3-3 ラブレターは突然に。

「お前ら、気をつけて帰れよ~!」


 放課後のこと。ホームルームを終えた生徒たちは早急に下駄箱へと移動を開始していた。


 雨は授業中よりも強くなり、夜には豪雨になるという予報が出たのか、部活は臨時で休みとなった。


「いや~、今日の部活は全部ナシか~。おo


「仕方ないよこんな雨だし。それに、夜からは今年最大の大雨になるらしいよ?」


 翔は言って、外の様子を伺う。


 相変わらず空には嫌な暗雲が立ち込め、大きな雨粒を叩き付ける音が、下駄箱前だとよく聞こえてくる。


「うっひゃ~、授業中もやべーとは思ってたが、こんなにまぁ。翔ちゃん、コイツは雷も落ちちまうんじゃあねえか~?」


「やめてよ! 雷は……ちょっと、ニガテだから」


「なんて、冗談だって。どうせ落ちるにしたって夜からだろうしさ」


 拓眞はケラケラと笑いながら、翔の背中を叩く。


 それが拓眞なりの励まし方なのだが、翔には悪天候を喜ぶ子供のようにしか見えなかった。


 いや実際、拓眞はこの記録最大の大雨という状況を最も楽しんでいた。


 それを遡れば中学生の頃。どことなく「真面目に勉学に励みなさい」と周りから言われていた時期、拓眞はその年のゲリラ豪雨の中、傘も差さずに全力疾走したことがある。


 当然その後、拓眞は両親からこっ酷く叱られた。がしかし次の日、風邪を引くこともなく登校してきた。


『え、だって楽しくならない? 雨だよ、めっちゃザーザー音してんだよ? 楽しくない?』


 それが当時、拓眞が豪雨の中を特攻していった理由。


理解し難い理由だが、しかし拓眞にとっては純粋に「楽しくなったから」。それ以上でも、以下でもない。そしてその感覚は高校二年生になっても尚、変わっていない。


 閑話休題。


「歌星君、流石にもう高校生なんだから、この雨の中特攻しようなんてバカな真似しないでよ?」


「ママかよ翔ちゃん~! だって楽しくならない? 雨だよ、めっちゃザーザー音してんだよ?」


「なりません。風邪でも引いちゃったらどうするのさ」


「残念っ! 俺ぁ、バカだから!」


「それはドヤ顔で言うことじゃないでしょ……」


 相変わらず元気な拓眞に呆れつつ、翔は自分の靴箱を開ける。


 ギィィ、と錆び付いた蝶番の音が響き、これといって飾り気のない真っ白なスニーカー(高校入学と同時に買ったため、ラバーが少し黒ずんでいる)が顔を現す。


 高校一年生、そして二年半ば――今日まで続けてきた何気ないルーティン。しかしその“当たり前”は、この日大きく変化した。


「あれ……?」


「あん? どったの、翔ちゃん?」


 翔の動きに違和感を覚えた拓眞は、横からそっと翔の靴箱を覗く。


 よく見ると、翔のスニーカーの上に、一通の手紙が載っていた。


「これ、何だろ」


「何って……お前これ、知らねえのかよ!」


 未だピンと来ていない翔と対照的に、拓眞はすぐに勘付き、口を大きく開けて大袈裟に驚いた表情を見せる。


 翔が手に取った手紙、その取り出し口には、とても愛くるしいハートのシールが貼られていた。


 ハートのシールには、ダイヤモンドのようにカクカクとした装飾が施されており、表面には丁寧な文字で「如月くんへ」と書かれていた。


「これ、ボク宛……?」


「お、おお、おま、お前ェ! これ、ラブレターじゃあねーかッ!!」


「らぶ、れたー……? 僕に……?」


 翔の時が一瞬止まる。


 こんな生真面目で嫌われている自分にラブレターが? 誰か、同性の如月さんと間違えたんじゃあないか?


 疑り深く考察をするが、しかしラブレターが入っていたのは事実。先輩にも後輩にも、翔と同じ「如月」さんはいない。


 石護高校の如月と言えば、二年の如月翔ただ一人。


 どう転んだとしても、間違えて入れられたとは考えにくい。いや、差出人は確実に、翔へ手紙を送っている。


「え、えええええええええっ⁉」


 衝撃的な事実を理解した翔は、思わず叫んでしまった。

 

「ど、どどどどど、どうしよう歌星君! これ、行った方がいい?」


「いやいや翔ちゃん、こいつぁ乙女の純情な感情が100%込められてんだぜぇ? 3分の1とか言わないで、ちゃんと最後まで読んで行くのが筋ってもんだろぉ?」


「そんなこと言ってないし、何の話をしてるの?」


「とにかくラブレターよこして用ナシなんて事はない! 翔ちゃん、行きなさい!」


 翔の両肩を掴み、拓眞は叫ぶように言った。


 口調こそいつものようにおちゃらけてはいるが、しかし拓眞の目は真っ直ぐと翔の目を見つめている。


 確かに彼の言うとおり、ラブレター、もとい手紙は用のない相手に送るものではない。


 そして翔以外に「如月」さんがいない以上、送り違いもない。


「で、でもボクなんかが行っても……」


「そう自分を下げなすって~」


 拓眞は翔の旨に拳を当て、キラキラとしたエフェクトを纏わせながら言った。


「翔ちゃんにだって、青い春を楽しむ権利はあるんだぜ?」


 その声はいつになく低く、まるでハリウッド映画の吹き替えのようだった。


「歌星君……わかった、行ってみる」


 一瞬の沈黙の後、翔は深く肯いて決断した。そして拓眞に見られないよう、その内容を確認した。


 ***


 一方その頃。時刻は4時丁度を回った頃。


 普段この時間は、だだっ広い体育館が狭く見えてしまうほど部活動に勤しむ部員達が集まり、それぞれが大会優勝という目標を胸に練習に打ち込んでいる時間。


 天道綾音はそっと体育館入り口の大扉を開く。


 一生懸命に練習に打ち込む部員達の叫び声がこだましている体育館は、誰の声もない。その代わりかのように、大量の雨粒達が天井を叩いて拍手にも似た雑音を奏でる。


 それもその筈。今週はテスト一週間前。この週にある部活は全て休み。


 部活動といえど、それ以前に高校生にとって大事なものは勉強である。


 たとえ将来プロ級になるであろう実力を持った部員でも、点数によってはエースの座席に座ることを許されない。


「思ったより静かだなぁ。やけに気味も悪いし」


 誰一人いない体育館の中を、綾音は恐る恐る進んでいく。その度に上靴の足音が体育館中にこだまする。


 更に今日は身体に纏わり付くような不快感を覚える程、湿度が高い。


 タイミングが悪かったとはいえ、綾音は今にでも帰りたい気分でいっぱいだった。


「こんな日に限ってこんなものよこしやがって……」


 悪態を吐きつつスカートのポケットから取り出したのは、一度真っ二つに引き裂かれたラブレターだった。


 今では親友の妃由がセロテープで繋ぎ治したため、何とか読むことができる。


『天堂綾音さん

 

 どうしてもお話したいことがあります。


 どうか体育館層庫に来てください。侍っています』


 差出人不明の手紙。更に宛名を間違えているという愚行中の愚行。


 そもそも『難攻不落のラプンツェル』の異名を持つ綾音に、ラブレターなんてものは眼中にもなかった。


 綾音はもう一度手紙を読み直し、深くため息を吐く。


「直接口頭で呼ぶならまだしも、こんなラブレターをよこして。全く……」


 本当なら行く気など更々なかった。それどころか、差出人を一発殴ってやろうかとさえ思った。


 だがそんな気持ちを押し殺し、綾音は妃由の言葉を思い返す。


『とりあえず行ってみたら? もしかしたら運命の人かもしれないし、それにラブレター貰ってから告白されるの初めてでしょう?』


 妃由の言った通り、確かに今までラブレターは真っ二つに破り捨てて約束の場所に行ったことすらない。


 だが妃由がどうしてもと言うので、仕方なく体育館倉庫にやって来たのだ。


 体育館倉庫は、ステージ右手側の端に設置されており、最近扉が老朽化してきたので新しく取り替えたばかり。


 オマケに古典的な留め具だけの鍵も、シリンダー型のものへと変更されている。


 新しくなった扉に指をかけ、綾音はそっと両外側に開く。


(ま、どうせOKなんてするワケないんだけ……)


「ど……」


 ゴロゴロとローラーの転がる音が響き、少しの力だけで倉庫の扉が全開になる。


 果たしてそこにいたのは……


「あれ、天道さん? どうしてここに?」


「げっ」


 小柄でメガネで影の薄い地味キャラ。特筆する所なんてないような綾音の敵。


「如月、アンタこそどうして!」


 如月翔だった。


 一体なぜ交わる筈も、ラブレターを交換する筈もない二人がここにいるのか。お互い考えて、一つの嫌な予感がした。


 綾音は後ろ手で倉庫の扉を閉め、翔に近付く。


「まさか……」


「もしかして……」


「このラブレター入れたの天道さん?」

「このラブレターよこしたの如月⁉」


 二人が叫んだのは、奇しくも同時だった。そして考えていたことも同じだった。


 それが癪に障ったのか、はたまた湿気と日々の恨みが限界に達したのか、綾音の中で戦いのゴングが鳴り響いた。


「まったくこんなふざけたラブレターをよこして、どうせ用件なんて古くさい校則に従えって感じなんでしょ?」


「ちがっ。いや確かにそれもありますけど、ボクは天道さんのラブレターを見て――」


「だからソイツはアタシのじゃない! 大体、何が悲しくてアンタみたいな地味メガネを好きにならなきゃいけないのよ!」


 綾音の辛辣な一撃が翔の胸を貫いた。


 それに反撃しようと、翔も言葉の槍を返す。


「ボクだって言わせて貰いますよ! 毎日毎日口答えばかりする天道さんなんて好きでもなんでもないですよ!」


「なっ! まあいいわよ別に! アタシだってアンタのこと好きじゃないし! むしろ大嫌いだし! できることなら二度と顔も見たくない!」


 二人の口論は白熱し、両者とも最早自分が何を叫んでいるのかも分からないほど叫び合っていた。


 我なんてものはとうに忘れ、最悪乱闘騒ぎになりかねないような状況だった。


 だが喉の限界を感じた二人は無言になる。一次休戦だ。


 そんな無言が2分ほど続いたその時、無情にも強制終了のゴングが鳴った。


 ――ガチャッ。


 普段何気なく耳にするであろう、ドアの施錠音。静かに響いたそれは、無情にも二人を体育館倉庫の中に閉じ込めてしまったのだ。


 耳を澄ませると、微かにハミングで演歌を歌う用務員の声が聞こえてくる。


「嘘、まさかこれ……」


「ボク達、閉じ込められた……?」


 ジメジメとした薄暗い体育館倉庫の中。二人は完全な密室となったこの部屋に閉じ込められてしまった。

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