第52話

お陰様で「歴史・時代・伝奇の週間ランキング(2024/2/27現在)」にて現在8位となっております。

お読み頂いております皆様!本当にありがとうございます!!


◇~~~~~~◇


山科様より面会の依頼があった。

上泉信綱、ちまたでは師匠(塚原卜伝)と対を成す程の者と聞き及んでいる。

師匠に先般お会いした際に、自分より今は強い者とはっきりと言われたのが剣豪上泉信綱だ。

会ってみたいと思っていたので丁度良いが、弟子に1人気にそぐわぬ者がおる。

名を丸目長恵と言う者らしい。

何が気に食わぬかと言えば憎き三好の者と仲良くし、顕如上人と対立しておると言う。

三好とは協力せねば幕府も立ちいかぬとは歯痒き事よ。

そうそう、件の者は巷では「今九朗判官」だの「天狗様の弟子」など言われており、恐らくは天狗になっているのであろう。

流石は天狗様の弟子よ、どんなに鼻が長き人物か見るのも一興。

その者を弟子に取っている上泉信綱も少し気に食わぬが、剣術では今、右に出る者は無いと言う腕前を見てみたいとは思うが・・・さて・・・

将軍のこのわれを飛び越して任官を願ったことも気に食わぬ。

朝廷も何故にこの武士の棟梁たる我に先ずは話を通さんのかと憤りを感じる。


「大樹、御気が添わぬのであれば某が相手の力量を図る意味でも立合いましょうか?」

「その方が?」

「はい、非力ではございますが当代随一と謳われる上泉殿と立合ってみとう御座いますれば」

「非力?その方はこの我の兵法指南ではないか、当代随一と言われようと相手にとって申し分なかろう?」

「は!この直光なおみつ吉岡よしおかの名を穢さぬよう努める所存です、また、大樹の兵法指南としてその力お見せしたく存じます」

「相分かった!上泉には頼んでみようぞ」


(吉岡直光は吉岡流の当主です。吉岡と言えば憲法けんぽうが有名ですが、この憲法と言うのは代々吉岡流当主が継いだ名だとも言われております。流派的には吉岡清十郎が宮本武蔵と戦いましたので知っている方も多いかもしれませんね~武蔵との戦いで名を落とし疲弊したかも?吉岡は大坂の陣で豊臣方に味方して大阪城に籠城したようです。落城を機に元々稼業の1つで行っていた染物に完全にシフトチェンジして剣術の方は廃業して吉岡流は断絶して現代は残っておりません。ある読者様よりご指摘有り少し文章を変更しましたが、歴史って研究が進むと変わるので、もしかすると剣術をどうして廃業したか等々の本当の歴史が何時か解るかもしれませんね~ちなみに現在、安土城の調査しているらしいです。関係ない話ですが、新事実が出て来るかも、ワクワクです!!)


★~~~~~~★


山科様は本当に仕事早いよね~もう将軍様との面会を取り付けたよ!!

でも、剣術の腕が見たいとのご要望で、吉岡直光と師匠が立合うことになったよ。

それに何故か弟子も連れて来るようにとのご要望・・・嫌な予感しかしないよ・・・

そう言えば、昔、足利義藤と言う知らない将軍様が将軍になったと思っていたけど改名して今は義輝と言うらしい・・・お前ら・・・俺を馬鹿にしてるだろ?ああ、いいよいいよ!俺は無知のおバカさんだよ~はん!慰めの言葉はいらぬわ!!(一話参照)

吉岡と言えば多分だけど、あの有名な宮本さんに噛まれたあの吉岡さんだよね?

強いんだろうけど・・・噛ませ感が・・・いや、いやいや、そんなことは無いよね?

まぁ師匠が勝つのは確定だと思うよ~師匠は言っても最強の剣豪だからね~


「上泉信綱とはその方か?」

「は!お初にお目に掛かります」


(史実では会っているかもしれませんが、この物語ではお初という事で)


師匠が深々と頭を下げるのに合わせて俺たちも頭を下げる。

まぁ基本は既に頭下げたような状態で更に頭を下げるので将軍様の顔は見えないぞ。

偉い人に挨拶するのはこれがスタンダード!

相手の方から「おもてを上げよ」とか言われるまでは平伏へいふくしておくのが基本よ基本!!


「この度は官位を授かるとか?」

「は!山科様より内示ありとお聞きしております」

「うむ、我の方にもそのようにおかみよりそう賜っておる」


う~ん、お偉いさんとの話大変だね~後ろで頭下げているだけでも疲れるよ。


「任官の件は特例ではあるが我も認めることとしよう」

「有難き幸せ!!」

「されど、腕を見ぬ訳にも行かぬでな」

「は!某の腕を是非ご照覧くだされ」


「では某、将軍家兵法指南、吉岡直光と申す」


腕を見せろと言う将軍様にOKした師匠。

直ぐにお相手であろう吉岡さん登場!!

師匠も目礼でご挨拶~


「当代随一の兵法者の上泉殿に一手ご教示頂きたい」


うほ~いいね、いいね~

剣術っぽいよね~俺が戦う訳じゃないけど燃えるわ~

挨拶の場がそのまま剣術の腕比べの場に早変わり!!

さて、上泉VS吉岡 これって昭和~令和なら金取れる組み合わせだよね~

猪木VSジャイアント馬場戦みたいなもんよ~・・・古いだと!!

それじゃあ!アンディー・・・それも古いだと!!

おいおい、それより古い今は戦国時代だぜ?何言ってるの?

それならば、井上VS井岡でどうじゃ!!

階級が違う?どっちがどっちだって?・・・う、うるさ~~~~い!!

そんなの自分で考えろや!!簡単に、それ位のスーパーマッチってことだよ!!


次回 燃えよ剣!!井上VS井岡・・・違った、上泉VS吉岡!刮目して見よ!!


〇~~~~~~〇


この立合いは実際に行われたようです。

まぁ結果はお察しでしょうけど。


この時に同時かは知りませんが、上泉信綱が兵法を足利義輝に見せる兵法上覧が行われたそうです。

その際の打ち太刀を担当したのが我らが主人公の丸目蔵人佐です。

上泉信綱と共に足利義輝より感状が送られたそうです。

時期的にも多分同じ位だと思いますが、色々不明な点があると言う、歴史はこういうところがまた面白いですね~

足利義輝は1565年6月17日に三好方に攻められて討ち死にします。

本当かどうかは定かではありませんが、畳の上に刀を何本も刺して襲い掛かって来る敵兵を斬っては刀が斬れ難くなれば畳に刺した別の刀を抜きまた斬るを繰り返し打ち取られるまでに数十人を斬ったそうです。

まさに剣豪将軍、戦〇無双ゲームみたいなことしてたんですね~

これを永禄の変と言います。

さて、今回の目玉うんちくはここから!!

皆様方はの違いを知っていますか?

両方とも反乱を指して言います。

要は成功したか失敗したかです。

成功が変で、失敗が乱となります。

本能寺の変は反乱成功、応仁の乱は反乱失敗という事です。

ただし、変と乱と言うのは時の権力者に対してのみ使われますのでそれ以外の反乱では使いません。

作者の学生時代は応仁の乱と言っておりましたが、今は応仁・文明の乱と言うそうです。

時代と共に教科書の内容すら変わる歴史って科目は中々業が深い科目ですね~

1192《いいくに》作ろう鎌倉幕府って覚えたのが今や1185《いいはこ》作ろう鎌倉幕府ですよ!!

高校の日本史の教科書載ってた「足利尊氏 肖像画」って言われていた物が今は「騎馬武者像」ですよ!!

この「騎馬武者」って誰よ?って思うでしょ?今の所解っていませんが、こうの師直もろなおではないかと言われています。

この人物は足利尊氏に仕えた御家人で、足利家の執事的立場の人です。

若しくは、その息子のこうの師詮もろあきではないかと言われています。

「武田信玄 肖像画」も本人と似てないようです。

西郷さんの銅像も似てないらしいですが・・・あるあるですね~

後、似てないで有名だったマディラ空港のC・ロナウドの銅像が製作者のサントスさんが1年越しでリベンジ作成したそうです。

前の銅像は似てなさ過ぎてあれはあれで味があったのに・・・今度は似てるので・・・面白みに欠けます。

空港名がマディラ・クリスティアーノ・ロナウド空港に変更されたことに合わせてらしいですが、空港名長げーよ!!

おっと脱線脱線・・・

モノ本の信玄はもっと太っていたそうな・・・病欠気味で動かないから太っていたようですね~

逆に今川義元は馬に乗れぬほど太っていたと言う説もありますが、実際は馬に乗る必要ない位の家格で、元僧侶なので実は粗食で痩せていた、それを隠す為に見える場所では白塗りをしていたという説があります。

今風に言えばメイクして恰幅よく見える様に白くファンデーションを当てていたってところですかね~まぁ母親が公家なので、当時の京の流行的な部分も取り入れていたのかもしれません。

話逸れましたが、「武田信玄 肖像画」も教科書内で将来どうなることやれ・・・

それに坂本龍馬が教科書から名前が消えたと聞きましたが・・・

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