ捨流の型等も教えていく予定だ。

頼蔵たかくらも剣術苦手と言ったが武士の嗜みとして剣術の稽古は行うようにと言い付けている。

特に文句を言う訳では無いので苦手は苦手なりに頑張っているようである。

早朝に剣術を行い、朝に色々な勉強をさせることとした。

人によって違うが弟たちには算数を先ず覚えさせている。

博多・堺で商家の者たちに教えた様に算数からたたき込む。

女の子たちには日本語の「あいうえお」から教えている。

まるで小学校の様であるがこれは重要な事だ。

弟たちの中で算数を面白がって覚えが良いのは頼蔵たかくらであった。

何となくそんな感じはしていたので驚きはない。

人間には適性と言う物があるが、運動が出来ない者が勉強の適性があることはよくあることだ、両方共に適性が無い者も居るが、その者も他を当れば適性が有ったりするのだから人間は全てが全て駄目と言う者は早々居ない。

運が悪く適性を中々見つけられない者も居るがこればかりは運としか言いようがない。

そう言った者も色々と模索していけばきっと自分の適性のある物事を見つけられると思うので頑張って欲しいものだ。

さて、他にもやはりと言うか莉里が物覚えが良いようだ。

天才莉里は実に良い拾い物・・・違うな、良い出会いをしたと俺は思っている。

姉の真里も悪くない、いや、可成り覚えが良い。

彼女は秀才タイプなのだろう。

莉里の様に瞬時に覚えていくようなことは無いが、確実に覚えていく。

美羽と愛は勉強が少し苦手の様だ、咲耶は特に苦手と言った感じも無く覚えているようだ。

昼からは昼食を取った後に皆で農作業を行うこととしている。

勿論、毎日同じという事ではなく、朝に農作業を持ってきたりして入れ替えをしている。

親父・紹さん・トーレスさんはお社&教会設立に向けての話し合いを行っているようだ。

あの山は一応親父の知行地内なので問題無く建てられるだろうけど、相良のお殿様に許可を取るそうな・・・

報・連・相は大事だよね~後から駄目とか言われても困るからお伺いは重要!!

え?俺は確認もせずにこの地を飛び出したと?・・・ははははは~俺はまだ家来じゃなかったからセーフだし、兵法修行の許可はちゃんと取ったぞ!!

(いえ、OUTです。史実の丸目蔵人も出奔扱いとされております。)


「長師匠」

「おう、春麗どうした?」

「覚えた」

「お~凄いな~」


春麗も中々の天才児の様な気がするが、小さい子と言うのは物覚えが良いのでまだ解らないが、何となくそんな気がする。

片言ではあるが日本語も莉里の次位に覚え始めた。

莉里と時間ある時に話して覚えているようである。

頭を撫でてやると目を細めて嬉しそうである、可愛い!


「長師匠!春麗だけ狡い!!」

「おう!莉里はもう覚えたんだろ?」

「もちの論よ!」

「それを言うならだろ?」


変な所で俺の影響を受けている気がする・・・

俺も少し言葉使いを日頃から気を付けないと莉里とか春麗が変な日本語を覚えてしまいそうである。

弟子たちにこんな感じで色々教えていたら家近くの者から評判が広がり弟子入りして来る者が現れた。

木野きの九朗右衛門くろううえもんと言う近郊の武士のせがれがやって来た。

木野さん家の事は親父も知っていた様で、どうやら俺が元服の際の親父の飲み会友の中にこの若者の親父も居たようである。


「丸目蔵人殿!是非とも某を弟子にしてください!!」

「おう!良いぞ~」

「え?・・・宜しいので?」

「おう!来るもの拒まず!去る者追わずじゃ!!」

「そうですか・・・では、本日より宜しくお願いします!!」


木野きの九朗右衛門くろううえもん・・・長いので九朗くろうと呼ぶこととした。

彼の親父も同じ様に九朗と呼ぶので特に抵抗もなくそう呼ぶこととなった。

彼は弟たちとは面識があった様で特に寿斎じゅさいと仲が良いようだ。


「それにしても蔵人師匠は女子おなごにも剣術をお教えされるのですね」

「変か?」

「そうですね」

「おう!俺は男女平等を掲げている!」

「男女平等ですか?」

「おう!学ぶことは平等だ」


そう、この時代は学問等においては少し男尊女卑の風潮がある。

しかし、学ぶことなどでそんな物を持ち出してもただの無駄なのだ。

才能ある者を伸ばす方が何と有意義な事だろうかと思う。

前世では変な男尊女卑論者が居て「社会の女性進出が!!」とかなんとか騒いでいたが、本当に男女平等にすれば「男の方が有利になるのだぞ?」と言ってやりたいと思った。

ある意味あの時代は女性の方が権利が強い時代だと思う。

女性の優遇は可成りの物で、簡単な物であれば映画のレディースデイはあるのにメンズデイは無い。

宿の企画等もレディースプランはあるのにメンズプランは無い。

勿論、全く無いという事では無いが、女性の方が色々な優遇制度はかなり多かった時代だと思う。

世界的にもレディーファーストみたいなことを叫ばれていて、それなのに男女平等を叫ぶ者がいる。

「え?優遇されているのは置いて起き都合の良い部分だけで男尊女卑に男女平等を叫ぶの?」と思ったものだ。

まぁ時代により違うのだから今の時代に合わせればいいし、それが気に入らないと言うのであれば、変えるだけの何かの行動をしたり力を付け自分で変えればいいのだが、文句をいう者ほど自分で動かないでピーチクイパーチク言うものだ。

おっと今はそんな話はどうでもいいな、俺の方針は学ぶ者に広く門を開く事としている。

俺が教えるので誰にも文句を言わせる気はない。

九朗もその内、がとか気にしなくなるだろう。

郷に入りては郷に従え、俺に師事するなら師事に従えである!!


〇~~~~~~〇


戦国時代の日本は男尊女卑というイメージ強いと思いますが、実は可成り男女平等の時代です。

「え?嘘だろー!!」と思う人が多いと思いますが本当です。

勿論、権力者レベルになると現代で見ると男尊女卑的に思えそうな部分はあります。

例えば、戦国大名の婚姻は女性(姫)を物の様に扱ったイメージを受けます。

しかし、実は跡取り以外の男子は人質としても差し出されたりがありましたので特に女性が物として扱われたと言う程差があった訳では無いです。

弱い者が虐げられたと言うだけです。

民間レベルだと本当に平等です。

平等と言うのは良いことばかりではありません。

その分だけ義務・負担等々のものも同じとなります。

「女のくせに」という言葉などは別に何時の時代も聞く文言で、「それパワハラ・セクハラですか?」と直ぐに騒ぐのが人間の歴史の中では実は可成りの異質な事だと言えます。

まぁケースバイケースではあるので「〇〇のくせに」と使う者は変な固定概念があるのでしょうし、見下して使うことが多い言葉なのでその心根が問題なのでしょうけど。

さて、平等と言っても男女は肉体的、生理的に違いがるので全く平等にしてしまうとそれはそれで不平等となります。

しかし、今の時代と言うのは都合の良い部分だけ男女平等を求める傾向があるようです。

筆者は別に男尊女卑の価値観で話している訳では無いです。

本当に客観的に見ると本当の平等と言うのは不平等を発生させると言いたいだけです。

だから戦国時代は男女平等だからこそ力の弱い女性が虐げられた時代でもあった訳です。

しかし、女だから虐げられたという事ではなく、力が弱い者が食われる弱肉強食の時代だった訳です。

勿論、そんな社会情勢でもルールと言う物はあります。

ルールを破れば民間レベルだと村八分むらはちぶにあいました。

ちなみに、村八分というのは江戸時代に出来た言葉で戦国時代は無かった言葉ですが、同じ様な事は起こっておりました。

村八分の語源は十ある権利の内八部の権利を停止するという意味で、葬儀・火事の消火・停止すると他の者が困ること以外の権利は全て無くなったようです。

村の規律違反・慣例無視等で村長とかに注意受けても改善されなければ発動したようです。

人それぞれに色々な意見があり筆者の考えは批判もありそうな「男尊女卑」の話題を態々書いているという事は勿論!伏線です!!

幾つか混ぜ混ぜして使う予定ですので心の隅にでも置いて起き、「この作者、ここで使って来たか!!」と思っていただけるよう伏線回収するつもりです!!

次回、知識チート!?開墾編!!

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