1ー1 風紀委員長 如月翔

「ホントしつこいわね、如月! いい加減諦めてくれるかしら?」


 石護高校 2年B組。夏の暑い朝陽が差し込む教室の窓際で、天道てんどう綾音あやねは叫ぶ。

 スラリとした長い脚、男子顔負けの高身長、クールな印象を帯びた綺麗な目元。そして、胸まで伸びた髪は、朝陽を浴びて金色の絹のような輝きを見せる。

 彼女の長身を着飾る制服ははだけ、スカート丈も短く、色白な太ももがハッキリと見える。

 目立つには目立つが、凝視していると逆に気まずくなり、目のやり場に困ってしまう。そんな姿をしている。

 彼女の立ち位置は、いわゆる『ギャル』だ。

 己の美を磨き、校則という古めかしい縛りに囚われない、クラスの女子達の味方。

 そんな彼女は今、宿敵との激闘を繰り広げていた。


「そういうワケにも行きません! 大体、この注意だって今年に入ってもう45回目ですよ!」

「だからしつこいって言ってるのよ!」


 彼女と口論を繰り広げているのは、この学園の風紀委員長。その名は、如月翔。

 身長は150センチ程度、眼鏡と目元の泣きぼくろ以外、これといった特徴のない地味な男子高校生。

 この場所では今まさに、ギャルと風紀委員長、絶対に交わることのない二人の口論が繰り広げられていた。


「もう一度、しっかりと生徒手帳を見直してみたらどうかしら?」

「言われなくても暗記しています、それくらい!」


 そう言って、翔は生徒手帳に記された校則を、ゲームで得意な魔法を詠唱するかのように唱えた。


「学校規則第22条 身だしなみは高校生として相応しいものでなければならない!」

「じゃあ、アタシのどこが、高校生として相応しくないって言うのかしら?」

「はだけきった制服、短すぎるスカート、それにメイクまで! どこからどう見ても違反です! 違反しかないですッ!」

「それが納得いかないって言ってるのよ!」


 綾音は言って、翔に反論を繰り出す。


「大体ねぇ、学校ではメイクしないのが当たり前って教えてるくせに、社会に出たら『ノーメイクは非常識』だって言われるのよ? それじゃあ、いつメイクのことを学べばいいって言うのよ!」

「それを授業中にしてることが問題なんです! 学校は勉強をするために来るものです!」

「それはそうかもだけど……それなら、休み時間にメイクしたって文句はないじゃあないの!」

「うぐっ! し、しかしですね、校則は校則なんです! 違反は絶対許されませんッ!」

「ほら出た『校則は校則』。その校則がおかしいから、こうして言ってるのに、それで論破したつもりかしら?」

「そ、そうじゃあなくて――」

「じゃあ何だって言うの? ほら、言ってごらんなさい?」


 勝ち誇ったように、綾音は詰め寄る。

 周りの野次馬達は、翔を言い負かした綾音にうなり声を挙げる。もはや、ここに翔の見方は誰もいない。

 そんな窮地の中で、翔は反撃した。


「じゃあもうこの際、今日だけはメイクのことは見逃します!」

「負けを認めたの?」

「でも、そのミニスカートは絶対に見逃しませんッ! それでパパ、パンツでも見えてしまったら一大事じゃないですか!」


 その瞬間、綾音の動きが止まる。次第に彼女の顔は赤くなり、ついには、


「は、はぁっ⁉」


 怒りと恥ずかしさに、彼女の中で何かが噴火した。


「なによいきなり! アンタバカなんじゃあないの⁉ 人のショーツを危険物扱いしてっ! 少しはデリカシーの『で』の字から学んでみたらどうなのよ! この――」


「チビメガネ! 骨! 無神経!」


 激しい三連続攻撃を受け、翔は激しく撃たれてしまう。

 更に、綾音の言葉を聞いた野次馬の中から「プッ!」と誰かが噴出す声が聞こえる。

 笑われた。その屈辱的な感情は、翔の中にあった戦闘終了のゴングを鳴らす。

 どこからともなく現れた口論の審判――レフェリーが綾音の勝利を告げたような気がした。


「全く、おととい来やがれってのよ!」

「うぅ……」


 完全に言い負かされた翔は、そのまま教室を後にする。

 しかし翔は、この時の闘いをこう振り返る。


(天道さんの言うことは、正論だ。校則としてはダメだけど、彼女の言っていることは正しいよ)


 翔は、最初から自分が負けることを、心のどこかで感じていた。

 学校での〈常識〉と、社会での〈常識〉。そこに幾つもの矛盾があるのは、今に始まったことではない。それに異議を唱え改革を起こそうとする者もいれば、矛盾を黙って受け入れる者だっている。

 そして、〈矛盾〉だと知っていながら、それを守らねばならない者もいる。

 それが『風紀委員長』の使命。如月翔に課せられた仕事だった。たとえ、本心が矛盾を好ましく思っていなくても。


(でも、先生から期待された仕事だもん。せめて、学校の中では――)


 ――仮面を被ってでも、優等生を演じないと。


「辛い」と思う自分の心に言い聞かせ、翔はスマホを開く。その画面には、インフルエンサー『つばさてゃ』の写真が待ち受けに設定されていた。


 ――――――――

 ――――


「ただいまー」


 放課後。翔の家は、いつ帰っても静かである。この時間、翔以外は誰もいないからだ。

 両親は共働きで帰りが遅く、「ただいま」と帰ったことを伝えても、帰ってくるのは静寂のみ。「おかえり」と返してくれる人は、誰もいない。

 家の中は埃一つなく、スタイリッシュな雰囲気が辺りに漂っている。

 そんな静寂に包まれた家の階段を、翔は足音を立てながら駆け上がる。

 当然うるさいと怒る者はいない。むしろ翔にとって〈誰も居ない〉ということは、好都合だった。

 階段を駆け上がりながら、翔は制服のボタンを器用に外す。

 そして、完全に前のボタンを全て外すと同時に階段を上りきり、突き当たり左のドアを開け、中に入る。

 中に入った翔は勢いをそのままに、ベッドの上に通学鞄と制服を投げ捨てる。投げられた制服には皺が付いてしまうが、今の翔にはどうでもいいことだった。


「ふー、疲れた~!」


 部屋の中で大きく伸びをして、頭にヘアネットのゴムをパチンと頭に叩きつける。

 それが開始の合図だった。

 早速翔は机の引き出しからメイク道具を取り出し、小さなテーブルの上に並べていく。

 最後に鏡を立てると、翔はテーブルの前で正座をすると、


「いざ尋常に……参るッ!」


 武士のように迫力のある声で二度目の合図をすると、翔はメイクを始める。

 その動きは目視で捉えられないほど素早かった。

 下地をしっかりと馴染ませ、その上から優しくパウダーをまぶす。次にアイライナーで目元を描き上げると、その線に沿ってアイシャドウ、更に上からキラキラとしたラメを付けていく。

 翡翠色のカラコンを入れると、マスカラでまつ毛を上げる。

 最後に、目元の微調整をして完成した。

 その間僅か20分。これこそ翔の奥義、その名も『神速メイク術』。


「うんうん、完璧! それじゃあ今日は~」


 そう言いながら、今度は桃髪ツインテールのウィッグを被る。

 ベッド下の収納棚に隠していたピンクのブラウスと黒のプリーツスカートを取り出し、恥ずかしがることもなく着ていく。

 全ての準備を終え、鏡を見てみれば、そこには地雷系女子と呼ばれる少女の姿があった。その姿は、翔が待ち受けにしていた画像の人物――『つばさてゃ』と瓜二つ。

 

「やっぱり、これが一番だよね~」


 鏡に映る自分を褒め、翔はポーズを取る。

 如月翔、彼にはもう一つの顔がある。それこそがこの『つばさてゃ』、インフルエンサーとしての顔なのだ。

 そこにある面影は、右目の泣きぼくろ以外、どこにもない。むしろ、持ち前の小柄で中性的な容姿のお陰で、女装姿に何の違和感も覚えない。

 メイクを終えた翔は部屋を出て、次はゆっくりと階段を降りていく。

 一歩、また一歩と降りる度にひらりと揺れるスカート。

 普段味わうはずのない、スカートが太ももを摩る感覚がなんとも心地良い。

 それだけでなく、頭の両端で揺れるツインテールも、甘いシャンプーの香りがして心が落ち着く。

 〈つばさてゃ〉は翔にとって、本当の自分。今更女装を恥ずかしがることなど、まずあり得なかった。


「そうだ、この前買った靴の履き慣ししとかないと」


 ふと思い出したように言うと、翔は靴箱を開け、奥に隠していた“あるもの”を取り出す。

 ヴェール代わりかけられたハンカチを取ると、黒の厚底靴が姿を現す。

 所々にハートの装飾が成されたそれは、まさに今の翔を着飾るにはうってつけのものだった。


「よい……しょっと!」


 靴はすんなりと、翔の小さな足を受け入れ、つま先に2ミリ程度の余裕を作る。

 翔は靴の履き心地を確認した後、足首にベルトを巻いて固定する。

 新しい靴に気分が高まり、翔はコツコツとヒールの音を響かせて、勢いよく家から飛び出した。


「それじゃ、行って来まーす!」


 誰もいない廊下に向かって伝え、翔は駅に向かった。

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