武蔵と戦い疲弊し断絶と記述されておりますが、かなり怪しい話しです。
断絶というよりも剣術を廃業したのは恐らく染屋を専業にしたためでしょう。
直綱が四代目憲法だと言われ吉岡家はこの頃は既に家伝の染色を行っていたようです。
室町幕府の兵法指南役ではありましたが、幕府自体に役料を支払う能力が無いため、道場経営と共に染色を行い生活費を賄っていたのではないでしょうか。
憲法染や憲法黒は吉岡一門が開発した染の技術。
京都の西洞院辺りに多かった染屋さんは吉岡姓が多く、暖簾分けなどで名乗ったものらしいです。
作者からの返信
コメありがとうございます。
確かに武蔵との戦いで剣術の方は可成り評判を落とした可能性はありますが、両方の言い分が食い違うのでどちらが正しいかは不明ですね~
しかし、調べると京都所司代の屋敷で武蔵と吉岡直綱が立合っている記録が残っているようです。
引き分けだったとかなんとか、しかし、この頃の武蔵に引き分けは吉岡側からすると負けと一緒ですね。
評判を落としたのは間違いないかな~と考察しております。
そして、大坂の陣で豊臣方に味方した様で、それが決め手で大阪城落城後は染物に専念したようですね。
この2つの出来事が大きかったんでしょうかね。
ちなみに武蔵は徳川方に味方しているのが因縁めいてて面白いですね。
少し端折り過ぎておりましたので修正入れました。
ご指摘ありがとうございます。
編集済
>今の所解っていませんが、高師直ではないかと言われています。
北畠顕家や楠木正行など南朝方の人気武将を討ち、
家格や身分が重視された時代で実力主義を体現、
それ故に、太平記随一の悪役と化した人物ですね。
美少年・北畠顕家が歴史的快進撃して呪術的な強さを得つつある中、烏合の衆だろうと看破して撃破とか、
楠木正行が高師直本陣に向けて(桶狭間時の信長の如き)決死の突撃を繰り出してきた際に、こんな事もあろうかと伏兵を用いて速攻潰す辺り、
時代の空気を読まない感じで、転生モノの当事者に向いているかも?
出来れば、調子こいて滅亡の憂き目に遭うところまで含めて、誰か書いて暮れないかなと(文才無いので他力本願で)思っていたりします。
後ついでに、肖像画でモデルが異なりそうなのだと、神護寺三像の『伝源頼朝像』と『伝平重盛像』ですが、
『伝源頼朝像』→足利直義
『伝平重盛像』→足利尊氏
の兄弟説がある様ですね。
「征夷将軍と自分の影像を安置する」といった趣旨の事が記された、足利直義が神護寺に向けて出した願文があること、
2人の肖像が並立する場合『右に上位者・左に下位者』を配置する当時の作法と、上記の両像の向きが合致していること、
などなど数多な理由から提唱されている様です。
地道な研究から定説が覆されるのは、端から見てて面白いですね。
受験生とかにとっては、『答え』がコロコロ覆されるのは、迷惑な事でしょうが。
作者からの返信
コメありがとうございます。
確かに!!高師直は中々に面白い人物ですよね~
やったことも中々のエキセントリック!!
高師直と言えば御所巻ですね~!!
最初に御所巻した人でしたっけ?
次の歴史もの書くなら「一休宗純」とか戦とかあんまり関係ないけどやったことが面白い人のこと書きたいんですよね~
私は書くにしても今年は無理かな~少し手広げ過ぎちゃいましたし^^;
受験生にとっては逆に美味しいです!!
そこは出る可能性がUPするので本当に美味しいです!!
と、私は自分が受験生の時は考えてましたよ~
追記です。
業が深いと書いたのはそれを勉強して卒業した人に対してですね~
例えば!子供や甥っ子とかが勉強していて「いいはこ作ろう鎌倉幕府」って言ってるの聞いて「違う違う!いいくに作ろう鎌倉幕府だよ!!」て胸張って言ったらどうなります?
実に業が深い科目です!!
新撰組も消えてるみたいですね。
作者からの返信
コメありがとうございます。
そうなんです!!
更に歴史の教育は可成り様変わりするようで、「歴史総合」と言う教科が登場するようですよ~
何でも、「日本史」「世界史」と別々の科目で、融合した科目とか・・・
「日本史」と「世界史」を横断した学習らしいです・・・
ゆとり教育で失敗したのにまた何やらヤバ気な匂いのする教科ですね~